グローバル化時代の企業の心 2,020年5月22日
これからのデジタル戦争を勝ち抜くヒント(答えは書いていません発想力が必要です)
■ 世界の王者から学ぶ
60年近く前のテープレコーダーの話です。高校を卒業して真っ先に欲しかったものです。何故なら音楽好きの私は、FM放送の音楽を録音して楽しみたかったからです。当時のテープレコーダーはオープンリール方式で東芝とSONYが販売していました。価格は新卒初任給より高く、1.6万円で購入した記憶が有ります。テープは5インチ、7インチサイズが標準でしたからかつてのVHSホームビデオ程度の大きさでした。
一方1,950年代後半迄、若者はAMラジオの音楽を楽しんで来ましたが広帯域伝送方式のFMラジオ局が登場し1,960年代前半から日本全国の若者は高音のきれいな音楽放送を楽しむ時代にも成っていました。
そこへ超小型カセットテープが登場したわけです。開発メーカーはヨーロッパの雄フィリップスです。私の憧れのエレクトロニクスメーカーでも有ります。
フィリップス社はこの小型カセットテープを世界の標準にならないかと関係企業の意見を聞き周り好評であったことから、世界への普及拡大を考え、同社の基本特許を無償開放することを決めたわけです。
その心は?・・・
当然企業としては、世界の音楽愛好家や若者に小型で取り扱い易く、安価なテープレコーダーを普及させたいと思ったことは言うまでも有りません。むしろ文化、芸術、情操教育等への貢献を考えたものと考えます。同カセットテープは、歴史的な民生音響器機世界標準と成っています。
SONYのウオークマンは、日本のみならず世界の人が知るポータブルテープレコーダーですが、これはフィリップス社の世界戦略の上に乗った戦略商品と私は考えています。音楽の世界を広げ、楽しみの大衆化を図ったフィリッピス、SONY両社に感謝します。
■ 私が最も好きなグローバル企業
米国ではRCA社、欧州ではフィリップス社、日本では東芝。RCAと東芝については(雑感1)で書いています。来週投稿予定。今日はフィリップス関係について続けてお話したいと思います。
日本の家電がグローバル戦略で欧州をほぼ手中に納めたのが1,980年代、米国RCA社もカラーテレビの先生ではなくなっていました。欧州の雄フィリップスもカラーテレビの生産が細く成っていました。最もVTRは日本の規格(VHS、ベーターマックス)ですから新たに設計しなければなりません。世界の家電メーカーは殆ど手が出せませんでした。(注1)従い、フィリップスの欧州向けVTRの設計から生産までシャープが引き受け私が担当しておりました。(OEM生産)
フィリップスとしては、外観デザインは自社でしたいとの意向でしたのでデザインをお願いしましたがさすがに良いデザインだった事を記憶しています。内部構造で指定された条件をしっかり守った“機能美”を感じました。自社のデザインより1歩先を行くセンス、製品の社名はフィリップスですが、自分の商品の格が上がったようにも感じました。
(おまけ)
数年後シャープの欧州工場建設準備に於いて現地部品メーカー調査でフィリップス・ドイツ部品工場へ招かれた際の事です。主要部品は電子チュナー。関係者10数名で打ち合わせをしていましたが、チュナーの内部電子回路で気付いた事が有りコメントしたことで同社技術者と“技術論争”をやってしまいました。ビデオの完成品になればシャープのお客さんなんですが!・・・忘れてました。
(追記)
上記結論=電子チュナーは従来通り日本製アルプスの物を使用する。但し現地付加価値を高めるためアルプス社にも英国に現地工場を造ってもらった。尚、シャープ社内の部品事業部でも電子チュナーを造っていますが技術的、経営的判断により使用していません。これが日本的経営戦略です。(詳細は書けません)(5/24)
家電事業を日本メーカーにとられた1,980年頃より、欧州大手フィリップス社やシーメンス社は医療器機に軸足を移していたと思います。今ではCT、MRI他、素晴らしい医療器機を世界に供給しています。日本の病院でこれらメーカーの医療器機を発見すると嬉しくなります。尚、フランス・リオンに有るシーメンス社の半導体工場視察記は、“フランス出張の思い出”の時書きたいと思います。
(注1)
■デジタルハイビジョン
カラーテレビやVTR戦争で一方的に勝利を収めた日本企業、戦後何も無い所から世界制覇を果たしましたが、1,990年代になって欧米諸国からしっぺ返しを食らいます。それは言うまでも無くハイビジョンテレビの国際規格戦争です。欧米諸国はアナログ・テレビ時代VTR規格を日本規格(VHS/ベーター)を承認しましたが事業として日本企業に全く歯が立たなかったからです。もし日本の仕様(NHKのアナログ・ハイビジョン)を認めると欧米諸国は10年以上の技術的ハンディーを生じ、TV事業として勝ち目が無い事になります。一方パソコンの普及も始まっており100年後を見据えたデジタル融合技術の世界を創るべきとの考えから、“デジタルハイビジョン”の規格検討が始まったわけです。日本メーカーは、アナログ技術屋からデジタル技術屋に衣替えしなければ成りませんでした。
―以上―