以前の記事ですが、再掲いたします。決して風化させてはならない事件です。
1989年6月4日、その大虐殺事件は起きました。
この事件については、多くの事実が隠蔽されているようです。しかも、中国共産党は、未だに弾圧の事実を認めません。しかし、英国国立公文書館が、2017年、この事件の機密文書を公開しています。当時の英国の中国大使アラン・ドナルド卿からの英国への公電として報告したものとのことです。
本記事は2019年にも掲載させて頂いておりますが、再掲載させていただきます。海外ニュース翻訳情報局様(2017/12/30)からの引用です。ありがとうございます。(一部省略があります。)
(引用ここから)
天安門事件についての機密文書が英国国立公文書館で公開されました。香港のニュースサイト「香港01」と英国インデペンデントの記事を紹介いたします。
元【The Independent by Adam Lusher 2017/12/23 、香港01 勞顯亮 2017/12/20】
INDEPENDENT誌の記事
'At least 10,000 people died in Tiananmen Square massacre, secret British cable from the time alleged'
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/tiananmen-square-massacre-death-toll-secret-cable-british-ambassador-1989-alan-donald-a8126461.html
英国国立公文書館が公開した機密文書を、香港のニュースサイト「香港01」の記者達が解読した。そのうちの一部は、人民解放軍警察の手入れ翌日、英国の中国大使アラン・ドナルド卿からの英国への公電である。
1989年の天安門広場の大虐殺による死亡者は少なくとも10,000人以上で、機密文書では「中国軍部隊に殺された」と断言している。
新たに機密扱いを解かれたこれらの文書は、この大虐殺から24時間も経たないうちに書かれたもので、記載された死亡者数は、これまで一般的に報道された約3000人をはるかに超えるものである。
また、大虐殺の悲惨な詳細も記されている。・・・負傷した女子生徒が命乞いをしたが、銃剣で突かれ、遺体が排水溝にホースの水で流され・・・怪我をした3歳の娘を助けようとした母親は銃撃され・・・・・。
1989年6月5日、中国の英国大使アラン・ドナルド卿によって報告されたこの事件に関する極秘公電は、英国国立公文書館に保管され、香港のニュースサイト「香港01」によって発見された。
大使は、この6月3日から4日の夜にかけての虐殺事件に関する情報は、中国の最高国家行政機関である国務院の「親友」と表現したある情報源によるものだと述べた。また、「情報源(国務院のメンバー)については、信頼性が証明されており、事実を憶測と噂から区別するよう注意していた。」と述べている。
この詳細を記した文書の中で、アラン卿は、「北京の天安門広場周辺の何千人もの民主主義推進デモ隊に対する『残虐行為』は、山西省27軍が実行した。」「27軍が出てくる前は、別の軍部隊が抗議者の中に非武装で割って入り、分散させようとしていた。」と述べている。
そして、「27軍のAPC(装甲兵員輸送車)が、群衆にむかって発砲した。そして、APCは時速65kmで一般市民も軍部隊兵士もともに轢いて行った。」としている。
アラン卿は次のように付け加えた。「学生たちは、広場で1時間の猶予を与えられると理解していたが、その5分後にAPCが攻撃を開始した。」「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが轢き殺された。そして、APCは何度も遺体を轢き、いわゆる遺体の『パイ』を作り、ブルドーザーが集めていった。遺体は焼却され、ホースの水で排水溝に流されていった。」
アラン卿は、「中国国務院の一部に、内戦勃発の危機が差し迫っているとの認識があり、天安門広場のデモ隊への激しい弾圧につながった。」と述べた。また彼は、鄧小平の共産主義政府が「最も信頼性でき、従順である。」との理由から27軍を選択したと推測している。
「27集団軍はダムダム弾*を使用し、狙撃兵は多くの一般市民を標的練習のために撃ったと言われている」と報告している。
・・・・・・・・
ダムダム弾*・・・ダムダムにあるダムダム工廠で製造された対人用拡張弾頭の総称。いずれも命中時に弾頭が裂け、肉体組織への激しい裂傷と止血しづらい銃創により体の末端部や腹部に命中しても殺傷力が高まるようになっている。戦争遂行には不必要なほどの殺傷力を持つとして、1899年にダムダム弾禁止宣言がなされ、体内で弾頭が変形する弾丸の使用が禁止された。
・・・・・・・・
