靖国神社への首相参拝問題。
それについての日本遺族会の見解を受けて、産経が社説を載せている。
Sankei Web 産経朝刊 主張 - 靖国参拝問題 何だったのか遺族会見解(06/15 05:00)
小泉純一郎首相の靖国神社参拝に関して、日本遺族会が十一日まとめた「近隣諸国への配慮が必要」とする見解を一体どう受け取ればよいのだろう。
遺族会の総意なのか、それとも会長を務める自民党の古賀誠元幹事長の個人的な考えなのか。このままでは、この見解が世界を駆け巡り、首相に靖国参拝をさせないという国際的圧力に転化しかねない。
見解は、「首相参拝は遺族会の悲願」としたうえで、「英霊が静かに休まることが大事だ。近隣諸国に配慮し、理解してもらうことが必要だ」としている。同時に、靖国神社に合祀(ごうし)されている「A級戦犯」分祀(ぶんし)に「政治は介入すべきでない」とし、靖国神社に代わる追悼施設の建設には引き続き反対する-を打ち出している。
これでは何を言おうとしているのか、さっぱりわからない(後略)
おそらくはこの見解は、自民党元幹事長である古賀誠・日本遺族会会長の個人的、政治的意見をもとにつくられたものなのだろうが、ようするに簡単に言えば「遺族会の主張や立場は変わらないが、中韓に配慮しない小泉首相には(どうせもう首相任期も少ないのだから)参拝は遠慮してもらおう」ということなのだろう。
遺族会会長の立場を利用した、古賀氏の相変わらずの姑息な揺さぶりである。
さて、靖国神社とA級戦犯合祀、参拝問題については多くの意見があるが、誤解を恐れず小生のごく私的な意見を簡単に書いておきたい。普通には、きわめて特殊と思われる見方かも知れないが。
靖国問題のカギとされるのは、A級戦犯の合祀であるだろう。
第二次世界大戦で日本を軍国主義に導き、周辺諸国を侵略して多くのひとを犠牲にした戦争犯罪人として戦勝国から認定されたA級戦犯を、一般の英霊と合祀する、そしてそこに参拝するのは大きな誤りであるという論がある。
死罪とされたA級戦犯について、その罪の軽重を問うつもりはないが、実はこういった国家犯罪者とされたひとが神社に祀られるのも日本の宗教的考え方だと、小生は思っている。
神社は、それぞれの先祖神=先祖霊を祀る場所であると同時に、為政者や氏族により自らの意に反した境遇や死をもたらされてしまったひとを祀る場所でもある。このようなひとの魂を祀るとは、つまり怨霊となりそののちに、わざわいをもたらすのを防ぎ鎮めるためであった。そこには、そのときにクニや氏族の方針に反する行為を行ったからだとしても、無理矢理に死に至らしめた負の思いがあるからであり、また死んだあとでもわざわいを為すようなそのひとの強いパワーを鎮める必要があったからだ。
歴史的に著名な例としては、保元の乱に敗れて流され死んだ崇徳上皇(崇徳天皇廟、高家神社など)、菅原道真(全国の天神社)、平将門(神田明神や首塚)などがある。
そこにはもはや、一般的な意味での善悪はなく、ただ鎮め、祀るのみである。
靖国神社では戦争犯罪人を神として祀っており、それを拝むのはなんたることだ、という意見があるが、そもそも日本における神は一神教における神とは全く異なる概念であるし、拝むのも一神教の神に自らの身を捧げるために拝するのとは全く異なる。
あらためて書くが、“鎮める”=霊を落ち着かせるために、参拝するのである。
それを、日本人も混同しているし、ましてや外国人にはとうてい理解ができない。
宗教的なものをすべて否定し、ただ政治と軍事と経済にのみよって立つ1党独裁の国である中国に理解してもらおうということ自体、およそ無理な話である。
おそらくこのように伝統的かつ固有の宗教観を有しているのは、先進国では日本ぐらいかも知れない。(イスラエルはまた違った意味で、固有の宗教を有している)
しかし、その国の戦争で亡くなった霊をどのように鎮めるかは、他国が政治的に介入するものではないし、他国の主張を受けて自国の政治家が政治的に利用するものでもない。
靖国神社は明治維新以降の戦争で亡くなった兵士の、あるいは無念や様々な思いを鎮める場所であり、戦争犯罪人とされたA級戦犯をも、そうだからこそ鎮めなければならない場所なのである。
簡単に意見をと思いましたが、なかなか書ききれません。また、わかりにくいかも知れません。
またあらためて、書いてみたいと思います。
