MAX真吉の中年真っ只中~!

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バク転の恥ずかし~い思い出② 千葉さんの目の前で・・・

2011-05-29 07:44:47 | 元スタントマン
面接は一度に5人くらい(だったと思います)で
面接会場に入り順番に審査員の方々が質問をしてきます。
審査員の方々の手元にはそれぞれの受験生の履歴書が配られていたようです。

俺の目の前にはなんと千葉さん!
初めて見る本物の千葉さんの迫力といったら物凄かったです。
肌の色は真っ黒、濃くブっとい眉、ギラギラした眼光で受験生たちを見ていました。

千葉さんは俺の履歴書を見て

「○○くん(俺の本名)、趣味は“忍者ごっこ”って書いてあるけど、ちょっとここでやってみてよ。」って言われた。

俺は履歴書に審査員の気を引くよう、趣味の欄に“忍者ごっこ”と書いていたのだ。
思惑どうりやねんけどまさかこんなに見事に気を引いてしまうとは!
しかもJACの総帥・千葉さんに“忍者ごっこ”をここでやってみろと言われるとは思ってもみなかった。

緊張でガチガチやったけど「はいっ!」っと大声で返事をして
『影の軍団』とかで見て憶えた“印を結ぶ”ような動作をしてからカッコ良くバク転をしようとしたその瞬間・・・

「ズルッ!」「ドテッ!」

俺は見事にバク転を失敗し、おもいっきり尻餅をついてしまった!

畳の部屋だったので靴下を履いていた俺はズルッと滑ってしまったのだ!
いつもなら畳だろうが靴下だろうが平気でバク転してたのに!
ローラーディスコ(懐かしい~)でローラースケート履いたままだってバク転してたもん!(連続は無理やったけど)
緊張してガチガチの状態だったので、大失敗してしまった。ああ恥ずかしい。

恥ずかしさと極限の緊張でその時の千葉さんの表情はまったく覚えていないけど、
少し離れたとなりのテーブルで審査をしていらした真田さんがこっちを見ていたことだけは
はっきり憶えています。真田さんめっちゃ男前やった。

その後、千葉さんは俺とニノが友達同士(二人とも変な格好をしてたから)ということで

「ここで二人で何かやってみろ」と言われた。

俺もニノも緊張でガチガチやったけど無我夢中で下手くそなアクションをドタバタと披露したのです。
他の人たちはどんなことをやったのかは知りませんが
その時の面接会場ではかなり目立ってたと思います。

(こんな感じで俺(黒)とニノ(緑)は狭い面接会場でドタバタと即興アクションを披露しました)


他の年や他の会場でもたまに俺たちのような“目立ちたがり”の人が出没したらしく
オーディションの時にいきなり壁に向かって走り出し
「壁蹴り宙返り」を失敗して頭から落ちた人がいるという噂も聞いたことがあるけどほんとうなのでしょうか?

後日、俺もニノもショーゴも合格通知が届きました。
まあ養成所の試験は誰でも合格できたらしいですけどねwww

その後3人はJAC養成所でアクションスター目指してがんばりました。
ニノとショーゴは有言実行、初志貫徹でJACの正式メンバーになり
テレビや映画、舞台で大活躍していくことになります。

俺は途中でJAC養成所は辞めました。
理由はいろいろあるのですが・・
JAC養成所で知り合ったメンバーと劇団をつくったり、
自主制作でアクション映画を撮ったりと
ニノやショーゴとは違う方向でアクション、スタントの道を歩むことになります。
また機会があれば書きますね。


 次回(かどうかわからんけど)
「バク転の思い出シリーズ・第3弾!」は『バク転50m走』に出演した時の話を書きます。

 お楽しみに~!
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バク転の恥ずかし~い思い出①

2011-05-28 07:06:18 | 元スタントマン
「バク転の思い出シリーズ」第2弾!
今回はバク転の恥ずかしい大失敗のお話です。

この話はちょっと長くなりますが・・・
同世代のアクション好きの人には懐かしい時代のお話です。

俺のアクション人生は紆余曲折でいろんなとこでいろんなことをやってきました。
実は高校3年の時にあの「JAC養成所・大阪校」に通っていました。(JAC=現JAEジャパンアクションエンタープライズ
たしか15期生、大阪校の第一期生でAクラスでした。
同期の出世頭に前に書いた俺の“永遠のライバル(?)”二宮秀(秀夫)と故・塩谷庄吾がいます。
実はこの二人とはJAC養成所に入る前から友達であり
「いつかJACに入って有名になろうぜ!」って誓い合った仲だったのです。
ニノ(二宮)やショーゴ(塩谷)との思い出話はまたいろいろ書いて行くつもりですが
今回は「JAC養成所のオーディション」の時の話を・・・

17歳の時に(1984年頃)俺とニノとショーゴはJAC養成所のオーディションを受けに行きました。
場所は京都・清滝のJAC養成所でした。(今もあるのかな?)

