Speed skate  Kazax style

Welcome to Kazax道場 in japan.japanese inline speed team 

国際交流(台湾)の話

2011-01-04 15:27:54 | Weblog

はじめてあった頃の二人は小学生3.4年??だったのでは…                                      

さて、交流事業のきっかけは…

yokomaneの子供達が1995年日本代表になり(Daisukeが高1 Sotaが中2)オーストラリアで開催されたシニア世界選手権に出場しました。その頃、日本選手のジュニアの派遣 ※1 はありませんでした。

はじめての海外!それも日本代表♪♪ 大先輩でコーチでもあった高萩選手と一緒に参戦しました。初めてのことだらけですが、世界の速さに、ただただ圧倒されました。

今、圧倒的な速さと強さを持っている韓国も台湾の男子達も、その頃は日本と同じくらいのレベル…上位に食い込める成績をのこせる選手は一人もいませんでした。

だだ、台湾の先生率いる台湾女子が表彰台に立ち、私たちアジア人に感動を与えてくれました。

でも、親しくなるまでには及ばず、お互いの連絡先も交換せずに帰国しました。

その冬の(翌年1月)渡良瀬遊水地で行われたロードレースに、日本が韓国と台湾の選手を招待しました。

正規に招待枠にエントリーせずやってきたのが、高雄チーム(黄先生率いる男女のチーム)でした。  

もちろん台湾代表の選手は他のチームから、やってきましたよ^^ 関係スタッフはビックリ仰天…宿泊や送迎にてんてこまいでした。。

さて、大会前日渡良瀬で練習をしていると、やってきたのは大勢の賑やかな高雄チームそこでマークDaisukeのやり取りが始まりました。どうやら、大会後の翌日、秋葉原に案内して欲しい…交渉でした。高雄チームのロー選手のオバサンが新大久保にいて、大会後はそこに滞在しながら、秋葉原ショッピングに行きたかったみたいです。 

そんなことが高雄チームとの距離をぐっと縮めることになりました。

                     

           「ジュニアを強化する」

   「世界レベルの競争力の中で滑ることを体験させる」

はじめて体験した世界選で、レベルの格差を感じ、ショックを受けた私でしたが、一方でこんなことも考えていました。「自分の子供達だけを強くしても世界選で勝てない…日本全体の選手の強化と底上げをする」

特に「ジュニアを強化する」「「世界レベルの競争力の中で滑ることを体験させる」の2点を、大きな目標として、真剣に考えるようになりました。

私の勤めていた団体が当時の文部省に近い存在の所でもあり、国際交流などの情報が入るところでした。一生懸命アンテナを張り巡らし情報収集したところ、地域のスポーツ団体の任意団体でも、交流事業に対し補助金を出してくれるところ…ありました!! 

                      SSFスポーツエイド

SSFのサポートを受けるべく準備を進めました。 書類は、提出するまでに何度か、SSFに足を運びました。 

その当時の勤めの事務所が虎ノ門でしたので、SSFには歩いて5分。また、何年後かには、ワールドゲームズが秋田で開催されるということもあり、種目の一つでもあったことで、下地には支援協力の対象となっていてタイミングとしては良かったこともあります。ラッキーがたくさん続きました。

                  最初に困ったことがありました。相手国のことです 

        招待状のもらい先…いきなり、アメリカのチャドはムリムリ 

※1 当時yokomaneは、日本ローラースケート連盟のスピード委員会に在籍。ジュニア期の育成が、やがて、日本でも世界レベルの選手を生み出すことができるのではないか!と賛同する委員の方と世界選手権へのジュニア大会の派遣を強く要望し、ようやく1999年のチリで開催された世界選手権大会には、全国から大勢のジュニア選手と保護者を引率し参戦することが出来ました。この頃の中学生が今はトップ選手になっています。

       

                先生の奥様を除き、全員生麦酒にやられてまっかっか

 

             続く♪♪  いろんなこと…忘れないうちに書いておこう