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トンデモ八分@謎学の日々

気が向いた時に、いろんな謎や秘密を考えてみたい(とうぶん仮)

いっそのこと“和泉元彌宗家一座”にしたら?

2005-03-18 16:32:06 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
社団法人能楽協会と理事らに計2億円の損害賠償と、退会を決めた総会決議の無効確認を求めた訴訟の判決で、和泉元彌が全面敗訴。
Yahoo!ニュース - スポーツ報知 - 和泉元彌全面敗訴 退会無効請求地裁が棄却
そもそも、この裁判というか争いの源流は、和泉元彌が和泉流の狂言師達の異議を無視して、勝手に「和泉流二十世宗家」を名乗っていることに端を発しているわけだが、さらにこれにはもめごとの源流がある。
狂言はご存じの通り、奈良時代に大陸から渡来した散楽という芸能が猿楽となり、猿楽の能、能楽と進化するなかで、猿楽が本体持つ滑稽な「科(しぐさ)と白(せりふ)による喜劇」として室町時代に発展し、能狂言または能の狂言という。
狂言の流派は、室町時代後期には大和猿楽の狂言方によって大蔵(おおくら)流が成立、以後江戸時代初期には京都の狂言一座から鷺流と和泉流が成立した。
江戸時代には、大蔵・鷺流は幕府の直属として、また和泉流は尾張徳川家と前田家に召抱えられて栄えた。明治維新後、鷺流は途絶えたが、大蔵流と和泉流は今日に続いている。
ちなみに和泉流野村家は、前田家に召し抱えられていた狂言家である。
さて、ことは和泉元彌の父、元秀が尾張の和泉流山脇家の後継ぎとして養子に入り「山脇保之」と名乗り、その後芸名として「和泉流十九世宗家・和泉元秀」と名乗ったことから始まる。
当時、実力もあってだろうが、その名乗りがなぜ続いたのかは小生には良くわからないが、そもそも「和泉家」というのはなく、十九世というのも尾張・山脇家の十九世であって、和泉元秀は実は「和泉流山脇家十九世の芸名・和泉元秀」だったわけである。
だから元彌くんは「和泉流山脇家二十世の芸名・和泉元彌」なわけなのである。
元彌くんのこのお父さん元秀さんは、かなり強引なひとだったようで、元彌くん=つまり長男がなかなか生まれなかったものだから、本来の元秀の父、九世三宅藤九郎の後継者に、周りは弟・三宅右近を推していたのに、自分の次女祥子を継がせてしまっている。
このときから、他の狂言師たちと自称「和泉家」とのもめごとが始まっているようである。
まぁ、ともかくも、そもそもが自称・芸名なわけだから、あまり世間を騒がせてもいかがなものかとは思うが、和泉流のひとたちにはとんでも迷惑なことなのだろう。
芸力がどのくらいあるのかは小生には判断がつかないが、世間に言われるようにおままごとレベルであるならば、いっそのこと古典とかいわず“芸能・和泉元彌宗家一座”とかの劇団にして稼いだらどうだろうね。(実際そんな感じみたいだが、でも狂言の源流はそういう面がありのものだろうから)
小生は個人的には、あの元彌くんの狂言師とは思えないような舌足らずなしゃべり方が嫌いである。
ともかくも、俗事は元彌ママゴンにまかせて、本来の芸事で精進して下さい。
なお、小生の勘違い、間違いがありましたらご指摘下さい。