アラン卿は、虐殺の悲惨な状況を次のように述べている。「27集団軍は誰にも救いを命じなかった。」「負傷した女子学生が命乞いをしたが、銃剣で突かれた。」「3歳の女の子が負傷したが、助けようとした母親も他の6人とともに撃たれた。」
公電では、虐殺は、最初の殺害の波の後でさえも続いたと主張している。「1000人の生存者は、逃げることができると言われたが、準備された機関銃によって銃撃された。」「救助をしようとした救急車が撃ち抜かれた。それは、中日友好病院の救急車だった。救命隊員が死亡したため、負傷した運転手が攻撃をかわし猛スピードで走ろうとしたが、対戦車火器によって爆破された。」
アラン卿は次のように書いている。「27軍の陸軍将校は、自身の軍隊によって撃たれた。軍隊が将校を射殺しなければ、彼らが撃たれていたと説明した」
アラン卿の公電の最後の文章は次のようになっている。
「一般市民の死者の数は、最低見積もっても10,000人」
この推定値は、中国政府が一般市民の死者の数として発表した数字200〜300人を大きく上回っている。死亡者数は明らかではなかったが、中国赤十字社は2,700人が死亡したと推定した。これもアラン卿が提示した数より少ないが、大虐殺についてのほとんどの報告は現在、赤十字の数字かそれに近いものが使われている。しかし、2014年の米国政府の機密文書によれば、中国の軍事関係者は体制内部調査から10,454人が死亡したと考えている、と報告している。これは、アラン卿の当初の推定に近い。
中国政府は、天安門広場での対応について、反乱暴動や反乱に対する正当な防衛であったと主張してきた。UPI通信社は、6月3日の夜、中国のテレビで繰り返し以下のような声明が放送されたと報じた。「今夜、重大な反革命者の反乱が起こった。凶悪犯罪者は人民解放軍の兵士を激しく攻撃し、武器を押収し、バリケードを建て、中華人民共和国政府を打倒しようと兵士や役人を襲った。」「人民解放軍は、何日も抑制努力を行ったが、今や反乱を断固として打ち消さなければならない。」「道理に耳をかたむけることを拒否する者は、彼らの行動や結果に全責任を負わなければならない。」
(引用ここまで)
まもなく34年になります。犠牲となった方々のためにも、歴史と正しく向き合い記録記憶に残し、中国共産党の実体を伝えるべきと考えます。
関連記事
「平和デモで国民を虐殺」 天安門事件で遺族が声明
https://www.sankei.com/article/20220602-3ABB4VIS4NNQDKMEDX4JAT5WWY/
日本の安全を守る会
1989年6月4日、その大虐殺事件は起きました。
この事件については、多くの事実が隠蔽されているようです。しかも、中国共産党は、未だに弾圧の事実を認めません。しかし、英国国立公文書館が、2017年、この事件の機密文書を公開しています。当時の英国の中国大使アラン・ドナルド卿からの英国への公電として報告したものとのことです。
本記事は2019年にも掲載させて頂いておりますが、再掲載させていただきます。海外ニュース翻訳情報局様(2017/12/30)からの引用です。ありがとうございます。(一部省略があります。)
(引用ここから)
天安門事件についての機密文書が英国国立公文書館で公開されました。香港のニュースサイト「香港01」と英国インデペンデントの記事を紹介いたします。
元【The Independent by Adam Lusher 2017/12/23 、香港01 勞顯亮 2017/12/20】
INDEPENDENT誌の記事
'At least 10,000 people died in Tiananmen Square massacre, secret British cable from the time alleged'
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/tiananmen-square-massacre-death-toll-secret-cable-british-ambassador-1989-alan-donald-a8126461.html
英国国立公文書館が公開した機密文書を、香港のニュースサイト「香港01」の記者達が解読した。そのうちの一部は、人民解放軍警察の手入れ翌日、英国の中国大使アラン・ドナルド卿からの英国への公電である。
1989年の天安門広場の大虐殺による死亡者は少なくとも10,000人以上で、機密文書では「中国軍部隊に殺された」と断言している。
新たに機密扱いを解かれたこれらの文書は、この大虐殺から24時間も経たないうちに書かれたもので、記載された死亡者数は、これまで一般的に報道された約3000人をはるかに超えるものである。
また、大虐殺の悲惨な詳細も記されている。・・・負傷した女子生徒が命乞いをしたが、銃剣で突かれ、遺体が排水溝にホースの水で流され・・・怪我をした3歳の娘を助けようとした母親は銃撃され・・・・・。
