親鸞の道とは(二河白道) 2019年6月18日
皆さんは,“親鸞の道”どんな道を考えられましたか?
結論から申しあげます。親鸞は、今まで通り信念を曲げず突き進む道を選んでいます。
では親鸞の考える道はそんなに険しい道だったのでしょうか?
親鸞没800年後を生きる私達ですから、既に正解を皆さんご存知だと思いますが今一度振り返ってみたいと思います。
親鸞が悩んだ問題の整理
① 親鸞は、幼き頃より比叡山に入り修行を致しましたが、20年経っても悟りが開かれず下山してしまいます。(参考までに)親鸞は優秀なお坊さんで、仏教界では東大生並みの扱いを受けていましたが、中途挫折? 雑行では駄目と山を下り別派へ。宗派争いや他の問題で浄土真宗派の全員が処罰される・・・親鸞流罪!
② 20代後半になっていた親鸞は、女性にときめく年代でも有りました。
親鸞は妻帯を許さる立場ではなかった?(今は受刑者でも結婚できる)
③ 身分の低い人達をも救える仏教を目指した。当時の社会や権力はそれを認めていない。
(学問の無い人達は、文字が読めない、書けない。又貧乏な人は、時間がなく読経や各種修行等ができない)
どうしたらこの人達を救えるかで悩む。
(上層階級の人は下層階級の人に知恵を付けられる事を恐れた)
(ここでちょっとブレイク)
親鸞の鸞の字と恋(戀)の字を分析してみたいと思います。
・ ランの字は、いとし(糸)、いとし(糸)、と いう(言)、とり(鳥)
・ 恋(戀)は、いとし(糸)、いとし(糸)、と いう(言)、こころ(心)
(らん)鸞 (こい)戀
(自分の信ずる道を行く親鸞)仏教界の革命児
当時の社会では認められない考えを実践した親鸞、覚悟の人生道であったと思います。
800年後の今、当たり前の事ですが、結婚、身分制、万人の学識レベル等、親鸞の望んだ社会になるまでに800年もかかったという事です。
私たちが扱う技術は30年程度で新しい技術に変わっていきますが、宗教・哲学(仏教、キリスト教等の思想)は1000年、2000年、小さな変革は有ったにせよ、今日まで続いてきた偉大な人生道であり、世界観だと思います。
親鸞の世界観については、次回検証してみたいと思います。
(ここで問題です)
親鸞が死ぬ前に弟子たちに言った言葉
「私が、死んだら京の鴨川に遺体を流して欲しい、川の生き物の餌にして欲しい」
この言葉、親鸞は弟子に何を伝えようとしたのでしょうか?
箕浦的考察FIN
今日もお付き合い有り難う御座いました。