韓流と反日流の狭間で

2005-03-17 14:46:07 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
日本の対北朝鮮外交や6ヶ国協議への対応が手詰まりとなるなか、一連の竹島問題や、蔵王温泉スキー場の遭難韓国人旅行客捜索費不払い問題などが、タイミング悪く(良く?)次々におこり、東アジアにおける日本と周辺国との関係に閉塞感が起き始めている。Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 島根県「竹島の日」条例成立 小泉外交に閉塞感
今年は「日韓友情年」としようということで、
日韓友情年公式サイト
昨年来からの“韓流ブーム”の仕掛けなど、関係者(代理店D社とかNHKとか民放連とかをはじめとしてね)はいろいろ頑張ってきたんだろうけど、事前活動はなかなかうまくいったのに本番に暗雲、という状況になってきた。
そもそも、国と国(それも隣り合って、かつ長い歴史を抱えている)や民族と民族の友情を、ほんの1、2年ぐらいのしかけで盛り上げようという発想自体が、いかがなものかとは思う。
よく言われるように、日本人は“水に流す”文化だけど韓国や中国は云々、もあるだろうが、あらためて日本人のナイーブさを思ってしまう。ナイーブ:Naiveというのは、別に「傷つきやすい」とかという意味じゃなくて、本来の「無邪気な」とか「愚直な・だまされやすい・単純な・ばか正直な」などという意味なのだけど、ナイーブにならないことは、自国外と対する時に自身が最も注意を払わなければならないポイントだよね。
韓流ブームに踊るおばさん達については、特には、なにをかいわんやなのだが、民族的・文化的メンタリティの違い(違いがなくなることはない)を踏まえて、どうつきあっていくべきかを、そろそろじっくりとナイーブにならず考えるべき時にきているのだろうなぁ。
例えば、韓国での反日教育に対して、日本および日本人は何ができて何をなすべきか、とか。
あと、日本政府(国土交通省)も「ビジット・ジャパン・キャンペーン」とかで、
ビジットジャパン公式HP
“グローバル観光戦略”とやらを展開するのであれば、結局その主要対象は東アジア諸国になるわけだし。ようするに、大半の日本人観光客のようなおとなしくてナイーブな人ばかりでなく“良い人も悪い人も、おとなしい人もわがままな人も、好・恨相半ばな人も、お金がある人もそうでもない人も”と色々な人達がやってくることを前提として受け入れなければいけないし、より奥の深い日本・日本人と外国・外国人とのあり方も問われる。
各地方の観光地も、経済効果一辺倒ではなく、よく考えなければならない良い機会だよね。
というわけで、「日韓友情年」なのだけど、もうやめるわけにはいかないのだろうが、目論んでいたであろう皇室外交で大団円は無理でしょうね。というより、それはよした方が良いね。
安易な韓流ブームや嫌韓ではない、日本のあり方を示せるかどうかを考えたい、今日この頃です。

「太平洋市」その後~「山武市」に

2005-03-16 14:54:51 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
このブログでも取り上げた「太平洋市」問題は、その後、住民への名称募集の結果「山武市(さんむ市)」となることが決まった。Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「太平洋市」やめます 千葉4町村合併、山武市に
もともと山武郡なわけだから、収まるところにおさまったわけである。ちなみに、読みを「さんぶ」ではなく「さんむ」としたのは、過去にそう呼ばれていたからだそうである。
そうです、そういう歴史やならいは大事にしましょう。
ところで、各市町村400名づつ計1600名の無作為抽出による募集結果であるが、15通の宛先不明を除く1585通を送付、応募数は739通で、うち8通を無効とし731通を有効としたそうである。なお、無効は、記載なし4通、複数記載3通、明らかに新市の名称としてふさわしくないもの1通(明らかにふさわしくない名前ってなんだろう、ちょっと知りたい)。
「山武市(読みは「さんぶ」「さんむ」を合わせ)」としたものは196通で、ひらがな名での応募を合わせると計223通となったということである。
以前に、蓮沼村のひと400人がみんな「蓮沼市」と応募したらどうなるのだろう、と書いたことがあるが、みなさん良識がちゃんとはたらいて、妙な示し合わせテレパシーなどははたらかなかったようですね。「蓮沼市」と応募した蓮沼村のひとは4人でした。奥ゆかしいです。
「成東市」と書いた成東町のひとは27人もいました。「松尾市」と応募した松尾町のひとは1人でしたが、どうしたのでしょう。愛着が薄いのでしょうか。
なお、相変わらず「太平洋市」と書いたひとは14人いました。ちょっとひねって「東太平洋市」としたひとも1人いました。
なかには「リトルオークランド市」と名付けたひともいましたが、はて。
個人的には、「いちご市」(成東は苺で有名だそうです)や「すいか市」(たぶん西瓜も有名のでしょう)なんかが可愛いかったのですが。
詳しく募集結果を知りたい方は(各応募理由なども出ています)、山武中央合併協議会のHPでpdfファイルをダウンロードして下さい。山武中央合併協議会
ということで、どうやら落ち着くところに落ち着くようである。はじめからそうしていれば良いのにね。
合併が地元住民の方々の幸せに、少しでも貢献すればと思います。三位一体改革(西欧人には怒られそうな改革名称です)をものともせず、自律的な財政をつくっていただきたいと思います。
行政が“とほほ”なネタになってしまっては、しょうもないので。

田んぼに穴500=新種のミステリーサークルか!?