1989年6月5日、中国の英国大使アラン・ドナルド卿によって報告されたこの事件に関する極秘公電は、英国国立公文書館に保管され、香港のニュースサイト「香港01」によって発見された。
大使は、この6月3日から4日の夜にかけての虐殺事件に関する情報は、中国の最高国家行政機関である国務院の「親友」と表現したある情報源によるものだと述べた。また、「情報源(国務院のメンバー)については、信頼性が証明されており、事実を憶測と噂から区別するよう注意していた。」と述べている。
この詳細を記した文書の中で、アラン卿は、「北京の天安門広場周辺の何千人もの民主主義推進デモ隊に対する『残虐行為』は、山西省27軍が実行した。」「27軍が出てくる前は、別の軍部隊が抗議者の中に非武装で割って入り、分散させようとしていた。」と述べている。
そして、「27軍のAPC(装甲兵員輸送車)が、群衆にむかって発砲した。そして、APCは時速65kmで一般市民も軍部隊兵士もともに轢いて行った。」としている。
アラン卿は次のように付け加えた。「学生たちは、広場で1時間の猶予を与えられると理解していたが、その5分後にAPCが攻撃を開始した。」「学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが轢き殺された。そして、APCは何度も遺体を轢き、いわゆる遺体の『パイ』を作り、ブルドーザーが集めていった。遺体は焼却され、ホースの水で排水溝に流されていった。」
アラン卿は、「中国国務院の一部に、内戦勃発の危機が差し迫っているとの認識があり、天安門広場のデモ隊への激しい弾圧につながった。」と述べた。また彼は、鄧小平の共産主義政府が「最も信頼性でき、従順である。」との理由から27軍を選択したと推測している。
「27集団軍はダムダム弾*を使用し、狙撃兵は多くの一般市民を標的練習のために撃ったと言われている」と報告している。
・・・・・・・・
ダムダム弾*・・・ダムダムにあるダムダム工廠で製造された対人用拡張弾頭の総称。いずれも命中時に弾頭が裂け、肉体組織への激しい裂傷と止血しづらい銃創により体の末端部や腹部に命中しても殺傷力が高まるようになっている。戦争遂行には不必要なほどの殺傷力を持つとして、1899年にダムダム弾禁止宣言がなされ、体内で弾頭が変形する弾丸の使用が禁止された。
・・・・・・・・
アラン卿は、虐殺の悲惨な状況を次のように述べている。「27集団軍は誰にも救いを命じなかった。」「負傷した女子学生が命乞いをしたが、銃剣で突かれた。」「3歳の女の子が負傷したが、助けようとした母親も他の6人とともに撃たれた。」
公電では、虐殺は、最初の殺害の波の後でさえも続いたと主張している。「1000人の生存者は、逃げることができると言われたが、準備された機関銃によって銃撃された。」「救助をしようとした救急車が撃ち抜かれた。それは、中日友好病院の救急車だった。救命隊員が死亡したため、負傷した運転手が攻撃をかわし猛スピードで走ろうとしたが、対戦車火器によって爆破された。」
アラン卿は次のように書いている。「27軍の陸軍将校は、自身の軍隊によって撃たれた。軍隊が将校を射殺しなければ、彼らが撃たれていたと説明した」
アラン卿の公電の最後の文章は次のようになっている。
「一般市民の死者の数は、最低見積もっても10,000人」
この推定値は、中国政府が一般市民の死者の数として発表した数字200〜300人を大きく上回っている。死亡者数は明らかではなかったが、中国赤十字社は2,700人が死亡したと推定した。これもアラン卿が提示した数より少ないが、大虐殺についてのほとんどの報告は現在、赤十字の数字かそれに近いものが使われている。しかし、2014年の米国政府の機密文書によれば、中国の軍事関係者は体制内部調査から10,454人が死亡したと考えている、と報告している。これは、アラン卿の当初の推定に近い。
中国政府は、天安門広場での対応について、反乱暴動や反乱に対する正当な防衛であったと主張してきた。UPI通信社は、6月3日の夜、中国のテレビで繰り返し以下のような声明が放送されたと報じた。「今夜、重大な反革命者の反乱が起こった。凶悪犯罪者は人民解放軍の兵士を激しく攻撃し、武器を押収し、バリケードを建て、中華人民共和国政府を打倒しようと兵士や役人を襲った。」「人民解放軍は、何日も抑制努力を行ったが、今や反乱を断固として打ち消さなければならない。」「道理に耳をかたむけることを拒否する者は、彼らの行動や結果に全責任を負わなければならない。」
(引用ここまで)
まもなく34年になります。犠牲となった方々のためにも、歴史と正しく向き合い記録記憶に残し、中国共産党の実体を伝えるべきと考えます。
関連記事
「平和デモで国民を虐殺」 天安門事件で遺族が声明
https://www.sankei.com/article/20220602-3ABB4VIS4NNQDKMEDX4JAT5WWY/
日本の安全を守る会