*(注)この記事は思春期のP.D.D(広汎性発達障害主にアスペルガー症候群・高機能自閉症)A.D.H.D等の発達障害児・者、保護者、周囲で彼らに関わる方々に宛てた私からの発言・問題提起の記事です。相当に激辛の記事ですのでご注意下さい。悪意と受け取られなければ幸いです。*
ブログを開設して2年が経過してこのブログの性格が顕かになって来ました。支援教育・発達障害・自閉症研究ブログ。なかなか気軽にコメントし難い内容ですが訪問戴ければそれなりの質の記事は確保できていると自負しています。私もP.D・Dの2人の子供たちを育てていますが、少しスタンスが違うようです。最近、この年齢(59歳)になって、より鮮明にP.D.Dの症状が私自身に顕れている様に感じられるのです。と言うより。私もPDD者だとカミング・アウトしたスタンスで発言しようと思うようになりました。私の15歳思春期の真っ只中は1964年の事でした。所謂団塊世代の私はひたすら、周りから行動様式、仕草、言動等が可笑しいと変だと言われて生きてきましたが、学習面で秀でることを目指して、行動、言動が周囲と変わっていてもその道では他の追従を許さない認めさせることで周囲に溶け込もうとしました。家の目の前に中江病院と言って当時東京以北第1の規模の精神病院がでんと聳え立っていましたから、友達から『あいつ、家が精神病院のまん前だからそれで気が可笑しい、直ぐに入院』と陰口を言われる事を恐怖し又、自分でも自分の精神的幼稚性・発達の遅れや、協調性の無さに悩んでいました。あだ名は『きちがい』。私の名前『吉裕』の吉はきちと読めるので『きちゆう』転じてのものでした。当時は自閉症と言う言葉がちらほらマスコミで取り上げられていましたが、自閉症の日本での報告があってから12年しか経過しておらず、まして、アスペ、高機能自閉症と言う言葉すら存在していなかったのです。私は普通になる道を他人より優秀になることで実現してきたつもりです。今では考えられない十数倍の競争率の入試もクリアーして、学生時代も変人と言われながらもそれなりの尊敬も勝ち得てきました。他人に何も言わせないほどの圧倒的迫力の別格の存在になることが、自分の抱えている障害(?)を隠す戦略でした。以前の気の弱い私を知らない大学からの知人が言うにはオーラ・カリスマ性が抜きん出てあるそうです。初期の頃の教え子の印象も『何時もピリピリして神経質で近寄りがたいけど、特別なオーラを発している』でした。でも何処か違和感を抱いて生きてきました。ものの感じ方考え方がやはりスケールからはみ出てしまうのです。カレンダー計算の謎の解明を37年掛かりで終えて(掛かりすぎですが)からP.D.D(広汎性発達障害)の子供たちの心が自分の気持ちとして分るようになって来ました。
カレンダー計算の謎の解明は言葉のコミュニケーションで困難を抱える彼らの頭の中の考え方を代弁したいとの判断があったからです。単に彼らの計算力の見事さに驚くのではなく、背景を理解して欲しかったのです。計算力に才能を示す自閉症児の親でも、何故子供がその様な計算が可能なのかについては自分とは関係ないというスタンスの保護者が多いのです。このカレンダー計算の謎の解明を終えて初めて親としてあれこれと子供たちのことを気にかけるスタンスを卒業して、人生を共にする同志として、2人を意識しています。今年4月から娘は社会人になり、ゆくゆくは支援学校の教員になりたいとの意志を持つようになりました。、中3の息子の身長が180cmに近くなり、カナー型の自閉症独特の面白い人格形成を重ねる思春期を思う存分生きている事も心境の変化の要因になっているのでしょうか。しかし、ブログを展開して感じる事は、子供たちの気持ち・心とシンクロした人生観を持つことの困難さです。お年寄りと同じ負荷を背負い立ち振る舞い経験をして初めて困難さが理解出来たり、特殊な装置で視力を失うシミュレーションをして初めて目が見えないことの不自由さが実感出来るようになったりしますが、それはあくまで障害のマイナス面のシミュレーションです。