2005-03-15 13:54:09 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
兵庫県三田市桑原の田んぼに、穴500ヶ所が空けられ、土が1トンも無くなっているのが発見された。兵庫 田んぼの土1トン盗難 穴500カ所「どうやって…」 (産経新聞) - goo ニュース
穴はあぜ道に沿って洗面器大の大きさで空けられ、バケツを置いた跡や土を運んだトラックのタイヤ痕などもなく、いったい「どうやって運んだのか」。
現場の写真を見ていないので即断はできないが、これは新種のミステリーサークルなのか!?(違うだろうなー)
そもそもミステリーサークル(本来はクロップ・サークル:Crop Circleという。クロップとは田畑や果樹園のこと)とは、小麦畑などに突如出現するナゾの円形模様や幾何学模様で、イギリスで数多く出現し、その後、日本をはじめ世界各地で発見された。
写真は、2002年にイングランド、ウィルシャー州のウィンドミル・ヒル近くで出現した、とても美しい印章模様風のサークルである。
世界最古のミステリーサークルは、1678年、イングランドのハートフォードシャーで発見されたとされ、「悪魔が描いた」ものであるといわれたという。
これまでミステリーサークルは、主に小麦などをなぎ倒すかたちで描かれるわけだが、UFO説から自然現象説、人為説までさまざまな議論がなされている。
ミステリーサークルによってなぎ倒された小麦は折り倒されたわけでもなく、また、小麦の細胞膜孔に著しい変化が見られるとの調査結果がでるなど、急速な熱によって倒されたのでは、という観測もでるなど、単なる人為説では説明しきれずにナゾは解決されぬまま続いている。
さて、兵庫県の田んぼの穴であるが、ここにも人為的ではない変化や不思議があるのだろうか?
例えば穴の内部の土に、高い熱エネルギーなどによる変化があるとか。(ない、ない)
果たして、これは世界で初めて確認された新種のミステリーサークルなのかどうか、今後の調査が待たれるわけである。(そもそも立脚点が違うと思うけどねぇ)
ちなみに地元では「ガーデニングに使う(売る)ための土泥棒か」という、もっぱらの解釈のようではある。

