大和ヒトシの足踏み行進記~ママチャリ日本一周編~

大和の唄と三線・俵積田等による日々日記番外編

37日目

2005年05月07日 21時24分34秒 | 和泊町(沖永良部島)⇒実家(鹿児島県)
フェリーが6時から乗船開始だったので、それに間に合うように4時半起床。
朝食に自家製ヨーグルトを頂き、5時に銘刈家を出発。本当に本当にお世話になりました☆
さぁ、那覇港へ向け勢い良く走り出します!
順調に5キロくらい進んだ頃でしょうか?後方の車からクラクションを鳴らされます。ん?振り返ってみるとなんとメカル父!
「ヒトシ~!」
「どうしたんすか!?」
なんとオレいくつか忘れ物をしてて、それをわざわざ追い掛けて届けてくれました!すんません!ホントありがとう御座いました!!
そして街並みを目に焼き付けながら先を急ぎます。
しかしなんだかんだ最後にアレ食べたいなぁ。あ!吉野家発見!速攻IN!!
なんと沖縄の吉野家にはタコライスがあるのです。
うまい~♪♪♪
オレはこの究極のジャンクフードが大好きです☆
これで思い残す事無く那覇港へ。
手続きを終え、乗船。
今回乗るフェリーの名前はなんと「あかつき」。
エンドウ.社長には言ったけど、アカツキ.の皆やアカツキッズ.(←ここに点いるのかな?笑)の方々はコレに乗って鹿児島から沖縄に行くとネタになっていいかもね~♪
そんなこんなで7時出航。また来るさぁ~沖縄☆
鹿児島港到着は明日の朝なので、他の旅の方と話したりしつつゆ~っくり過ごす。
この船は、沖縄→与論島→沖永良部島→徳之島→奄美大島→鹿児島と、南国オールスターズに停泊して(鹿児島からだともちろん逆)それぞれお客さんを乗せたり降ろしたりしながら進むんですが、それぞれの島で再会と別れがあって、それをいつも甲板から眺めてます。
出航すると、皆一様に手を振り「頑張れよーっ!」「また来いよ!」などの声が飛び交います。
小さな子供たちなんかはギリギリの所まで手を振りながら走って追い掛けてきます。
「手紙ぃ~書くからなぁ~っ!!」
マジ感動してこっちまで貰い泣きしそうです。船旅って素敵かも。
そんなこんなで今は奄美大島に停泊中。ここを出て夜が明けるといよいよまた再び鹿児島です。
さて、そろそろ出航なので甲板に出ようっと(笑)

今日の移動:銘刈家(沖縄県西原町)→那覇港(沖縄県那覇市)
走行時間:1時間
走行距離:13.5Km
積算距離:3214.3Km

36日目

2005年05月07日 11時51分34秒 | 和泊町(沖永良部島)⇒実家(鹿児島県)
8時起床、日記を書いたり、朝食を頂いたりしつつ9時半出発。
本日は南部を一周します。立ち寄りたいポイントは平和祈念公園とひめゆりの塔。大和の曲「月桃の花」が生まれるキッカケになった場所です。
メカル家(西原町)を起点に時計回りに進みます。
今日も相変わらず暑いし風は強く向かってくるしで全然思うように前に進めず…。
そんなこんなでも14時、平和祈念公園着。資料館へと立ち寄ります。
ここでは、沖縄戦での様々なリアルを展示してあるのですが、中でも印象に残るのが、ガマ(壕)の中を実物大に再現してある箇所。避難している住民の様子などが見れます。小さな芋を分け合う住民、子供の泣き声が外にもれないように口を押さえる母親、威嚇する日本兵。沖縄戦中は方言を使う事を禁じられ、使うとスパイとみなされて日本兵に虐殺されたそうです。日本人が日本人に殺されるんですよ?完全に狂ってます。
そして16時、ひめゆりの塔へ。資料館に立ち寄ります。ここではその沖縄戦で駆り出されたひめゆり学徒隊の事を中心に展示されていて、中でも胸も喉も締め付けられる想いになる箇所が、亡くなった学徒全員の遺影がびっしり壁一面にかけられた第4展示室。無念だ。
ひめゆりを後にし、糸満市街を通り那覇へ。
この時点で沖縄本島一周達成、いよいよ明日この島を発とうと那覇港へ。明日朝7時に鹿児島行きのフェリーが出航する事を確認。
そして、メカル家へ。
今宵はステーキをご馳走になりました。最期のひとときを惜しむように晩酌。
色々あったなぁ、沖縄も。
色々な沖縄人とも触れ合ったけど、なんか以前ほど閉鎖的な感じもしなかったし、てかむしろ本土よりもいっぱい優しさに触れたし、なんか、やっぱし来て良かったです。
いよいよ明日、この島を発ちます。
本日の写真は、本当にお世話になりすぎた銘刈夫妻と。

今日の移動:銘刈家(沖縄県西原町)→銘刈家(沖縄県西原町)
走行時間:8時間
走行距離:85.1Km
積算距離:3200.8Km