現実の障害を実感して毎日暮らすこととの間を埋める必要があります。又、障害が必ずしもマイナス面だけでは無く、逆にプラス面があることに気づき新たな生き方が可能になる点も見逃しがちです。嘗ては健常だった機能を喪失した不自由さとそれと引き換えに獲得した瑞々しい感性の質。過去は健常だった障害者のコメントに溢れている感性の質の転換は健常者の感性では理解し難いのです。失って初めて分る感性の質があるのです。支援学校の保護者の発言やブログでお子さんに関する記述には自閉症児などの発達障害児の親になって初めてP.D.Dの事が理解できた、そうでなければ理解しないで生きていたとの発言が目立ちます。でも、反発・反感を覚悟の上できついことを敢えて言わせて貰えば、子供の障害をありのまま理解したわけでもなく、障害を抱える子供の気持ちを深いところまで理解した訳でもなくそれは、同じ障害を抱えた障害児の親の気持ちを理解しただけでしかないように思います。発達障害児の親の気持ちでしかないのです。それと、『我が子が発達障害を抱えなければその障害の存在を知らないで一生過ごしたかも』という意識がはらむ自分自身が慣れ親しんできた現状の社会の貧困な障害観に全ての問題が集約されているのにそれに無頓着で無批判に認めてしまうのでは、単に親がはからずも障害児を産んでしまった不運の慰めあいを、支援活動、ブログでしている様に感じられるのです。障害児を持たなければ理解できないのなら障害を社会にきちんと理解させる事は端から頓挫している事になるのですから。この意識を自ら認めれば全ての人が障害児・者を産み育てなければ自閉症などの発達障害は理解もされずに一生無縁で過ごせる事になります。それでは障害児・者と無縁の生活を送る圧倒的多数の人たちに何も発信・発言・問題提起も出来なくなります。だから『心があと一歩届いていませんよ。』と感じるのです。(発達障害関連の支援活動、ブログの全てがそうだと言っているのではありませんし、こちらの頭が下がる程の素晴らしい、支援活動を展開していたり、視点の優れたブログも多数存在しています。)<誰もがこの過程を通るので非難・批判しているのではなく、何十年も前に通過した者の皆様のこれから先を期待しての発言と捉えてくだされば幸いです。>もちろん親の気持ちを尊重し理解して初めて療育・教育の支援が可能になるのですが、大切な事はその先に有るのです。大胆に主張すれば次のような意見の展開になります。
『この世の中に病気・障害と一生無縁な人生は有り得ない。いつもそれらと微妙な関係で生きている。背中合わせかもしれない。気がつかないのは感性が鈍磨しているからなのだ。交通事故で高次脳機能障害になる人もいる。なって初めて苦しみに打ちのめされる。運悪く学校のプールの事故で脳障害になり知的障害児になるかもしれない。年をとれば認知症の家族を抱えるかもしれない。子供が健常に生まれても高熱に冒され知的障害を抱えるかもしれない。高熱に冒される危険性は幼児期には高いのだ。人はそれぞれ生きている。今は無縁でも他の人が苦しんでいる事は、とりもなおさず我が事の延長上にあることだ。陥って初めて実感するのは自分の生き方に無頓着すぎたと言う事だ。宝くじに当たる人もいれば障害を何らかの形で抱える人もいる。でも、ひょつとして無縁と思えた障害が宝くじ以上に自分の人生に輝きを与えるものだと気がついて欲しい。周りを見回せば障害・病気を乗り越え豊かな心で、それ以前の人生より深い生き方を病気・障害体験から学び教わり生きている人が何人もいる筈だ。苦しみの向こうにしか今の自分と愛する者の未来が描けないなら自分の不幸を嘆かずに寧ろ運良く与えられた人生の試練と思って明るく、粘り強く生きていくその先に光が見えるはずだ。