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History, Strategy, Ideology, and Nations

国際関係の「理論」

2010年05月18日 | THEORY & APPROACH
 国際政治学・国際関係論の分野は、理論研究への関心が非常に高いことで知られている。 
 特に米国では、その傾向が強いと言われており、
 こうした分野を専攻すると、最初に叩き込まれるのが、
 古典的リアリズムからコンストラクティヴィズムに至るまでの国際関係理論の歴史である。
 理論に関心がある人にとっては、必ず押さえておかなければならないし、
 歴史に関心がある人でも、知らないよりは知っておいた方が、議論する上で何かと便利なことも多いので、
 一通り、頭の中に入れておくべきだとは思うが、
 率直に言って、あまり面白いとは言えない。
 なぜなら、それらは結局、どれも「失敗した理論」にほかならないからで、
 知れば知るほど、理論が持つ限界を露呈しているだけのように思われてくるからである。

 歴史的アプローチを好む人たちから見れば、
 元来、国際関係を理論的に説明しようとすること自体、批判的なスタンスを採りたくなってくるだろう。
 実際の国際社会は、非常に複雑なプロセスで進んでおり、その要因もきわめて多様である。
 また、登場するアクターも様々な動機や利益に基づいて行動しているため、
 とても特定の理論で説明できるような代物ではないと直観的に理解するからである。
 したがって、理論家が意気揚揚と提示する理論には、どうしても懐疑的にならざるを得ないし、
 そうした理論によって、正しく国際関係の流れを予測できたこともなかったことは、
 ますます理論への不信感を覚えずにはいられないのである。

 この点に関して、国際関係の数理モデルを研究している鈴木基文教授は、
 著書の中で、次のように反論している。
 
 「ほとんどすべての社会科学理論は、予測を目的に構築されているものではなく、
  概念化と一般化を通じて、現実を描出、説明、解説することを第一義的な目的としている。
  ゆえに、たとえ予測に失敗したからといって、
  その理論が持つ本来の有用性が否定されたわけではない」

  鈴木基文
  『社会科学の理論とモデル2 国際関係』
  東京大学出版会、2000年、4頁

 つまり、ここでいう「理論」とは、現象を説明するアプローチにほかならないのであって、
 再現性を担保する上で要求される予測の正確さは、
 理論の成立条件に含まれていないとしているのである。

 だが、「理論」というものは、単に論理的整合性さえ確保されていればよいというものではなく、
 その理論に基づいて設定された命題が、
 一定の条件下であれば、必ず同じ結果に至るという再現性もまた、確保されていなければならない。
 それを検証するために、最も簡便な方法は、そうした条件を満たす実験系を組んで、試行することだが、
 残念ながら、社会科学では実験を行なうことができない。
 そこで、予測を通じて、理論の正しさを検証していく必要があるのだが、
 予測失敗が多ければ多いほど、その理論の正当性は失われてしまうことになる。
 いくら論理的整合性が高くても、現実にそぐわない理論は、有用性をも否定されていくだろう。
 つまり、確かに理論は予測を目的に構築されているものではないが、
 少なくとも社会科学では、予測でしか、その正しさを測ることができないのであり、
 その試練を乗り越えられない理論は、せいぜい「アプローチ」か「説」にとどまるものでしかないのである。
 
 その点で、国際政治学・国際関係論の理論家たちは、
 自分たちの理論の正しさを検証するために、積極的に予測を行なっていくことが必要である。
 自然科学の世界では、論理的整合性がどれだけ高くても、
 再現性が確保されていない「理論」は、単なる「妄想」として扱われる。
 いやしくも「科学」と標榜しているのならば、
 そういった次元での理論化を目指してもらいたいものである。