のんびり歩こうよ 亀さんみたい

70歳も半ば近くになって、後は神仏の御心のままに。
ゴールはきまっているのだから、のんびりゆったり 日々を大切に。

人生 第3章がはじまる。

2023-10-03 14:06:49 | 人間関係

末っ子の私は深読みするタイプでは無かったので、

流れのままに、

ちょっと不合理?・・・と思う事は多々あってもその波に乗って生きて来ました。

いろんな事が有っても、「因果応報」の心情が支えだったのかも知れません。

時は流れ33歳で子供2人を連れて離婚しました。

話がこじれて調停へ。8カ月掛かりました。

その間、子供は転校し、私は保険会社に勤務しました。

 

氏をどうしよう・・となった時

子供が年度の途中で氏が変わる事のリスク・・イジメ!!

名刺を持って学校の共済の営業をしている私の

「どうしたの?」の質問攻めを想像する時、

リスクを最低限にするために夫の姓を名乗り続ける事にしました。

 

まだ若い弁護士は

実家に戻らないんですか?

どうして嫌になった夫の姓を使うんですか?などなど・・

そのたびに目を丸くして

「えぇ・・そういうもんなのですか?」と驚いた。

子供を連れて戻る実家は もう兄夫婦の物なのに・・。

姉夫婦は、母の所有する借家が空いているので

私を呼べば!と言ってくれたようだが

母も兄夫婦も答えなかったと 大分経ってから耳にはいりました。

 

もちろん、長期間、母や兄夫婦のお荷物になる気は初めから無いが・・

早々に就職したのは、私に子供を養育出来る力が有る事を

示せないと親権、

養育権が取れないと弁護士から言われていたからです。

 

母は、世間体を憚って、

  出戻り娘を近くにいて欲しく無いとは明らかでした。

跡取り娘の母は外で働いた経験も無く、

舅・姑の関係を経験したことも無く

家賃を払って食べて来た事も無く

たどれば、近所は皆親類という町という中で

代々続いた商家のメンツの方を優先したのです。

母は老いては子に従い

寡婦になったら長男が家長であるも当然という

古い感覚を優先するタイプだったのです。

鼻っぱしは強くとも 

根は弱く兄に物言えぬ人だったのでしょう。

 

 

私にはどうでも良い事なのです。

婚家を出ると決心した時から、分かって居た事だからです。

こうして・・・私の人生 第3章が始まりました。


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