ヨッサリアン、シゲコさんの影を求めて地上に舞い降りました、湖都のセーヌ左岸を彷徨いました、降り積もった雪のなか、車がノロノロ、這うよう動いていました、シゲコさんの姿はどこにもありませんでした、どこへ行ったのかなぁ、シゲコさんは・・・
(写真をクリックして湖都のセーヌ左岸をお楽しみくだい)
京の都への運河である湖都のセーヌ、この先は湖です、湖都のレマン湖です、シゲコさんの姿が見つからないので、ヨッサリアン、しばらくレマン湖畔を彷徨うことにしました、あのフランシーヌに最後に会ったのはこのレマン湖畔だったなぁ、ちょうど今頃、2月の寒い朝だったなあ、
「ヨッサリアン、いろいろお世話になったわね、でも私、もう決心したの、3月30日の日曜日よ、よくおぼえておいて・・もうこれ以上生きていても・・」
そうだ今年の3月30日も日曜日だ、あれから何年が過ぎたのだろう・・・・日本にも由比忠乃進という人物がいた、フランシーヌよ、彼は君よりも少し前に・・・
「フランシーヌ、君が死んだって世界は何一つ変わらないよ・・・」
「そう、たぶんそうね、でもヨッサリアン、オリコウサンのあなたが死なずに生きていたら何かが変わるっていうの・・・」
「フランシーヌ、何かが変わるわけではないけれど、アインシュタインが言っていたじゃない、《生きていればまだモーツアルトが聴ける》、それに生きていれば、たとえばあの親玉マンジュウだって食べられるよ・・・」
「ありがとうヨッサリアン、あなたのジョーク、くだらないけど、でも結構楽しかったわ、よく言っていたわね、ヨッサリアンは、
《ジョークなしでは生きていけない、ジョークなしで生きてはいけない》
でもね、ヨッサリアン、
《ジョークだけでは生きていけない、ジョークだけで生きてはいけない》のよ、
わかったヨッサリアン?わかってるの、ヨッサリアン・・・」
「・・・・・・」
フランシーヌの場合は
あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は
あまりにもさびしい
三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ
フランシーヌ
あれから三十数年、いや、来年で四十年か・・その間にもたくさんの戦争があった・・・過剰なる時代、20世紀、そして21世紀・・・フランシーヌよ、その戦争の多くを、亜米利加の後について我がジャポンは手伝ってきた・・・そして今も戦争は続いている、ベトナムから遠く離れて、そして今ではイラクからも遠く離れて・・・
ヨッサリアン、降りしきる雪を音もなく吸い込む鉛色に沈む湖面を眺めながらすこしおセンチになりました、とりとめのないことを考えながら湖都のレマン湖畔を彷徨いました、身体が冷えてきました、このへんには気の利いたカフェはないし、あの談合カフェもカフェ・ヨッサリアンは遠いし・・・でも、シゲコさんの姿はどこにもありません、影も形もありませんでした・・・・セーヌ左岸でなければ、シゲコさんの行きそうなところはあの公園か?・・・
ヨッサリアン、雪の中をもう少し彷徨うことにしました
グッドナイト・グッドラック!