依然として福島原発事故の先行きはまったく不透明です、先日関東にお住まいの老人からお手紙をいただきましたが、「すしこしも好転しそうもない状況ですが、明日のことだけを考えて生きております」と記されておりました、
が、嘆いているだけでは能がないと、ヨッサリアン、原発事故に関するビデオの上映会を知人たちと行うことにしました、というか知人たちが口先男ヨッサリアンはあてにならないと勝手に決めた企画に巻き込まれてしまったのでありますが、本日(27日午後~夜)、上映会を決行いたしました
ラインアップはなかなかのもの、一つは福島原発事故発生から1週間後の3月18日、京都大学原子炉実験所(大阪府熊取)の原子炉安全研究グループが開催した専門家を交えた公開ゼミの記録、それにチェルノブイリ原発事故で放射能の封じ込めという危険な作業に身を賭して携わった兵士たちのその後を描いたドキュメンタリー「サクリファイス」(2003年/スイス)
京大原子炉実験所のゼミ、原発の安全性について長年にわたり警告を発してきた研究者たちによる、困惑と戸惑い、不安、動揺、落胆と悲しみ、さまざまな思いが交錯した緊張感に包まれた研究者たちの討論がとても印象的でありました、そして、福島原発でこれから起きるかもしれぬ悲劇をいやおうなしに考えざるを得ない「サクリファイス」・・・ヨッサリアン、このドキュメンタリーを最初に目にしたのは何年もまえのこと、そのときは、はっきり申し上げて、遠い地での悲劇という印象であったのですが、このたび再び目にして、いままさにこの日本で同じような悲劇が起きようとしている(あるいは、すでに起きてしまっているかもしれない)ことを思い、前々回の日記(ついに原発震災、その15、4月17日)に記した「今一番危険にさらされているのは作業員たち」という日本の医師たちの言葉が胸に突き刺さりました
かようなしだいでありますが、まあ、ヨッサリアンにできることはたいしてありませんでしたので、中身はともかく厚さは十分な配布資料を作成いたしました
参加者は2回にわけての上映会で主催者も入れて計およそ70人弱、地方都市のこの湖都でこの値が大きいのか小さいのか、まあそのようなことはささいなこと、あまり数字ばかりを気にするのは邪道などと思っておりましたら、終わってから参加していた友人から知らされたのですが、参加者の中に福島から避難されてきた方もおられたとのこと・・・
まあ、何もしないよりはマシと言ったところだよなぁ、やれやれや、これで原発事故発生以来、ようやく一息かなあと思っておりましたら・・・上映会終了後、この上映会の開催を突然思い立った知人の一人が申しました
今日、ケーサツから電話があった、ケーサツ曰く
《5月初旬に予定しているヨッサリアンも発起人の一人であるところの脱原発市民大散歩なるものはデモである、なんでそんなこと知っているのかって?インターネットを見ればわかる、ついては明後日から連休に入るので明日にでも届出を行うべし》
当初、湖岸に沿った幹線道路、その広い歩道をブラブラ歩くだけであるので届出の必要なしという対ケーサツ関係ベテランの某知人がのたまいましたので無届でよかろうということにしたのです、ヨッサリアン、どうしたものかはたと迷いましたが、そこは人に物事を押し付ける名人、すなわち他力本願名人のヨッサリアン、急遽、そのベテラン氏に電話し、「おいベテラン氏よ、かくかくしかじかや、キミが明日届けしてこいよ」と申しましたベテラン氏曰く「明日は某大都市でのメーデーの準備で一年で最も多忙な日であるので不可、届けなんか簡単、デモの進路の略図をチョコチョコと書いてハンコおして出したらええのや」
はは~ん、世間はそんなものなのかとベテラン氏の言葉を信じ、本日9時ごろに早起きして朝食抜きで、上映会を企画した知人の一人といっしょにケーサツに参りました