病気・障害が人生を味わい深くしその人を育てる肥やしになるのにみすみすチャンスを無駄に見逃している事が如何に多いことだろうか。2年ほど前に女性哲学者の池田晶子さん(『14歳からの哲学』の著者、是非読んで下さい)が週刊誌のコラムに『オカルト、UFOとかの超常現象を信じたり、驚きたがる人の感性を批判して、どうしてこの手の人に限って自分が存在している事の神秘さに鈍感なのか、自分がこの世に生を受けている不思議さに第一に驚くべきなのに』との趣旨の文章を書いていました。身近な事を当たり前と片付けて科学的に立証できない自分の存在からかけ離れた遠くの怪奇事件を自分流に解釈して『科学では解明できない現象だ』と言う人は粗雑な思考しか展開できてないのです。身近な事を深く掘り下げて考える事こそ思考の名に値する行為なのだと思います。私も彼女の意見に同感でした。同じ時期に私達が人として誕生する確率を或る本を読んで知っていたからです。遺伝学者の木村資生さんによれば1億円の宝くじの1等に連続100万回当たり続ける確率と同じだそうです。気の遠くなるほどの奇跡なのです。まして、お子さん達は生まれつき障害を持つなど有り得ない奇跡の連続に恵まれてこの世に生をうけたのです。さらに木村さんの分子進化の中立説に基づけば進化は適者生存だけではなくてサバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト、この世に幸運にも生き残ることを許された生命進化が在り得るのです。そう考えると何か子供たちの障害が特別な試練と言うか或る任務を担ってのものだと考えれませんか。Something Great(木村資生さんの表現です)なものが私達に何かの試練を与えたのだと思います。私は自分の子供たちをこのように思い育てて来ました。『仮に例え、近いうちに癌で死ぬ運命だとしても嘆かず笑みを浮かべる生き方をしたいものだ。』
2人のP.D.D児を育ててこのような人生観を持てた自分は幸せだと今思うのです。
親亡き後の子供の人生をひたすら心配する親の気持ちは敢えて非難を覚悟で言うと「生と死の突き詰めが甘い」「子供の障害という何か豊かな資質、宝を持った可能性を尊重出来ない、親の価値観の狭さ、親のエゴ」の様に思えるのです。』
私がカレンダー計算に37年かけた背景には自閉症児のものの見方、理解の仕方を外から客観的に眺める研究者・療育者・教育者・専門家の視点に物足りなさを感じたことがあります。カレンダー計算の謎の解明が終了してからは、もう一歩踏み出した支援の在り方を考えるようになりました。支援する側の思い込みではなくて、支援を受ける側が望む支援が本当の支援です。恐らくこのようなスタンスの違いが微妙に顕れているようです。孤立化するP.D.D者の業と言うものでしょか?でも、このスタンスを理解して戴きたいとの気持ちは強いのです。恐らくお子さん達も『親は当たり前の生き方を望んでいる。でも、それは、自分を押し殺す道だ。だからと言って自分の特性を思う存分だせば、孤立する。でも親には自分の気持ちを理解して支えて欲しい』と言う気持ちの板ばさみ(ジレンマ)のストレスに苛まれれていると思います、特に高機能自閉症、アスペのお子さんが共通して抱える悩みです。障害を抱えることに起因するプラス面である感性的特性の再評価を積極的にして欲しいのです。自分たちの当たり前過ぎる価値観をエポケー(判断停止)して、子供の価値観・性格特性を見直して評価して下さい。私の思春期に苦しんだ様な社会常識との違和感を埋めようとの無駄な努力に才能・天分を擦り減らされないようにもう一歩踏み出せる余裕があれば歩み寄ってみては如何でしょうか?自分なりの人生の反省とそれを踏まえての呼びかけと、うまく自分を表現できないお子さん達の代弁者として敢えて問題提起してみました。
『カレンダー計算の謎の解明』の記事は下記より
http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/9275631.html