キトラの男

2005-03-11 16:32:13 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀初めとされる)に埋葬されていた人骨の鑑定結果を、「男性で、年齢は50代の可能性が高い」と文化庁が発表した。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - キトラ古墳 被葬者は男性、50代の可能性高い 文化庁
キトラ古墳は、高松塚古墳とならんで飛鳥地方におけるこの時代を代表する古墳であり、石室内の天井の星宿図(天文図)や四方を守る四神=青龍(東)・朱雀(南)・白虎(西)・玄武(カメ/北)の壁画でも有名だ。
さてこの“キトラの男”である。いったい誰なのか。
7世紀末といえば、昨日話題にした蘇我氏本家が滅亡することとなった乙巳(いつし)の変=大化改新が645年だから、7世紀中葉。その後660年には日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍とが激突、日本・百済連合軍の敗退となる白村江の戦いが起きている。
蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子=天智天皇が没したあと、672年には、弟である大海人皇子と天智の息子である大友皇子とが皇位継承をめぐり戦う、壬申の乱が始まっている。
戦いに勝利した大海人皇子は天武天皇となり、彼の没後、天皇となった妻=持統天皇が新たに建設した藤原宮(奈良県橿原市)に遷都し、飛鳥を離れるのが694年。その後、天武と持統の孫である文武天皇が大宝律令(ようするに国家基本法)を編纂し終わり、中央集権国家としてのかたちを整えるのが701年で、文武の母=持統の姉妹=天智の娘=元明天皇(50歳)が平城京に遷都するのが710年である。このとき、65年前の乙巳(いつし)の変=大化改新において中大兄皇子=天智天皇を陰から支え暗躍した藤原(中臣)鎌足の息子、藤原不比等が実質的な最高権力者となっている。
と、ながながと日本史のお勉強のように書いてきたのだが、7世紀中頃から8世紀初頭のこの時代は激動の時代であったわけである。
東アジアにおいては、643年の高句麗(いまの北朝鮮)でのクーデターやその前年の百済でのクーデター、白村江の戦いでの百済の滅亡と、政変事変が多くあり、そのたびに日本へと有力者(有力一族)が亡命・移住している。
さて、“キトラの男”は誰だったのか。
小生は考古学者でも歴史学者でもないので、私見を持たないが、この時代はそれまでの氏族社会(ようするにシンボルである大王を支える有力氏族たちのあつまり)から、氏族の身分化を前提とした中央集権国家へと転換していく時代であり、氏族の象徴である古墳が消滅していく時代である。
684年には「八色の姓」という身分制が制定され、聖徳太子の「冠位十二階」では中級氏族の身分制に留まったものが、有力氏族の身分の整理にまで踏み込まれている。
ちなみに、このとき最高位の「真人」を与えられたのは「守山」「路」「高橋」「三国」「当麻」「茨城」「丹比」「猪名」「坂田」「羽田」「息長」「酒人」「山道」といった姓を持つ13氏族であり、継体天皇以降の天皇の後裔とされているので、もしこのなかに自分の名字があったら、あなたはもしかしたら古く由緒正しい一族の末裔かも知れない。
ともかくも、このような時代、キトラの男は古代から続く最後の有力氏族の族長だったかも知れない。
そして、ぜいたくに甘いものを食べ過ぎて虫歯に悩んでいた骨太の男、でもある。

蘇我氏の時代

2005-03-10 16:05:58 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
奈良県明日香村で、昨年3月に蘇我馬子の邸宅跡とみられる建物跡が発見されていた島庄遺跡で、7世紀前半~後半にかけての建物群がみつかった。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 島庄遺跡 蘇我氏滅亡前後の建物跡 奈良・明日香村
この建物跡は、蘇我馬子の子供である蘇我蝦夷や孫の蘇我入鹿によって増築されたものと推定され、日本の古代史における大きな転換点であった「大化改新(645年)」の時代の、中心的な舞台となった場所であると考えられる。
蘇我馬子が日本=ヤマトにおいて大きな権力を持っていたのは、6世紀後半から7世紀前半。かの聖徳太子とともに共同してヤマトを治め、冠位十二階の制定や仏教の興隆などに大きな役割を担った。
この時代は、世界史的にはどのような時代だったのか。
6世紀前半といえば、ヨーロッパ・イングランドではアーサー王の時代。
アーサー王はブリトン人の(イングランドのケルト系一族、もともとのイングランド人)伝説の王とされ、後代の作り話説もあるが、彼の時代から以降、イギリスにはサクソン人が次々に攻め入り、いまのイギリスがつくられていく転換期である。
また、6世紀後半にはピクト人(スコットランドのケルト系)の王がキリスト教に改宗するなど、この時代、辺境の地であったイギリスもキリスト教の波で覆われていく。
7世紀前半にはアラビア半島でイスラム教が興り、たちまちにして中東全体に拡大していく。
中国ではまさに日本の大化改新の年、玄奘(孫悟空の三蔵法師)がインドから帰国し、大量の仏典や仏具を持ち帰って、中国に仏教の勃興をもたらしている。
民族や宗教、国のかたちが大きく動き出す時代、と考えてもいいのだろうか。人間の歴史には、同時代的にいろいろな場所で、次の時代へと動き出す転換期がある。
日本も例外ではない。蘇我氏が隆盛を誇り、やがて滅ぼされてしまうこの時代も、まさにそのような時間をつくりだしていたと思われる。
やがて天皇制がかたちづくられ(天皇の呼称は7世紀後半の天武天皇から。それまでは大王(おおきみ)と呼ばれていた)、蘇我氏は大悪人とされ歴史に刻まれることになる。
通説に言われる蘇我=悪人説については、異論を唱える古代史家もいる。
時代の転換期には勝者と敗者が生まれ、歴史は勝者が語り、真実を隠蔽した謎も多い。

