ヨッサリアンのアホ日記

滋賀近辺に出没する不良おっさんのウロウロ日記であります

にわか高級美術評論家ヨッサリアン、ボンバイについて考察するの記

2008-02-15 01:44:57 | ウロウロ日記

前回の日記でヨッサリアン、NAGAHAMA BOMBAI TENでBOMBAIの持つ言いようの用のない魔力のごとき魅力に取り付かれてしまったと記しましたが、これはほんとうに、まったく予期せぬことでありました(今日も、もう一枚BOMBAIの写真を掲載いたします、クリックしてご覧くださいませ)

このBOMBAIの持つ魔力あるいは魅力はいったい何に由来したものであろうか、BOMBAIが持つ美の本質はいったいいかなるものであるのか、ヨッサリアン、めずらしく若干マジメに考えたのであります

BOMBAIの美、それは人間が徹底的に自然をねじ伏せて、自然を己の望むとおりにコントロールすることにより人為的に生み出された、ひたすら人間の気まぐれな感性を満足させることだけを目的として美であります、そのコントロールの徹底ぶりというか、徹底して自然を捻じ曲げ、勝手気ままな好みの美を作り出そうという執念は、まことに感服に値するものであると同時に異様と言ってもよいものであります、ですからBOMBAIの美は異様な美なのであります、すなわち人間の手で閉ざされたと言ってもよい倒錯した美であるといっても過言ではないのであります

すなわちBOMBAIの美は、あの地上の楽園、八重葎庵の庭園が生み出す美の極北に位置するものであります、あの栄えある八重葎庵の美は、徹底して自然をコントロールしなかったことにより生み出された美であるからであります、八重葎案の美は、自然は自然のままに自由に振舞わしめよ、すなわちレッセフェール・レッセパッセ!自由放任主義というまことに寛大なるヨッサリアンの精神の成せる業により生み出された、あのモネさえ羨むであろう美であります、

では、BOMMBAIが醸し出す倒錯した美と、八重葎庵の放任主義が生み出す美と、いずれが優れた美であるのか、それは安易に結論づけることはできませぬ、

なぜなら、たとえば最近なメタボがどうのこうのと、太っていることは醜く、スリムであることが美であると思われがちでありますが、ことはそう簡単ではないからであります、なぜなら、気持ちよく自然がなすままにマルマルと豊かに太った肉体が美しいことだってあるからであります、そんなことあるもんかと信じない方は、
あの南米はコロンビアの画家、ヨッサリアンが大好きな画家の一人であるボテロ氏!(本名ですよ)の一連の作品をご覧あれ!(ボテロ氏をご存じない方は、たとえば以下のサイトをご覧くださいませ)

http://www.rakuten.co.jp/ny-poster/635902/636458/
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グッドナイト・グッドラック!