2008年7月31日
ブログを開設して2年が経過してこのブログの性格が顕かになって来ました。支援教育・発達障害・自閉症研究ブログ。なかなか気軽にコメントし難い内容ですが訪問戴ければそれなりの質の記事は確保できていると自負しています。私もP.D・Dの2人の子供たちを育てていますが、少しスタンスが違うようです。最近、この年齢(59歳)になって、より鮮明にP.D.Dの症状が私自身に顕れている様に感じられるのです。と言うより。私もPDD者だとカミング・アウトしたスタンスで発言しようと思うようになりました。私の15歳思春期の真っ只中は1964年の事でした。所謂団塊世代の私はひたすら、周りから行動様式、仕草、言動等が可笑しいと変だと言われて生きてきましたが、学習面で秀でることを目指して、行動、言動が周囲と変わっていてもその道では他の追従を許さない認めさせることで周囲に溶け込もうとしました。家の目の前に中江病院と言って当時東京以北第1の規模の精神病院がでんと聳え立っていましたから、友達から『あいつ、家が精神病院のまん前だからそれで気が可笑しい、直ぐに入院』と陰口を言われる事を恐怖し又、自分でも自分の精神的幼稚性・発達の遅れや、協調性の無さに悩んでいました。あだ名は『きちがい』。私の名前『吉裕』の吉はきちと読めるので『きちゆう』転じてのものでした。当時は自閉症と言う言葉がちらほらマスコミで取り上げられていましたが、自閉症の日本での報告があってから12年しか経過しておらず、まして、アスペ、高機能自閉症と言う言葉すら存在していなかったのです。私は普通になる道を他人より優秀になることで実現してきたつもりです。今では考えられない十数倍の競争率の入試もクリアーして、学生時代も変人と言われながらもそれなりの尊敬も勝ち得てきました。他人に何も言わせないほどの圧倒的迫力の別格の存在になることが、自分の抱えている障害(?)を隠す戦略でした。以前の気の弱い私を知らない大学からの知人が言うにはオーラ・カリスマ性が抜きん出てあるそうです。初期の頃の教え子の印象も『何時もピリピリして神経質で近寄りがたいけど、特別なオーラを発している』でした。でも何処か違和感を抱いて生きてきました。ものの感じ方考え方がやはりスケールからはみ出てしまうのです。カレンダー計算の謎の解明を37年掛かりで終えて(掛かりすぎですが)からP.D.D(広汎性発達障害)の子供たちの心が自分の気持ちとして分るようになって来ました。
カレンダー計算の謎の解明は言葉のコミュニケーションで困難を抱える彼らの頭の中の考え方を代弁したいとの判断があったからです。単に彼らの計算力の見事さに驚くのではなく、背景を理解して欲しかったのです。計算力に才能を示す自閉症児の親でも、何故子供がその様な計算が可能なのかについては自分とは関係ないというスタンスの保護者が多いのです。このカレンダー計算の謎の解明を終えて初めて親としてあれこれと子供たちのことを気にかけるスタンスを卒業して、人生を共にする同志として、2人を意識しています。今年4月から娘は社会人になり、ゆくゆくは支援学校の教員になりたいとの意志を持つようになりました。、中3の息子の身長が180cmに近くなり、カナー型の自閉症独特の面白い人格形成を重ねる思春期を思う存分生きている事も心境の変化の要因になっているのでしょうか。しかし、ブログを展開して感じる事は、子供たちの気持ち・心とシンクロした人生観を持つことの困難さです。お年寄りと同じ負荷を背負い立ち振る舞い経験をして初めて困難さが理解出来たり、特殊な装置で視力を失うシミュレーションをして初めて目が見えないことの不自由さが実感出来るようになったりしますが、それはあくまで障害のマイナス面のシミュレーションです。現実の障害を実感して毎日暮らすこととの間を埋める必要があります。