友愛学舎生の日常生活がよくわかるブログ

早稲田駅から徒歩5分の場所にある、様々な大学生による自治寮。キリスト教精神に基づいた様々な活動に取り組んでいます。

My Meaningful Summer Vacation in my hometown

2023-09-02 17:36:17 | 日記
 お久しぶりです!! Cool Guy(冷奴)ことIGARASHIです!!長い期間が空いての更新となりました。最終更新からそこまで環境が変化したわけではないので、特に書きたいこともなかったのです。たまにブログで書きたいネタを思いつくのですが、自分のなかでボツにしてしまうことも多かったり、温めたいなと思うネタも多かったり、そんな時期でした。
 
それでなぜ今回更新したかというと、私が出身の福島県に帰省したからなんです。東京暮らしも早いもので1年半経って、東京に暮らしてみた見方が変わったなということを言いたくて。夏休みの帰省は8月中旬から今日までのおよそ3週間でした。その間あちこち出かけて、地元の人と関わりその人たちの雰囲気を感じると、どこか懐かしさもありますが、もはや自分にとっては異質なものになっていることに気づかされました。うーん、よく言えば「田舎らしさ」の象徴でもあるとは思うんですが、言い方を変えれば、「前近代的」「非効率」「停滞的」みたいな雰囲気でもあって、私はどうしても好きになれないです。そんなことを帰省の時のエピソードを交えて書きたいと思います。

***
 
実家は田園地帯の集落にあるので、そこでのコミュニティに属しています。普段はあいさつ程度の付き合いなんですが、町内会や農作業、お祭りになるとコミュニティとして機能します。私が帰省している間にちょうどお祭りがあり、私も“人足”として参加しました。
 久しぶりにお話しした人もいましたが、初めてお話しする人もいて、それはそれで楽しかったです。 わたしがT京大学に通っていることは“村”のなかのウワサで広まっていて、集落の人が私に質問してくることが「T京大学に通っているのか?」ということばかりで、「はい」と答えれば、「うわーすごい」という感情のこもっていない反応で会話は終わります。こちらから会話を広げないのは、相手が話したがらない様子であることから、「馬鹿にされている」と感じているのではと推測して、これ以上気分を悪くさせないようにしようと予防線を張っているからです。一方で、私がT京大学に通っていることをはじめて知った人は、「T大生」というレッテルを私に貼り付けます。このように、農村独特のご近所付き合いでは、職業や学歴、どこの“家”の人かといった、「身分」をすごく気にします。言い換えれば、人柄や性格、何をしているのかとかはあまり関心になく、「身分」しか気にしていないということなのです。
 
私は、集落の人からそんな風に簡単で画一的に人間判断されることが嫌だったのです。人間の、人柄や性格といった「本当の良さ」は、その人と実際に接してみないとわからないものですが、初対面の人とおしゃべりをしたりいっしょに作業したりしなといけないので、ものすごくめんどくさいことです。その一方で、「身分」だけで人間を判断することはとても簡単で全然労力は必要ないことですが、画一的になりがちです。
ここに、私は、「めんどくさいことから逃げて簡単なことに落ち着く」という地元の人間の良くないところを見つけてしまったのです。お祭りの運営でも「とりあえず積極的にやってくれる人に頼っておいて、頼まれたら手伝おう」とか、農作業でも「売り上げを伸ばしたいが、どうしていいかわからないので今のままでいいか」とか。そもそも人生のなかで実家を離れたことがないのだから、楽なほう楽なほうに甘えて生きてきたからでしょうか?
 
これは私の集落だけにしか見られるものではありません。地元ではほかにも見られます。
例えば、地元の県立高校ではいまだに不適切な慣習を残して、変えようとしない)。なぜなら、今までの慣習に従うほうが楽だから。地元の同級生と話しても、地元で働くことしか視野に入れていない。なぜなら、自分の環境が大きく変わらず楽だから。このような地元の人間の言動をみて、「前近代的」「非効率」「停滞的」と感じたのでしょう。そして、こうした「甘え」にも似た行動を地元の衰退と結びつけて考えれば、彼らは自分たちが直面している地元の問題から目を逸らし続けてきた結果であると言えるかもしれないと思いました。
 
***

私は、商店街がシャッター街化したことや農業人口の高齢化、有名企業の撤退といった地元の衰退を心配してきました。しかし、その原因が、都会と田舎といった構造的なものにもよりますが、実は田舎の人間の、「めんどくさいことから逃げて簡単なことに落ち着く」という性格にあるのではないかという考えに至りました。こうして私は、地元の問題の解決には、住んでいる人間の性格までも変えないといけないのではないかと考え、これはとても「めんどくさい」ことだなと思い、逃げたくなったのでした。

 9月2日 東京に戻る高速バスに揺られながら


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五月病如何〜莫如求休〜 | トップ | 朝、部屋に入ってくる風の重... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事