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History, Strategy, Ideology, and Nations

11月15日

2009年11月15日 | NEWS & TOPICS
 遅れた話題だが、『論座』と『諸君!』の相次ぐ休刊は、日本の論壇を大きく後退させてしまった。
 サブプライム・ショック、北朝鮮の核開発と六者協議の行方、中国の経済的・軍事的台頭、
 オバマ政権の誕生、戦後日本で初となる国政選挙での政権交代など、
 これほど日本の政治環境が大きく変動しつつある中で、
 今以上に激しく熱い議論が求められる時代はないと思われるのだが、
 それでも主要な論壇誌2誌が姿を消したことは、
 単に経済的理由のみならず、日本の知識社会全体が抱える問題を示唆しているようにも思われる。

 もっとも『論座』、『諸君!』とも、休刊間際の内容は無残なものだった。
 『論座』は、視点を下げて、NPOやボランティア団体の活動家などを引っ張り込んで、
 社会的弱者の愚痴ともつかぬ論文を掲載し続けたことで、
 保守化に向かう時代のニーズに応えることができなかった。
 その一方、『諸君!』は、ニーズへの対応を反中気運の昂揚に結びつけた結果、
 一時期、大いに部数を伸ばしたけれども、やはり食傷気味であった。
 しかも『Will』や『SAPIO』など、競合誌が登場したこともあり、
 反中記事は過激さを増すばかりで、冷静な思慮に根差した議論と言えるものは姿を消していった。
 良識ある読者の多くは、その段階で離れていったのである。
 
 だが、こうした誌面になった背景には、書き手のレベル低下という事情もあったように思う。
 とりわけ学者の質的低下は目を覆う惨状と言わなければならない。
 学者として、最も脂が乗り切っている時期は、40~50代の世代であろう。
 彼らが生まれたのは、1950~60年代で、左翼全盛の雰囲気の中で少年期を過ごし、
 人格が形成される学生時代に全共闘運動が活発化し、
 社会人となった頃にはバブル経済の真っ只中であった。
 以後、安定した身分の恩恵を受けて、悠々自適な学者生活だったというわけである。
 もちろん、それなりに苦労したことは事実だろうが、
 何と言っても「時代の辛酸」をまるで受けていない世代であり、
 その発想の根底には個人主義が流れていて、それは時として利己主義的でさえある。
 従って、国家の重みや歴史的運命といったものを、彼らがいくら力んで論じてみせても、
 どこか浮ついて軽い印象を拭い切れないのは、そうした感覚を本来的に身につけていないからである。

 こうした世代の学者が担うべき日本の論壇は、
 急激に押し寄せてきた保守化の流れを真摯に受け止めようとしなかった。
 それは「保守派」に分類される学者であっても同様で、
 どこか冷笑的で第三者的な立場を守りながら発言しようとしていた。
 しかし、そこには、この流れがどのような歴史的文脈と思想的背景を持っているのかという問いよりも、
 「現実主義」という名の「現状追認主義」に堕して、
 「合理的」という言葉で、政府の意思決定を次々と擁護することに向けられた。
 まさしく「御用学者」の誕生である。
 いつの頃からか学者のことを「研究者」と呼ぶようになったが、
 その分かれ目は、おそらくこの世代からではないだろうか。

 戦後、日本には左翼系の学者が多くいた。
 今にして思えば、負の部分を多く残したとはいえ、
 学者としての矜持は、彼らの方がはるかに高かったと言わなければならない。
 また、学問に対する姿勢も真摯であった。

 問いを学ぶことよりも、研ぎ究めることに知的関心が向かった時、
 もはや知識社会はタコツボ化への道を避けられなかったように思われる。
 その点で、今日の知識社会の貧困は、教養ではなく、個人への愛で占められた結果である。
 時代を超越することよりも、時代に身を落とすことを選んだ者たちに何を語れというのだろうか。
 『論座』や『諸君!』の編集者たちに深く同情したい。