1980年代初頭、千葉真一、志穂美悦子、真田広之、黒崎輝、高木淳也・・
などなどのアクションスターを生んだ当時のJAC人気は凄まじく、
オーディション会場には全国から集まったアクションスター、スタントマン志望の若者たちが大勢集まっていたのです。

オーディションの内容は簡単なマット運動と面接でした。
大勢の人は動きやすいトレーニングウエア、ジャージやスウェットといった服装でしたが
“目立とう意識”の強かった俺とニノはみんなと違うちょっと派手な格好をしていたのです。
「芸能界を目指すんやから目立たなあかん!」っとちょっと勘違いの意気込みをしていました。

ニノはピンク色のカンフー着!しかもテカテカのサテン地のめっちゃ目立つ蛍光ピンク!たぶんカンフーチェンの衣装より派手でした。
俺は忍者の衣装(実は黒の空手着に手甲、脚絆を付けただけ、さすがに頭巾は被ってません)を着てオーディションを受けました。
ちなみにショーゴは普通のジャージでした。
ショーゴはこの頃から身長186cmあったので派手な格好をしなくても存在感十分だったでしょう。
とにかく俺とニノは変な格好やったので目立ってたとは思います。今考えればタダの“イタイやつ”、アホです、バカでした・・・

実技試験は簡単なマット運動で、前転とか後転やったと思います。
JAC(養成所)の試験にしてはちょっと物足りない気がしました。

面接会場は20畳くらいの畳敷きの和室だったのですが
審査員が錚々たる物凄いメンバーでした。

本物の千葉真一、真田広之、その他JACの偉い人たちがいたのです!

めちゃくちゃ緊張しました。

そしていよいよ俺とニノの面接の順番がやってきました。

 俺はこの面接でめちゃくちゃ恥ずかしい大失敗をしてしまったのです・・・

        
         つづく・・・次回「千葉さんの前で“忍者ごっこ”」
コメント (18)
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バク転の痛~い思い出

2011-05-24 23:08:03 | 元スタントマン
前回、「44歳になった今でもバク転くらい軽くできるぜ~」って話を書いたけど
思えば俺がバク転ができるようになったのが15歳(高1なってすぐの頃)なので
“バク転歴29年”、来年は“バク転歴30周年”なのだ。

上の画像は16歳の時(1983年)高校の文化祭用のアクション映画を撮っていた時のものですが
大阪府吹田市の北千里公園の石碑の上でバク転してるとこです。
楽しかった“青春の一コマ”です。
パッソルが懐かしい~
(あっ、公園内はバイク乗り入れ禁止やし、石碑の上でバク転なんかもやらないほうがいいと思うので
 若いアクション野郎たち、マネしちゃダメだよ。あの時代は“おおらかな時代”やったからねー)

バク転を長年やってると失敗談とか痛~いケガの経験もあります。
一番最初に痛~いケガをしたのが15歳の時、連続バク転ができるようになって
まわりから「スゴイ、スゴイ」と言われて調子に乗ってた頃ですわ。

その頃俺は大阪の江坂にあったアクションチームDAT(今はもうありません)というところに所属していて
毎週そのDATの練習に通っていた。練習は体育館とかではなく普通の公園でやってた。
そこで先輩から「バク転連続何回できる?」と聞かれた。
俺は連続何回できるか数えたことなかったけど「いっぱいできます!」と元気に答えたと思う。
そしたらその先輩が公園の端から端までやってみろと言うので
俺は「たぶんできると思いますけど、もしあのベンチにぶつかりそうになったら大声で“止まれ!”って叫んで下さいね」とお願いした。
公園の端にはコンクリート製のベンチがあったのだ・・・

アクション大好き少年だった15歳の俺は勢いよく連続バク転を始めた!
連続バク転が得意な人ならわかると思うけど連続バク転というのは
回数を重ねるごとに遠心力がついてどんどん加速していくものなのです。疲れてくると速度は落ちてくるけどね。

何回やったかは覚えてないけど10回くらいはやったかなー、スピードはノリノリやったと思います。
自分自身ではまだ公園の端まで到達していないと思っていたのに・・・

「ガンッ!」☆「ゴキッ!」☆・・・星がでました。

そうです、コンクリート製のベンチに激突しました・・・!

