冬桃ブログ

思い出に変わる時

 温暖化のせいもあってか、横浜の春は早い。
 今月の初旬、冬まっただなかの信州から帰ると、
もう住宅街の庭先は春の花で彩られていた。
 散歩のたびに、目にする花が増えていく。





 南区からこの金沢区へ引っ越したのは2019年の3月。
 雨の降りしきる寒い日だった。
 横浜に住んだのは大人になってからだが
港北区、中区、緑区、南区、そして金沢区と
5つの区を渡り歩いている。
 過去の引っ越しにはそれぞれ理由があったのだが、
南区から金沢区へは「なんとなく」だった。
 海のある町で生まれ育ったから、人生の終盤も
海のそばで迎えたい、という思いが前からあった。
 イメージしていた「海辺」は知らない港町の
はずだったのだが、巡り合う機会がなかった。
 結局、横浜市内で唯一、昔の浜が残る、
この地にしたのだ。
 
 そういうアバウトな理由だったので、本人は
住まいを売ったり買ったり、荷造りしたり、その
あげく疲労とストレスで突発性難聴になり
緊急入院する羽目になり、自業自得とはいえ
たいへんだったのだが、周囲からは「なんでまた、
便利な南区から郊外へ、その歳で越すかねえ」
 と呆れられた。

 翌年からコロナの時代に入った。
 近くに知り合いはいない。
 あらたに知り合うチャンスも、こんな状況では皆無。
 地図を片手に、迷いながら周辺を独りで歩いた。
 ドクターからは「とにかく歩きなさい。健康に
なるのはそれしかない!」と何度も言われていたのだが、
これまでは虚弱を理由に、最小限の動きで生きてきた。
 でも、コロナでどこへも行けない、会食もなし、
仕事も激減したから、暇にまかせてよく歩いた。
 このあたりは緑が豊かで神社仏閣も多い。
 高い石段をせっせと上り下りするうちに、
 虚弱な体がなんだか丈夫になったように思う。
 ドクターの言うことは聞くものだ。

 散歩コースにある路上の狛犬。
 新しい狛犬との入れ替えで邪魔になり、
お寺の外へ出されてしまったらしい。
 愛おしくて、ここを歩くたびに頭を撫でる。


 そして今年は5年目の春。
 周囲には新しいビルが建ち、人気のショップが
入り、元から便利だったのに、さらに便利になり、
華やぎを増しつつある。
 なのに私の脳裏には、また「引っ越し」という
文字が去来し始めている。
 引っ越し貧乏一直線はわかっているのだが、
生まれついての放浪癖は、こんな歳になっても収まらないようだ。

 

 
 
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