昨晩は、近頃気に入っている映画「ビッグ・フィッシュ」(ティム・バートン監督)をDVDで鑑賞。
観ていない人には、まだ同映画のサイトが開いているので、詳しい内容はよければそちらで。
ビッグ・フィッシュ
この映画は、自分にとって最も身近な存在のひとりである筈の父親について、特に息子にとってはなんだけど、実は良くわかっていないなぞの人であるということを、あらためて考えさせてくれる作品。
現代のおとぎ話作家であるティム・バートンらしく、物語はいっかいのセールスマンである主人公の父親(そして父親が主人公)が、いつも自分が体験してきたことととして語ってきた荒唐無稽なホラ話と現実とが、美しく幻想的な映像として交錯しながら展開されていく。
いくら周りの人達が父親のホラ話を楽しんだとしても、息子にとってはいまだ理解できない父親の本当の姿~事実が知りたい。死が迫ってきている父親から、彼は本当の話を聞きたいのだけど。
やがて、父の臨終の間際に、彼は事実では伝えきれない父親の真実をようやく理解する。
自分の父が、どのような仕事をし、どういう経験をしてきたのか、何を思い生活をしていたのか。それは子供から大人になり一緒に過ごした時間、そして大人になってから客観的に他者として父親を見ようとすることによって、ある程度はわかっているつもりであっても、実は、ながい一生を生きた男としての父親を良くはわかっていない。
あらためて考えてみると、誰しもが大なり小なりそんなことに気づくかも知れない。
ふつうの父親は、この映画のように、自分のたどった経験をおとぎ話のように語ったりはしないかも知れないけれども、やはりそれぞれに自分の物語は持っているはずである。
そのことを子供はなかなか理解できないし、またわかろうとしないことが良くある。
父親の真実は、彼の物語のさらに奥底にあるはずであるのに。
一年前に父親を亡くした息子である自分は、どうなんだろう。
そんなことを想いながら観た映画でした。
観ていない人には、まだ同映画のサイトが開いているので、詳しい内容はよければそちらで。
ビッグ・フィッシュ
この映画は、自分にとって最も身近な存在のひとりである筈の父親について、特に息子にとってはなんだけど、実は良くわかっていないなぞの人であるということを、あらためて考えさせてくれる作品。
現代のおとぎ話作家であるティム・バートンらしく、物語はいっかいのセールスマンである主人公の父親(そして父親が主人公)が、いつも自分が体験してきたことととして語ってきた荒唐無稽なホラ話と現実とが、美しく幻想的な映像として交錯しながら展開されていく。
いくら周りの人達が父親のホラ話を楽しんだとしても、息子にとってはいまだ理解できない父親の本当の姿~事実が知りたい。死が迫ってきている父親から、彼は本当の話を聞きたいのだけど。
やがて、父の臨終の間際に、彼は事実では伝えきれない父親の真実をようやく理解する。
自分の父が、どのような仕事をし、どういう経験をしてきたのか、何を思い生活をしていたのか。それは子供から大人になり一緒に過ごした時間、そして大人になってから客観的に他者として父親を見ようとすることによって、ある程度はわかっているつもりであっても、実は、ながい一生を生きた男としての父親を良くはわかっていない。
あらためて考えてみると、誰しもが大なり小なりそんなことに気づくかも知れない。
ふつうの父親は、この映画のように、自分のたどった経験をおとぎ話のように語ったりはしないかも知れないけれども、やはりそれぞれに自分の物語は持っているはずである。
そのことを子供はなかなか理解できないし、またわかろうとしないことが良くある。
父親の真実は、彼の物語のさらに奥底にあるはずであるのに。
一年前に父親を亡くした息子である自分は、どうなんだろう。
そんなことを想いながら観た映画でした。