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History, Strategy, Ideology, and Nations

国際政治と「嘘」

2010年12月30日 | THEORY & APPROACH

 個人レベルの感覚に従えば、嘘を吐くことは倫理的に正しいとは言えない。
 嘘が平然と通用する社会では、相互の信頼関係を構築することは非常に難しくなるし、
 契約という概念も成立しなくなるので、経済的にも大きな損失を生むことは避けがたいだろう。
 
 しかし、国際政治の場では、政治指導者が国内外を含めて嘘を吐いたという事例が数多く見られる。
 たとえば、最近で言えば、2003年、イラク戦争の際に、
 イラクが大量破壊兵器を保有しているとした米国側の主張は、
 ほとんど根拠らしい根拠を持たない怪しげな情報から構築された「嘘」にほかならなかった。
 実際、開戦後、イラクに進駐した米軍は、大量破壊兵器の発見に全力を注いだが、
 結局、それを見つけることはできなかった。
 今にして思えば、国連総会でパウエル元国務長官が説明した通信情報の記録や偵察衛星の写真は、
 一体全体、何だったのかと問いたくなってくる。
 しかも、そうした情報を同盟諸国にも配布し、米国への支持を積極的に要求したのだから、
 イラクのみならず、世界各国が米国の「嘘」に翻弄されたのである。

 ただ、米国が当時、なぜそうした「嘘」を吐いてまでイラクとの戦争を望んだのかは、
 いずれ翻訳されるであろうブッシュ前大統領の回顧録が出版されるのを待つとして、
 元来、国際政治の文脈において、「嘘」をどのように捉えればよいのだろうか。
 この点に関して、シカゴ大学のミアシャイマー教授が、
 今年末に発表した新刊で検討している。

 John J. Mearsheimer
 Why Leaders Lie: The Truth about Lying in International Politics
 New York: Oxford University Press, 2010

 国際政治に関心を持っている人であれば、誰もが知っていることだが、
 ミアシャイマー氏は、現実主義の理論家として名高い学者で、
 本書においても、基本的にその立場から「嘘」に関して分析を行なっている。
 
 先に示したように、個人レベルでは「嘘」は倫理的に正しいものとは言えないが、
 国際社会の性質がアナーキーであるという前提に立った時、
 「嘘」を吐くことで自国の安全や利益が守られるのであれば、それは正当化されるのである。
 つまり、国際社会においては、国益追求こそ最上位の行動倫理であって、
 誠実さや正直さといった倫理基準は、その下位に位置づけられるものでしかないのである。
 
 ただし、興味深い点として、ミアシャイマー氏が指摘しているのは、
 そうした性質を持つ国際社会であるにもかかわらず、
 過去の歴史的事例をひもといてみると、
 意外にも他国に対して「嘘」を吐くケースが非常に少ないことである。
 その理由として、他国に「嘘」を吐いて騙そうとしても、
 国際社会のアナーキー的な性質については誰もが理解していることであって、
 他国もまた警戒心を強くしているため、「嘘」の効果がほとんど出ないからであろう。
 また、他国に対する「嘘」が巡り巡って自国に戻ってきた時、
 政府が自国民に行なってきた説明と食い違い、政府批判の原因になる可能性も出てくる。
 いわゆる「ブローバック(blowback)」と呼ばれる現象だが、
 それによって、政府への信頼性を失墜させることも十分あり得る。
 その結果、アナーキーを前提とする国際社会において、
 出来るだけ「嘘」を回避するという逆接的な行動パターンが浮かび上がってくるのである。

 むしろ、「嘘」を吐くことだけでいえば、自国民に向けて「嘘」を吐くケースが多いとされている。
 その理由として、国内のリソースを動員するためには、
 国民の不安感やナショナリズムを煽る必要があり、
 他国からの脅威を評価したり、愛国心を称揚したりする際に、
 誇張した情報や美化された歴史を利用して、国民を「善導」しなければならないからである。
 この場合、「嘘」の効果が他国に波及する可能性も乏しいので、
 仮に「嘘」が発覚しても、自国内で処理することができる。

 いずれにしても、国際政治の文脈では、「嘘」を吐くことは政策手段の一つにすぎないため、
 そもそも、個人レベルの倫理的尺度で、それを論難するのは必ずしも適切とは言えない。
 問われるべきは、その「嘘」によって国益が守られたかどうかであって、
 結果的に国益を損じたのであれば、
 その「嘘」もまた、国際政治上の責任倫理に従って非難されるべきものとなるのである。