一見新しいものは常に“良し”なのか

2005-03-04 17:47:52 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
そろそろホリエモン劇場は第二幕に移ろうとしているのかとも思われるのだけど、何故か話題のホリエモン側弁護士である猪木(いぎ)氏が辞任。
なぜ審尋2回目も行わずに辞任したのかについては、いろいろ憶測が飛び交っているようだ。
ZAKZAK
まあ普通に考えても、弁護士が一旦着手した以上、それもこんなに早いタイミングなのだから、そうとうに弁護士本人として了解しきれないことがあとからわかったとか、ホリエモン側との深いギャップとか、かなり致命的なことがあったのだろうと憶測される。
紙面にあるように、本人が一応理由としている「取材に対する配慮に欠ける」云々とか、報酬面の行き違いとかではないような気はするが。(お金第一主義連合だとしたらあるかもだけど)
危うしホリエモン。
一方、若手を含むニッポン放送社員たちからも、ホリエモン・ノーの声が挙がり始めている。
同じくZAKZAK
先日のロイターのインタビューでも、価値があるのは「コンテンツ力」とかじゃなくて「リーチ(閲覧率)とブランド力」なんて、浅薄に語っているわけで、
ロイター3月2日
だいたい、ヤフーのオークションとの力量の差を埋めるためにフジを有効活用する、なんていうつまらない(だが彼の金儲けには重要な)話を例題にしているのには、正直少しあきれてしまった。
だいたいブランドというのは、至極カンタンに言えば、コンテンツ力など事業の中身をもとに、ユーザー(視聴者)とのコミュニケーションやユーザーからの評価によって形成するのであって、
つまり大本のコンテンツ力より、金になる入り口をどのぐらい増やせるか、にしか興味のないひとってのは、どうなの?ってことになってしまう。
若手だから、新しい発想だから、などは確かに大事だし、現在のような閉塞を破らなければいけない時代にはそれだけで支持・応援したくなる要因だけど、でもその分、新しければそれで“良し”なのかを充分に見極めなければいけない時代でもあるような気がする。
世間に大きな話題は投げかけるけど、でもほんものじゃあないよなぁ。
弁護士の猪木氏が辞めて「迷わず行けよ。イチ・ニー・サンッ・ダァーッ!」ですか(締めがくだらなくてすんまそん)。

自殺のP2P、もしくは“共自殺”

2005-03-01 16:29:27 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
P2P(Peer to Peer)というのは、端末同士をつなぐネットワーク方式のことで、著作権を無視した音楽ダウンロードで有名になったナップスターなどでご存じの方も多いかと思う。
このP=ピアとは、もともと同僚とか仲間とかの意味であり、つまりPeer to Peerとは仲間同士をつなぐという意味合いもある。
ネットワーク方式やネットワークソフトの意味と同時に、ネットワーク社会の思想的な意味合いからすれば、ある特定の趣味嗜好、考え方や志向などを持った不特定なひとたちを、きわめて簡単につなぐことのできるしくみ、ということだろうか。
従来の表現や意見、あるいは媒介するメディアというものが、発信者と受信者とに区分されていたのに対して、ネットワークの世界では端末どうしが直接的に表現や意見をつなげてしまうわけで、当然そこでは編集されていない混沌とした広がりが形成されてしまうから、必然的にピア=仲間(あるいは擬似的な仲間)どうしのより濃密な(つまり解り合える、といった)つながりが重視されていく。
また、そのなかから本来は出会うことのありえなかった人間間の関係性もつくられる。
そこで、また、集団自殺の記事である。
Yahoo!ニュース - 社会 - 読売新聞
ニュースでは安易に“集団”自殺と書かれることが多いが、集団というよりは“自殺のP2P”ということだろうか。
集団自殺でいえば、かつてアメリカのカルト教団が多数の信者を集団自殺させた事件があったが、つまりこのカルトのようにある求心力のもとに塊がつくられれば集団であるが、“自殺のP2P”ではこのような塊=集団が形成されているのではないだろう。
では、なぜ、何人かが一緒に自殺をおこなうのか。
以前にも触れたが、自殺とは究極の個的な選択行為のはずで、人間が最終的に個の存在として許された二者択一、つまり「生きるべきか、死ぬべきか」のうちのひとつの選択なのであり、もちろん社会通念や宗教、例えばキリスト教ではこの二者択一は許されてはいない。
ある自殺関連サイトで、自殺のなかにも共有できる関係性をもとめるから、というような解釈を読んだことがあるが。
自殺されたひとたちには、それぞれのこころの悩みや絶望があったのだろうし、それ自体を安易に否定や批判はできないが、やはり、例え共有できる関係性がもち合えたにせよ、それをジャンプボードに複数のひとが“共自殺”(という言葉はないけど)することには理解が至らない。
もし「自殺する直前に、ほんとうにわかりあえるひと(ひとたち)に出会えて幸せでした」ということであったなら、その“幸せ”がひどく哀しい。

