冬桃ブログ

走水神社~三崎の鮨~戦艦三笠

 「横須賀の走水神社へ、友人が車で連れて行って
くれるんだけど、一緒に行きます?」
 と、まちづくりプロデューサーの福井さんが
誘ってくくださった。
 京急金沢八景駅で、車を出してくださるN氏、
福井さん、友達のMさんと待ち合わせ、4人で横須賀へ。

 ここに祀られているのは弟橘媛。
 日本神話のヒーロー、日本武尊が東征した際、
海上で嵐に遭遇した。
 妻の弟橘姫は海へ身を投げ、犠牲になることで
嵐を沈めたという。

 大きな御神木のある、清々しい神社。




 階段が急で長い! 
 なぜかそこでバンザイする人。



 神社の真向かいに横須賀の海。



 三浦市の三崎までドライブして、
行列のできる店でお昼。
 私がいただいたのは「スペシャルにぎり」



 また横須賀に戻って、三笠公園に設置されている
戦艦三笠を見学。



 「三笠」は日露戦争の際、東郷元帥率いる連合艦隊の
旗艦となった戦艦だ。
 日本海海戦でロシアのバルチック艦隊と対戦した。

 1899年(明治32)の竣工。
 開国するまで外洋船など造ったことのない日本が
よくこんな立派な戦艦を……と不思議に思ったが
やはりイギリスに発注して建造したそうだ。

 外観も内部もたいそう優美だが、現役時代は
もちろんこうではなかっただろう。
 この艦には800人を超す男たちが乗船していた。
 それを想像するだけでも、いまの清々しい船内とは
ずいぶん様相が違ったはず。
 日本海海戦では113人の死傷者が出たというから、
血と汗、呻き声に満ちた光景が展開されていただろう。

 日露戦争直後は、佐世保港内で後部弾薬庫の
爆発事故があり、沈没したという。

 さらに第二次大戦後は連合軍によって
キャバレー船にされたり、物資不足で
甲板まで剥がされたりしたそうだ。

 大正14年、横須賀に記念艦として保存決定。
 昭和36年に復元され、その後、いまのような
美しい艦になった。

 展示室、ゲーム、3D映像など、
楽しく遊べる仕掛けもいろいろ施されているが、
これがどういう船であったか、そこに思いをきたさなければ
この艦に生命を賭けた人たちに申し訳ない。
 横浜の日本丸、氷川丸にも同じことが言える。

 生鮮市場にも寄ったのだが、なぜか三人の姿が
すぐに消えた。
 市場内にあるガチャガチャにまっしぐら。



 Mさんが釣りゲーム機(というのかな)で
魚をいろいろ獲ってくれた。
 帰宅してから、貝殻コレクションの中へ。



 いつも気の利いた桃グッズをプレゼントしてくれる福井さん。
 この日は岡山のお土産、トラック桃をいただいた。








 














 

 
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