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トンデモ八分@謎学の日々

気が向いた時に、いろんな謎や秘密を考えてみたい(とうぶん仮)

ビッグ・フィッシュ

2005-03-09 15:51:36 | なぞの人、ひとのナゾ
昨晩は、近頃気に入っている映画「ビッグ・フィッシュ」(ティム・バートン監督)をDVDで鑑賞。
観ていない人には、まだ同映画のサイトが開いているので、詳しい内容はよければそちらで。
ビッグ・フィッシュ
この映画は、自分にとって最も身近な存在のひとりである筈の父親について、特に息子にとってはなんだけど、実は良くわかっていないなぞの人であるということを、あらためて考えさせてくれる作品。
現代のおとぎ話作家であるティム・バートンらしく、物語はいっかいのセールスマンである主人公の父親(そして父親が主人公)が、いつも自分が体験してきたことととして語ってきた荒唐無稽なホラ話と現実とが、美しく幻想的な映像として交錯しながら展開されていく。
いくら周りの人達が父親のホラ話を楽しんだとしても、息子にとってはいまだ理解できない父親の本当の姿~事実が知りたい。死が迫ってきている父親から、彼は本当の話を聞きたいのだけど。
やがて、父の臨終の間際に、彼は事実では伝えきれない父親の真実をようやく理解する。
自分の父が、どのような仕事をし、どういう経験をしてきたのか、何を思い生活をしていたのか。それは子供から大人になり一緒に過ごした時間、そして大人になってから客観的に他者として父親を見ようとすることによって、ある程度はわかっているつもりであっても、実は、ながい一生を生きた男としての父親を良くはわかっていない。
あらためて考えてみると、誰しもが大なり小なりそんなことに気づくかも知れない。
ふつうの父親は、この映画のように、自分のたどった経験をおとぎ話のように語ったりはしないかも知れないけれども、やはりそれぞれに自分の物語は持っているはずである。
そのことを子供はなかなか理解できないし、またわかろうとしないことが良くある。
父親の真実は、彼の物語のさらに奥底にあるはずであるのに。
一年前に父親を亡くした息子である自分は、どうなんだろう。
そんなことを想いながら観た映画でした。

なぞの人はどこにいる

2005-03-08 17:17:18 | なぞの人、ひとのナゾ
誰にでもひとりやふたりは「あの人はナゾだ」という、“なぞの人”をお持ちかと思う。
なぞの人=要するに理解不能な人、あるいはそういった側面を持っていて妙に気になってしまった人。または、踏み込んで近づき、理解するにはちょっとはばかられたり、勇気が必要とされるかも知れないような人。さらにまたは、理解できない不思議な魅力が感じられるような人‥‥‥。
なぞの人には様々な定義ができるだろう。
つまり、「ああ、あの人はこういうひとねっ」なんて簡単に定義付け(理解ではないのかも知れない、ひとを理解するって難しいからね)されてしまわれる人ではない、不思議な存在だったりする人である。
もちろん身近じゃないひとにも、そういう人が居たりする。
ひとは、その能力として瞬間的に他人を理解してしまった気がしたりする反面、なかなかわからなかったりするものでもある。
だから、わからない、つまり自分の理解の範疇にないひとがいたとして、別のひともその人にそういう印象を持ったりすると、共通理解としてナゾになる。
ということで、なぞの人。
わたしの場合、大学生時代(すごく昔)の知人に“なぞの人”がいた。
彼は同じサークルに入っていたわけど、なにせ年齢が不詳だった。(二十歳前後ではなかったらしい。もっとうえだと噂されていた)
この大学の学生ではないともいわれていた。(ニセ学生だったのか)
夜中に徘徊するのが趣味だそうだった。(泥棒とかではなかったらしい)
いちど、彼の地元近くにサークル合宿に行った際、彼は明け方、わたしを含め何人かを誘って散歩に出た。そしてしばらく歩いた後、ふいに近くにとめてあった知らないクルマに乗り込み、みんなを誘った。
「これ○○さんのですか?」
「いや、違うよ。誰のだか知らない」
「乗っていいんですか?」
「ここらへんではいいんだよ、ほら、キィもここにあるし」
(いいんかい!でもほんとにキィはあった。だいたいドア開いてたし)
「いいんすかね?」
「ここらへんではいいんだよ。あとで返しときゃ」
(ホントにいいんかい)
といって、猛スピードで走り出した。
そんな人だった。
わたしには、大学時代のあいだ、彼がナゾだった。
そんな彼が結婚し、家業を継いだと聞いたとき、少し心が落ち着いたりもしたが、数年前に不意に亡くなってしまったことを聞いた。
今になってから、それほど年は離れていなかったようだと気がついた。
それでも、学生時代に彼がなにを考えているのかがわからなかったように、その後、何を思って短い人生を過ごしたかについても、理解が届かないような気がしていた。

次回は、もう少しわかりやすい“なぞの人”(そんなのいるんかい!)を捜してみます(このカテゴリーは続くんかい!)。