ケーサツ署に足を踏み入れる前に、「こういうときは女性がよろしい、《女は愛嬌》や、どうかニッコリ笑って対処されたし」と知人にヨッサリアン申しましたら、かつてナントカリブ華やかなりしころに青春を過ごしたらしき知人は若干不快感を表明しておりましたが、無事役割をこなしてくれました、と申しますか、三人の係官を前にせっせと手続きを全部こなしてくれました、ヨッサリアンはただ横で係官相手に最近の警察事情などについて友情に満ちたように見える意見交換という名の雑談を交わしていただけでありました
あのですね、歩道を歩いてもプラカードなどを持っていたらデモになるのです、手ぶらであればデモではありません・・・・そんなこと初耳ですなぁ、それならデモの届出をしたのだからと言って、あの車が多くて危険な幹線道路の車道を歩かなければいかん、などということは言わないでしょうね、なにしろ子連れの主婦たちもいるでしょうから・・・・それは歩道をあるいてもらって結構です・・・・
あのケーサツ対応ベテラン氏の言っていたことはまったくウソ・デタラメでした、事務官風のケーサツカンが申します、ではデモの進路をこの地図に赤鉛筆で書き込んでください、わがケーサツ署ではカラーコピーができない(ウソ!)ので同じものが3枚必要です・・・そして地図に書き入れた進路を文字に直してください、すなわち、どこどこのビルの角を曲がって、どことこの踏み切りを渡ってと・・・あきれてヨッサリアン、そんな細かいことこっちに書けるわけない、ちょっと見本を書いてよ、そうしたらそれを丸写しするから・・・・無事知人が丸写しで手続き用紙に書き終えますと、ハンコ、あ、それにこの地図を折りたたんで、ここに割り印、こことここにも・・・同じものを3部つくります・・・後日、公安委員会の許可が下りたら一部をお渡しします・・・
あたりまえのことでありますがケーサツもレッキとしたお役所、旧態然たるそのお役所仕事ぶりに、ヨッサリアン、ほとほとあきれてしまいました
おまけにまことにムリなことを言うのであります、参加者の人数、そのようなものはわかりっこないので「とりあえず50人ぐらい」と申しましたら、何やら困った様子であります・・・どうしたのですか、これでは何か不都合なことでも・・・あのぉ・・・できれば100人ぐらいにしてもらえませんか・・・どうしてですか・・・・ここで慧眼の人、ヨッサリアン、すぐにどうしてそのようなことを言うのか察しがつきました・・・・ああ、そうですか、警備にあたるオマワリさんの人数が関係しているのですね、100人ぐらいの方がケーサツとしては都合がよいというわけ?・・・事務官ふうケーサツカン、にっこり笑って・・・まあ、おっしゃるとおりです・・・そこでまことに情けないことにケーサツに負けて、参加者は100人ぐらいということにしてしまったのであります、まことにお恥ずかしいアホな話であります・・・でも、昨春会った妙法寺のお坊さんが特別参加、先頭歩いてくれることになったし、まあ、いいか・・・
しかしながら、ケーサツというところは最終的には、仙谷君失職の原因になった発言にありますように(これらの3人の係官、いずれも制服ではなく背広・ワイシャツ姿でありましたが)ナントカ装置でありますので気がぬけません、一番若い係官はまだ修行が足りないのでありませうか、いかにもコーアン関係者の表情をしておりました、でも最後に県警からもフクシマなんかに行っているのかと尋ねましたら、そうです・・・・と若干不安げな表情を浮かべておりました
かようなしだいで、原発事故発生以来何やかや諸雑務に煩わされて、古希大接近中のヨッサリアン、すっかりバテてしまいまいた、ああうんざりだなぁ、まったく、今年の春は桜は咲いていたけれど花見はしなかったし、選挙も2度あったけれどアホらしくていずれも棄権したし、それにしてもフクシマはどうなることやらなどと、朝飯抜きの身でふらふらしながらいつもの川辺の道を帰ってきましたら、桜並木が見事な若葉に転じておりました・・・何があっても自然は確実にめぐり来るのであります・・・
写真を若葉の夜景(借景)です、よろしければクリックしてご覧くださいませ
おやすみなさい・・・