合併も白紙~幻のかなたに、とほほ「南セントレア」

2005-02-28 18:19:15 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
南セントレアで話題沸騰となった愛知県・南知多町と美浜町の合併そのものが、とうとう住民投票で否定され、白紙撤回となるようである。
Yahoo!ニュース - 社会 - 読売新聞
住民の意識はすでに「南セントレア」という名前がどうのこうののアンケートレベルではなく、両町とも70%前後の人達が、合併そのものに対しNo!となった。
名前の付け方がトホホ、から、「合併は、住民無視のやり方」になってしまったのである。
最終的には法定合併協議会で結論が出されるだろうが、本人たちの望まない結婚を推し進めようとした親や親戚、みたいなもので、婚約期間中の婚約破棄に至ってしまった。
かくも、名前とは恐ろしいモノである。
なぜ合併したいのか(しなければあかんのかしら、というのがあったんだよね、たぶん)よりも、とほほネームが全てを象徴化してしまった。
結局、単にトホホというだけではなく、そこに住民無視の奥底がシンボライズされて拒絶、ということになってしまった。
まさに、名を呼べば天罰下る、となりにけり。あとは、なにをかいわんや、である。

血液型性格判断はナゾなのか

2005-02-25 22:27:34 | きょうの新聞ナゾネタ(不定期)
きょうの日経夕刊の「私もひと言」という地味な欄で、「血液型で性格判断」というお題をやっていた。
この欄は、主に女性がお題に対して意見を投稿する欄(ホームページから投稿できます)なのだけど、結果、見出しにあるように「結構あたっている/体のいいいじめでは」という賛否もの。(でも各意見の内容を読むと、ほとんど批判・否定的意見ですけど)
血液型で安易に性格評価をするケースが多く、勝手に決めつけるな、少数派のB型AB型いじめだ、などの意見がならんでいる。
それはそうです、血液型で安易に人格や性格を決めつけてはいけません、なのだけど、でも結構あたってるんだよなぁ、と思う人も多いはず。
かくいう小生も、ついついあいつはBだからとか、さらにはAO、BO、BBなどと細分化し、占い師のごとく性格占いまでしてしまう始末。
よく、地上波テレビで血液型性格判断のバラエティ番組を組んでおきながら、ニュースなどには病理学関係の専門家が出てきて「血液型と性格には因果関係も関連性もありません」とか流すのは、マッチポンプだよなぁ。(テレビの本質ですけど)
で、どうなんでしょ。
やはり、なぞですよねぇ。
科学的には否定されるが、風評的あるいはなんとなくの最大公約数的意見としては肯定されやすい、でも何故かがわからない、まさに謎学のテーマです。(そんなにおおげさではないけど)
今後もこのテーマを考えるかどうかはまだわかんないけど、人間の他者との関係性のあり方にキィがありそうだよね。
だいたい、ひとっつうのは、わかりやすく他者を評価(決めつけ)したがる。
「あのひとのここが嫌い」とか「ブス、かわいい、美人」とか「おやじだから汚い」とか。
それによって、自分と他人との距離や関係性、興味や無関心などを推し量ってかたちづくっていくのだろうけど、ようするに決めつけなんだよね。
(そうか、ズバリ言うわよ!か、このお題はまた別に考えよう)
ただ、公約数(みんながそう思うだろうという)が大きければ大きいほど正当化しやすい。
だから、血液型で決めつけないで、じゃなくて、決めつけたいから血液型、なんだろうなぁ。
どうも、まだ考えが至りません。(すんまそん)