友愛学舎生の日常生活がよくわかるブログ

早稲田駅から徒歩5分の場所にある、様々な大学生による自治寮。キリスト教精神に基づいた様々な活動に取り組んでいます。

2010年のおわりに

2010-12-29 19:10:54 | 日記
クリスマスおめでとうございま(した)。
やたらと張り切る宗教行事も終わり、今年も残りあと3日となりました。
友愛劇の報告、クリスマスパーティーの様子などブログにアップしたいことはたくさんあるのですが只今私実家に帰省中のためなかなか時間がとれずにいます。。。

今年もたくさんの方にお世話になりました。
このブログを見てくださっている皆様が健康で新年を迎えられますようお祈り申し上げます。来年も素晴らしい年になりますように!



劇練熱闘中

2010-12-07 16:54:46 | 日記
お久しぶりです。2年の尾崎です。底冷えの奈良盆地で育った身にはややぬるい(あと友愛は鉄筋コンクリート造なのであたたかいです!)
東京の冬ですがそれでも最近はしっかり寒くて、この間裏通りを歩いていたら愛すべき早稲田の野良、ワセネコ達が





こうなっていました。おしりを電灯で温めています。苦労してるんだねぇ。




さて表題、ただいま友愛学舎は週末の奉仕園クリスマスパーティーの取りを飾るクリスマス劇の仕込みに盛り上がっています!
ちょっと前々回の投稿とかぶるけど、写真があるので再び宣伝。





主役は一年生。ヒロインが緊張気味なのがドラマQ10の前田敦子っぽくて可愛いです。男だけど。





歌って踊れる同期。





監督を中心に皆で演出していきます。どんどん過激になっていく・・・
パーティーは12月11日(土)16時15分~、劇は19時ごろから。みんな来てね!





回転寿し~「間」の空間

2010-12-01 12:30:51 | 日記
こんにちは。名前はありそうでなさそうな猫である。
別に友愛や早稲田と関係ないのだが、回転ずしが好きでよく食べに行く。
恐らく小さい頃初めて行った回転ずしの記憶がどことなくおぼろげに、しかしある意味鮮明に残っていることが影響しているようである。
どこのどういう店で何のネタを食べたとか、あまり細かいことは忘れている、なによりも「すしが」、食べ物が
まわっているというそのままのすがたが衝撃だった(のだろう)。年甲斐もなく無性にお茶を飲むいう癖も関係しているかもしれない。
だが、どうもそれだけではないのである。
そこに流れている独特の空気や、まわるすしをぐるりと囲む人、その妙なシステムやそれらしからぬ「あたたかさ」のような、
全体的な「空間」に満ちているものに哀愁を感じているようなのだ。

実にシステマチックで効率的な発想なのである。
それなのにすしも、人間も、ファミレスやチェーンにはないあたたかさがある。どういうことなのか。
寿司屋なのに気張らずすしが食せるという敷居の低さ、しかもそれがクルクルまわっているというコミカルさは、一種の庶民的な香りを醸し出している。
しかし高級店が庶民的でないから冷たいのかといえばそんなことはない。むしろ激安で庶民的であってもなにか冷たいというマックや吉野屋の問題はまさにそこにあるのだ。いかに安かろうが早かろうが「金」や「利益」優先では何かが違うのである。

つまりシステムや金額といった表面的な問題だけでなく、そうした形式から逸脱した、はみだしているような部分があるのではないか。
それはやはり「人間」による、人間的な部分、すなわちすしのクルクルの間にすしを握る職人がいること、そして「職人」と「客」
の間に生まれるすしや会話の交歓、そこになにか名状しがたいあの「あたたかさ」が生成しているのではないのか。
その感覚はそびえたつような敷居の隔たりがある高級店や、バイトで全てを動かす利益主義のチェーンでは
到底享受できない感覚である。高級店では寄せ付けないような多様な客、人々が回転ずしには集い、職人を囲んでまわるすしを食す、
実に奇妙でありながら情に満ちた光景ではないか。

まさに「すし」という一見高級で贅沢な空間を、コミカルで庶民的なシステムとあたたかい「人」同士の交流のあわせ業によって
気軽に通過させてくれるのが「回転ずし」という空間なのである。
その空間は「システム」と「人間」の”間”にあり、「高級」と「庶民」の”間”にあり、つくる「職人」と食す「客」の微妙な心地よい距離の”間”にある、
まさに「”間”の空間」とも名付けられるものなのだ。

そもそも近年のすしは高すぎるのである。江戸前のすしが生まれた当時は、すしは屋台で食せるような庶民的で気軽な、とはいえ伝統もある「粋」で文化的な食べ物だったのだから、すしはもともと高級と庶民の「間」をいく食べ物だったはずなのだ。そのすし本来の「間性」はもっと注目されていいし、質を落としてはいけないがもっと庶民がすしを食しやすい雰囲気をつくるように工夫すべきではないか。すしがいかにも上流階級の象徴のように扱われるのはどうもよろしくない。

いかがだったろうか。わけのわからない文章になってしまったかもしれないが、回転ずしの魅力やその「間性」を少しは感じて頂けただろうか。
実はすし自体が「シャリ」と「ネタ」の”間”の微妙な交感、絶妙なニュアンスを味わう食べ物なのである。本当はそのことさえ分かって頂ければ十分である。
そしてたまには是非回転ずしに足を運んで頂きたい。ちなみにこのへんでは高田馬場駅近くの「天下寿司」が安くて絶品である。職人さんも素晴らしい。真に美味なのである。