それについての日本遺族会の見解を受けて、産経が社説を載せている。
Sankei Web 産経朝刊 主張 - 靖国参拝問題 何だったのか遺族会見解(06/15 05:00)
小泉純一郎首相の靖国神社参拝に関して、日本遺族会が十一日まとめた「近隣諸国への配慮が必要」とする見解を一体どう受け取ればよいのだろう。
遺族会の総意なのか、それとも会長を務める自民党の古賀誠元幹事長の個人的な考えなのか。このままでは、この見解が世界を駆け巡り、首相に靖国参拝をさせないという国際的圧力に転化しかねない。
見解は、「首相参拝は遺族会の悲願」としたうえで、「英霊が静かに休まることが大事だ。近隣諸国に配慮し、理解してもらうことが必要だ」としている。同時に、靖国神社に合祀(ごうし)されている「A級戦犯」分祀(ぶんし)に「政治は介入すべきでない」とし、靖国神社に代わる追悼施設の建設には引き続き反対する-を打ち出している。
これでは何を言おうとしているのか、さっぱりわからない(後略)
おそらくはこの見解は、自民党元幹事長である古賀誠・日本遺族会会長の個人的、政治的意見をもとにつくられたものなのだろうが、ようするに簡単に言えば「遺族会の主張や立場は変わらないが、中韓に配慮しない小泉首相には(どうせもう首相任期も少ないのだから)参拝は遠慮してもらおう」ということなのだろう。
遺族会会長の立場を利用した、古賀氏の相変わらずの姑息な揺さぶりである。
さて、靖国神社とA級戦犯合祀、参拝問題については多くの意見があるが、誤解を恐れず小生のごく私的な意見を簡単に書いておきたい。普通には、きわめて特殊と思われる見方かも知れないが。
靖国問題のカギとされるのは、A級戦犯の合祀であるだろう。
第二次世界大戦で日本を軍国主義に導き、周辺諸国を侵略して多くのひとを犠牲にした戦争犯罪人として戦勝国から認定されたA級戦犯を、一般の英霊と合祀する、そしてそこに参拝するのは大きな誤りであるという論がある。
死罪とされたA級戦犯について、その罪の軽重を問うつもりはないが、実はこういった国家犯罪者とされたひとが神社に祀られるのも日本の宗教的考え方だと、小生は思っている。
神社は、それぞれの先祖神=先祖霊を祀る場所であると同時に、為政者や氏族により自らの意に反した境遇や死をもたらされてしまったひとを祀る場所でもある。このようなひとの魂を祀るとは、つまり怨霊となりそののちに、わざわいをもたらすのを防ぎ鎮めるためであった。そこには、そのときにクニや氏族の方針に反する行為を行ったからだとしても、無理矢理に死に至らしめた負の思いがあるからであり、また死んだあとでもわざわいを為すようなそのひとの強いパワーを鎮める必要があったからだ。
歴史的に著名な例としては、保元の乱に敗れて流され死んだ崇徳上皇(崇徳天皇廟、高家神社など)、菅原道真(全国の天神社)、平将門(神田明神や首塚)などがある。
そこにはもはや、一般的な意味での善悪はなく、ただ鎮め、祀るのみである。
靖国神社では戦争犯罪人を神として祀っており、それを拝むのはなんたることだ、という意見があるが、そもそも日本における神は一神教における神とは全く異なる概念であるし、拝むのも一神教の神に自らの身を捧げるために拝するのとは全く異なる。
あらためて書くが、“鎮める”=霊を落ち着かせるために、参拝するのである。
それを、日本人も混同しているし、ましてや外国人にはとうてい理解ができない。
宗教的なものをすべて否定し、ただ政治と軍事と経済にのみよって立つ1党独裁の国である中国に理解してもらおうということ自体、およそ無理な話である。
おそらくこのように伝統的かつ固有の宗教観を有しているのは、先進国では日本ぐらいかも知れない。(イスラエルはまた違った意味で、固有の宗教を有している)
しかし、その国の戦争で亡くなった霊をどのように鎮めるかは、他国が政治的に介入するものではないし、他国の主張を受けて自国の政治家が政治的に利用するものでもない。
靖国神社は明治維新以降の戦争で亡くなった兵士の、あるいは無念や様々な思いを鎮める場所であり、戦争犯罪人とされたA級戦犯をも、そうだからこそ鎮めなければならない場所なのである。
簡単に意見をと思いましたが、なかなか書ききれません。また、わかりにくいかも知れません。
またあらためて、書いてみたいと思います。