「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

倉吉市大原(石上)と三朝町大瀬(勾金橋)に行ってきました

2018-08-01 13:44:02 | 日本書紀10代から27代までの期間の倭国天皇
1  倉吉市大原の大原神社
 案内板には昭和9年の鳥取県神社誌にある由緒と同じことが書いてあったが、伯耆国二の宮である波波岐神社の部分は消してあった。こうして、石上神宮の名称が647年以降は二の宮の波波岐神社とされ元禄時代には大原神社とされたようである。その頃、岡山の石上布都御魂神社の宮司の名前を物部にし、血洗いの滝の伝承を作って倉吉市大原は素戔嗚と関係ないことにした。今また、伯耆国二の宮の波波岐神社であったことを消そうとしている。
 沢山の良い武器や七支刀もあったものと思われる。藤原氏たちはこの武器庫を略奪しても多くの武器を積んで人形峠までの坂を上がるのは大変であったはずである。大原は倉〇姓や倉□姓が多い。

2  倉吉市大原の大原観音堂
 
 大原観音堂は第24代仁賢天皇の石上広高宮の跡と思われる。大原観音堂に上がると集落と街道がみえる。皇居としては良い立地である。

3  大原廃寺跡
 大原廃寺跡に上がる看板の裏に志羅谷川とあった。志羅谷川は新羅谷川と読める。
 
 大原廃寺は7世紀末頃に創建された寺院跡である、とする。天武天皇の時代である。雄略天皇が呉の使いをもてなされた「石上の高抜原(第20代安康天皇の石上穴穂宮)」はこのあたりと思われる。

4  三朝町大瀬の勾金橋
 三徳川は90度くらい曲がっている。ホテルの向こうの鳥取県道21号も90度くらい曲がっている。
 第27代安閑天皇の時代もこのあたりに橋があったはずである。

5  三朝町大瀬の大宮神社

 この場所に第27代安閑天皇の勾金橋宮があったものと思われる。


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