「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

鳥取砂丘に次ぐ鳥取県中部の北条砂丘(笠沙之御前)に漂着したハングル文字のゴミ

2018-05-20 04:49:04 | 天照大神(徐福)
(1) 鳥取砂丘に次ぐ鳥取県中部の北条砂丘(笠沙之御前)に漂着したハングル文字のゴミです。
 
 プロパンガスボンベまで漂着していた。
(2) 朝鮮半島からのゴミが鳥取県や丹後半島に流れ着くということは、対馬海流とリマン海流の作用によって鳥取県や丹後半島あたりに漂着するからである。日本列島と朝鮮半島との地形を見ても鳥取県あたりで日本海が広がっていてリマン海流が南に押す作用が理由であると思われる。
 この現象は2千年前でも同じであったと思われる。動力が人力だけの古代においては、この対馬海流とリマン海流の流れは非常に重要であった。
(3) 徐福は紀元前219年に最初の航海に出ている。その時は一斉に海に乗り出した。その結果、散りじりとなり日本全国に徐福の船が漂着した。徐福は北九州より朝鮮半島に渡り始皇帝に奏上して再度挑戦した。初回から九年後のことである。
 初回は失敗したが徐福は対馬海流のことが解かり朝鮮半島の東側から出航することにした。二回目は良家の子女3千人を引き連れて、辰韓にたどり着き、しばらくそこに止まって、伯耆国に向けて次々と出航していった。徐福一行は伯耆国に結集し蒜山高原(瀛州)に上がり周辺の山々から仙薬、薬草、鉱物を採取し、山をセンと名付けた。


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