どんな風に激突したかはわからないけど顔面とか手とか体中のあちこちがめちゃくちゃ痛かった。
しかし、運良く骨折などの重傷ではなく擦り傷と打撲程度ですみました。
病院にも行くことなくその日はチャリに乗って家に帰れました(まだバイクの免許ももってなかった)

先輩たちは「止まれ!止まれ~!」って叫んだと言うけどぜんぜん聞こえなかった。

まだまだアクションの素人だった俺は、距離感や周りの声や音など状況を冷静に判断する技術を持っていなかったのだ。

このケガ以降は「この距離ではバク転は何回できるか?」とか
「この路面は滑りやすいから蹴る方向や力を調整しよう」とか
バク転しながらでも周りの状況を冷静に判断できるように成長していった。

でもそれからも頭から落ちたり何回も失敗したけどね。

またいろいろ失敗談やらバク転で大活躍?した話なんかも書きますね~

では「淀川バク転キッド」アクションシーン、見てね~! 見たことある人も何回も見てね~!
     ↓     ↓     ↓
  http://www.youtube.com/watch?v=V_NUH9AZ2Is&feature=related

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淀川バーベキュー “飲酒バク転禁止”

2011-05-21 22:14:48 | 日記
今日は会社の歓送迎会ということで
淀川河川敷で会社の仲間30数人でバーベキューを楽しんできました。

天気も良くて、食べ物もうまくてめちゃおもろかった~♪

会社の仲間、老若男女いろいろで話題の範囲も広くて楽しいです。


俺は淀川河川敷から家が近いということもあり
朝早くから場所取りしました。
(淀川河川敷公園はバーベキューができるエリアが決まっているので休日は場所取り必須)
おかげで水辺に近いええ場所をGETしたぜ。

昨年の秋の社員旅行(日帰り)の時は女子社員の前でバク転を披露できなかったので
今回は満を持してバク転を披露したった。
酒飲んで酔っ払う前にね。

写真はないけどロンダート→バク転×2→右回し蹴り→右旋風脚→左後ろ回し蹴りを連続で披露したった。
普段の淀トレのおかげで44歳になった今でもこれくらいは軽くできるぜ。
バク宙はもう無理です(マットがあって信頼できる補助の人がいればやってみたいけど・・・)

若い頃は酒飲んで酔っ払らおうが、二日酔いだろうが寝起きだろうが病気だろうが
何時でもどんな時でもどんな場所でもバク転くらいは軽くできたけど
おっさんになってからはそうはいかない。
若い頃と同じ感覚でいると大ケガをしてしまう。
酔っ払ってバク転なんかしようものなら頭から地面に突き刺さって大けがしてまう。
“飲酒運転禁止”と同じくらい“飲酒バク転禁止”なのだ。

しかしいったい何歳までバク転ってできるものなんやろ?
このままトレーニングさえ続けてれば何歳になってもできそうな気がする。
とりあえず「ジジイになっても死ぬまでバク転できるぜ」っていうのが自分自身の“こだわり”の一つなので日々精進します。

あー、一日でめっちゃ日焼けしたわ。


来週からもがんばって仕事するぜ~!

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今さらですが・・・やっと・・・

2011-05-19 00:18:03 | 日記
ブルーレイディスクレコーダー買ったゼーーーーーーット!(水木一郎アニキ風雄叫び!)

こんな世の中だからこそお買いものして日本経済を活性化させよう。
ほんま俺安月給やけど・・・がんばります。

ブルーレイレコーダー買ったけど、ブルーレイのソフト一枚も持ってないねん。
でもHDMIケーブルで繋ぐとフツーのDVDでもめちゃキレイやん!
これからはハイビジョン放送を高画質でいっぱい録っていっぱい観れる~♪

マイケル観ながら思わず「フォーー!」


ぴーもノリノリ?


さあ明日からまたしっかり働くゼーーーーーーット!
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