又、障害が必ずしもマイナス面だけでは無く、逆にプラス面があることに気づき新たな生き方が可能になる点も見逃しがちです。嘗ては健常だった機能を喪失した不自由さとそれと引き換えに獲得した瑞々しい感性の質。過去は健常だった障害者のコメントに溢れている感性の質の転換は健常者の感性では理解し難いのです。失って初めて分る感性の質があるのです。支援学校の保護者の発言やブログでお子さんに関する記述には自閉症児などの発達障害児の親になって初めてP.D.Dの事が理解できた、そうでなければ理解しないで生きていたとの発言が目立ちます。でも、反発・反感を覚悟の上できついことを敢えて言わせて貰えば、子供の障害をありのまま理解したわけでもなく、障害を抱える子供の気持ちを深いところまで理解した訳でもなくそれは、同じ障害を抱えた障害児の親の気持ちを理解しただけでしかないように思います。発達障害児の親の気持ちでしかないのです。それと、『我が子が発達障害を抱えなければその障害の存在を知らないで一生過ごしたかも』という意識がはらむ自分自身が慣れ親しんできた現状の社会の貧困な障害観に全ての問題が集約されているのにそれに無頓着で無批判に認めてしまうのでは、単に親がはからずも障害児を産んでしまった不運の慰めあいを、支援活動、ブログでしている様に感じられるのです。障害児を持たなければ理解できないのなら障害を社会にきちんと理解させる事は端から頓挫している事になるのですから。この意識を自ら認めれば全ての人が障害児・者を産み育てなければ自閉症などの発達障害は理解もされずに一生無縁で過ごせる事になります。それでは障害児・者と無縁の生活を送る圧倒的多数の人たちに何も発信・発言・問題提起も出来なくなります。だから『心があと一歩届いていませんよ。』と感じるのです。(発達障害関連の支援活動、ブログの全てがそうだと言っているのではありませんし、こちらの頭が下がる程の素晴らしい、支援活動を展開していたり、視点の優れたブログも多数存在しています。)<誰もがこの過程を通るので非難・批判しているのではなく、何十年も前に通過した者の皆様のこれから先を期待しての発言と捉えてくだされば幸いです。>もちろん親の気持ちを尊重し理解して初めて療育・教育の支援が可能になるのですが、大切な事はその先に有るのです。大胆に主張すれば次のような意見の展開になります。
『この世の中に病気・障害と一生無縁な人生は有り得ない。いつもそれらと微妙な関係で生きている。背中合わせかもしれない。気がつかないのは感性が鈍磨しているからなのだ。交通事故で高次脳機能障害になる人もいる。なって初めて苦しみに打ちのめされる。運悪く学校のプールの事故で脳障害になり知的障害児になるかもしれない。年をとれば認知症の家族を抱えるかもしれない。子供が健常に生まれても高熱に冒され知的障害を抱えるかもしれない。高熱に冒される危険性は幼児期には高いのだ。人はそれぞれ生きている。今は無縁でも他の人が苦しんでいる事は、とりもなおさず我が事の延長上にあることだ。陥って初めて実感するのは自分の生き方に無頓着すぎたと言う事だ。宝くじに当たる人もいれば障害を何らかの形で抱える人もいる。でも、ひょつとして無縁と思えた障害が宝くじ以上に自分の人生に輝きを与えるものだと気がついて欲しい。周りを見回せば障害・病気を乗り越え豊かな心で、それ以前の人生より深い生き方を病気・障害体験から学び教わり生きている人が何人もいる筈だ。苦しみの向こうにしか今の自分と愛する者の未来が描けないなら自分の不幸を嘆かずに寧ろ運良く与えられた人生の試練と思って明るく、粘り強く生きていくその先に光が見えるはずだ。病気・障害が人生を味わい深くしその人を育てる肥やしになるのにみすみすチャンスを無駄に見逃している事が如何に多いことだろうか。