フランシス・フクヤマは、米ソ冷戦の終結を見て「歴史の終わり」と表現した。
確かに事実上、共産主義はこの世から葬られてしまったし、
それが今後、政治的正統性を獲得することはほぼないだろう。
その代わりに、冷戦の勝者たる米国によって標榜された自由主義の拡張が世界的潮流となった。
最近まで「ネオコン」と呼ばれた人々は、そうした潮流こそ、まさに歴史の必然であり、
その啓示を受けたのが米国にほかならないと信じたのである。
だが、彼らは「自由」の行方に関して、あまりにも楽観的すぎた。
しかも米国流の自由しか知らないまま、安易にその種子を他の土壌に植えようとした。
結果は歴然だったように、世界各地で反米主義を引き起こすことになり、
米国のリーダーシップが大きく損なわれた。
そして、そうして失われた米国の威信は、他の大国が再び影響力を行使し得る環境を生み出したのである。
昨年、ネオコンの代表格と言えるロバート・ケーガンが出した評論は、
こうした傾向を受けて発表されたもので、その名も『歴史の回帰と夢の終焉」というタイトルである。
Robert Kagan
The Return of History and the End of Dreams
New York: Vintage Books, 2008
ケーガンは、従来のような伝統的な国益上の対立は過去のものとなる一方、
今後の国際政治は、大国同士のナショナリズムが衝突する時代になると予測している。
もちろん、ナショナリズムに基づかない外交など、もともと存在しないのだが、
その関心の多くは、これまで発展途上国の政治動向を分析する際によく検討されてきた。
だが、ケーガンはそれがもはや発展途上国のみならず、
米国、ロシア、中国、EU、日本などの大国においても発露されるようになり、
同盟関係や勢力圏の画定など、大きな変動が生じる可能性を示唆している。
この中に、イスラム原理主義やアラブ民族主義が混じり合うことで、
世界は一層、混迷の度合を深めることになる。
そこで、ケーガンは再び、民主主義の連携を訴えかけているのだが、
そうした理念を掲げた政策が多くの失敗を生んできたことに、まだ自覚がないらしい。
もし世界がこれから秩序崩壊に陥っていくとするならば、
理念への固執で自らの立場を固定化してしまうことは極力避けるべきだろう。
相手国がいかなる政治体制であっても、自国にとって害を及ぼさなければ、それで良い。
そもそも混沌の時代に長期的戦略を立てることは極めて困難であって、
残された道は、自国の国益を見定めた上で、是々非々に対応していくしかない。
実際、冷戦期の米国も、イデオロギー的なレトリックとは裏腹に、
とても民主的とは言えぬ独裁体制を支持してきた。
それは結局、民族運動や宗教革命によって打ち倒されてしまったが、
短期的には、ソ連の浸透阻止という米国の国益に資した。
むしろ、不必要なレトリックが米国の道義性を損なわせたのである。
そう考えると、ケーガン自身はまだ夢から覚めていないのかもしれない。
確かに事実上、共産主義はこの世から葬られてしまったし、
それが今後、政治的正統性を獲得することはほぼないだろう。
その代わりに、冷戦の勝者たる米国によって標榜された自由主義の拡張が世界的潮流となった。
最近まで「ネオコン」と呼ばれた人々は、そうした潮流こそ、まさに歴史の必然であり、
その啓示を受けたのが米国にほかならないと信じたのである。
だが、彼らは「自由」の行方に関して、あまりにも楽観的すぎた。
しかも米国流の自由しか知らないまま、安易にその種子を他の土壌に植えようとした。
結果は歴然だったように、世界各地で反米主義を引き起こすことになり、
米国のリーダーシップが大きく損なわれた。
そして、そうして失われた米国の威信は、他の大国が再び影響力を行使し得る環境を生み出したのである。
昨年、ネオコンの代表格と言えるロバート・ケーガンが出した評論は、
こうした傾向を受けて発表されたもので、その名も『歴史の回帰と夢の終焉」というタイトルである。
Robert Kagan
The Return of History and the End of Dreams
New York: Vintage Books, 2008
ケーガンは、従来のような伝統的な国益上の対立は過去のものとなる一方、
今後の国際政治は、大国同士のナショナリズムが衝突する時代になると予測している。
もちろん、ナショナリズムに基づかない外交など、もともと存在しないのだが、
その関心の多くは、これまで発展途上国の政治動向を分析する際によく検討されてきた。
だが、ケーガンはそれがもはや発展途上国のみならず、
米国、ロシア、中国、EU、日本などの大国においても発露されるようになり、
同盟関係や勢力圏の画定など、大きな変動が生じる可能性を示唆している。
この中に、イスラム原理主義やアラブ民族主義が混じり合うことで、
世界は一層、混迷の度合を深めることになる。
そこで、ケーガンは再び、民主主義の連携を訴えかけているのだが、
そうした理念を掲げた政策が多くの失敗を生んできたことに、まだ自覚がないらしい。
もし世界がこれから秩序崩壊に陥っていくとするならば、
理念への固執で自らの立場を固定化してしまうことは極力避けるべきだろう。
相手国がいかなる政治体制であっても、自国にとって害を及ぼさなければ、それで良い。
そもそも混沌の時代に長期的戦略を立てることは極めて困難であって、
残された道は、自国の国益を見定めた上で、是々非々に対応していくしかない。
実際、冷戦期の米国も、イデオロギー的なレトリックとは裏腹に、
とても民主的とは言えぬ独裁体制を支持してきた。
それは結局、民族運動や宗教革命によって打ち倒されてしまったが、
短期的には、ソ連の浸透阻止という米国の国益に資した。
むしろ、不必要なレトリックが米国の道義性を損なわせたのである。
そう考えると、ケーガン自身はまだ夢から覚めていないのかもしれない。