2年ほど前に女性哲学者の池田晶子さん(『14歳からの哲学』の著者、是非読んで下さい)が週刊誌のコラムに『オカルト、UFOとかの超常現象を信じたり、驚きたがる人の感性を批判して、どうしてこの手の人に限って自分が存在している事の神秘さに鈍感なのか、自分がこの世に生を受けている不思議さに第一に驚くべきなのに』との趣旨の文章を書いていました。身近な事を当たり前と片付けて科学的に立証できない自分の存在からかけ離れた遠くの怪奇事件を自分流に解釈して『科学では解明できない現象だ』と言う人は粗雑な思考しか展開できてないのです。身近な事を深く掘り下げて考える事こそ思考の名に値する行為なのだと思います。私も彼女の意見に同感でした。同じ時期に私達が人として誕生する確率を或る本を読んで知っていたからです。遺伝学者の木村資生さんによれば1億円の宝くじの1等に連続100万回当たり続ける確率と同じだそうです。気の遠くなるほどの奇跡なのです。まして、お子さん達は生まれつき障害を持つなど有り得ない奇跡の連続に恵まれてこの世に生をうけたのです。さらに木村さんの分子進化の中立説に基づけば進化は適者生存だけではなくてサバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト、この世に幸運にも生き残ることを許された生命進化が在り得るのです。そう考えると何か子供たちの障害が特別な試練と言うか或る任務を担ってのものだと考えれませんか。Something Great(木村資生さんの表現です)なものが私達に何かの試練を与えたのだと思います。私は自分の子供たちをこのように思い育てて来ました。『仮に例え、近いうちに癌で死ぬ運命だとしても嘆かず笑みを浮かべる生き方をしたいものだ。』
2人のP.D.D児を育ててこのような人生観を持てた自分は幸せだと今思うのです。
親亡き後の子供の人生をひたすら心配する親の気持ちは敢えて非難を覚悟で言うと「生と死の突き詰めが甘い」「子供の障害という何か豊かな資質、宝を持った可能性を尊重出来ない、親の価値観の狭さ、親のエゴ」の様に思えるのです。』
私がカレンダー計算に37年かけた背景には自閉症児のものの見方、理解の仕方を外から客観的に眺める研究者・療育者・教育者・専門家の視点に物足りなさを感じたことがあります。カレンダー計算の謎の解明が終了してからは、もう一歩踏み出した支援の在り方を考えるようになりました。支援する側の思い込みではなくて、支援を受ける側が望む支援が本当の支援です。恐らくこのようなスタンスの違いが微妙に顕れているようです。孤立化するP.D.D者の業と言うものでしょか?でも、このスタンスを理解して戴きたいとの気持ちは強いのです。恐らくお子さん達も『親は当たり前の生き方を望んでいる。でも、それは、自分を押し殺す道だ。だからと言って自分の特性を思う存分だせば、孤立する。でも親には自分の気持ちを理解して支えて欲しい』と言う気持ちの板ばさみ(ジレンマ)のストレスに苛まれれていると思います、特に高機能自閉症、アスペのお子さんが共通して抱える悩みです。障害を抱えることに起因するプラス面である感性的特性の再評価を積極的にして欲しいのです。自分たちの当たり前過ぎる価値観をエポケー(判断停止)して、子供の価値観・性格特性を見直して評価して下さい。私の思春期に苦しんだ様な社会常識との違和感を埋めようとの無駄な努力に才能・天分を擦り減らされないようにもう一歩踏み出せる余裕があれば歩み寄ってみては如何でしょうか?自分なりの人生の反省とそれを踏まえての呼びかけと、うまく自分を表現できないお子さん達の代弁者として敢えて問題提起してみました。
『カレンダー計算の謎の解明』の記事は下記より
http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/9275631.html
2008年7月31日
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