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八王子芳枝ちゃんブログ

旅 散歩で鋭気を養いつつ

「まちなか」探検隊

2008-10-30 17:06:45 | 日記






あれ!なんだか見慣れた風景ですね
わが町のスタート地点ともいえる
マルベリー・ブリッジからの景色です。
私達探検隊もここからスタートです




天正18年(1590)、八王子城落城とともに八王子三宿の横山・八日市・八幡は
現在の場所に移りました。横山宿では毎月4日、八日市宿では8の日に
市が開かれ賑わったそうです。此の市の平穏無事と人々の幸せを願って
建てられたのが一守神社(いちもりじんじゃ)です。また江戸時代中期に
なって授福開運の神を合祀したのが大鳥神社(おおとりじんじゃ)です。
今年の酉の日は 11月5,17,29日です。





向うに見えるのは加住丘陵です。今日は曇っていて残念です。






昔は、普段は水量も少なかったので石の上を歩いて渡っていたようです。



暁橋たもとに建設時に資金を出した人たちの名前と金額が彫られている
のですが古くて読めませんでした。このような碑があるのも皆さん
気づかないようです。




淺川には、大和田橋から上流に淺川大橋、暁橋、浅川橋、萩原橋、鶴巻橋と
6つの橋が架けられていますが、このうち萩原橋と暁橋は、もともと地元の
篤志家によって、それぞれ明治36年と大正12年に建設されたもので、これこそ
当時の八王子織物産業の隆盛と民間企業家の意識の高さを忍ばせるものの
一つではないでしょうか。と説明をうける。






宿場町の遊里は甲州街道沿いにの横山町や八日町にあったようだが、
明治30年の大火の後、市街から離れた浅川の近くの田んぼのど真ん中に
集められた。中央に並木の植えれれた大通り両側に十数件の妓楼が並んでいた。
当時は入り口に大門があったそうだ。終戦後は米軍が通い、そのあとは
赤線となった。東京の貸座敷免許地(遊郭)で戦災を免れたのは、
千住、品川とここ八王子田町だけだったというから大変貴重な一角だといえよう。



榎本星布ー1732年(享保17)~1814年(文化11)12月28日。
江戸中期の屈指の女性俳人、横山本宿(現・本町)榎本家に一人子と
して生まれる。93年(寛政5)星布尼句集を出し天下に名を知られ、
特に多摩地方に大きな影響を与えた。
没後大義寺に葬られ、墓はのち都旧跡に指定された。



八幡神社の創建は明らかではないが、一説には924年(延長2年)武蔵国司
小野泰隆が京都石清水八幡宮を邸内に勧請したものとつたえられて、
940年(天慶3年)武蔵権守横山義孝が社殿を再建、横山の庄の総鎮守と
したといわれている。八雲神社は1869年(明治2年)天王社を改名したもの。
戦前からこの社杜は天王森と呼ばれてきたが、1945年(昭和20年)の
八王子空襲で社殿と共に焼失した。相殿に八王子神を奉斎する。
境内は横山党根拠地として都旧跡に指定されている。



このあとみずき通りに行き富士屋でコロッケの揚げたてを買って食べる。
次は伊勢屋に行き全員でみたらしだんごを買って店内でお茶を戴きながら
たべる。皆美味しい、おいしいとティータイムを楽しんだ。









そして最後は八王子の花柳界です。
八王子は、甲州街道に面する宿場町として、江戸時代から発達してきました。
特に明治から昭和初期までは織物の町として栄え、料亭が居並ぶ中町界隈は、
地元の機屋、織物の買い付けにくる仲買人や問屋の商談の場として
使われ、大変にぎわいをみせました。

以上案内人の説明を聞きながら、知らない事ばかりで今日は参加して
よかったと全員の感想のようでした。富士屋のお惣菜を買う人で
賑わっているのには驚きました。車が止まりみんな富士屋に
駆け込んでいきます。ここのお肉は美味しいですからーーー

伊勢屋のみたらしだんご材料がいいにもかかわらず一本50円の安さ
みんな驚いていました。大きなおだんごですよ。




銀座

2008-10-12 20:38:17 | 日記



久しぶりに銀座で夕食をする。それも老舗のお寿司屋さん
ねたの新鮮なのにはさすがと驚きました。
とても美味しかったです。
其の余韻を残しつつこれ又久しぶりに
夜の銀座のお散歩、心地よい風にあたりながらーーー

行く時に見たH&Mのお客さんの長蛇の列
もう8時になるというのにまだ長い行列!



H&M (エイチアンドエム) は、スウェーデンのアパレルメーカー、
ヘネス・アンド・モーリッツ (Hennes & Mauritz) が展開する
ファッションブランド。低価格かつファッション性の高い服で
世界的に人気を集める。(HPから引用)

最近オープンしたことは知っていましたが
まだこんな列を作っているとは知りませんでした。
今少しづつ銀座も変わっているのを感じます。
でも何かが変わらない、だから、たまには
歩きたくなるんですね

松本散歩

2008-09-24 22:41:59 | 日記



いとこ会で浅間温泉に行く。殆どの人がサンデー毎日になってからの
行事で温泉での宴会を楽しみにーーー翌日は思い思いに観光をして
帰ります。当日は山の稜線もはっきりしないでしたので
みんなで松本市内をめぐって帰りました



カトリック松本教会に着いたころから青空になり、ここから開智学校までは
年配の人にはちょっと大変だったでしょうか80代の人数人、でもさすが松本
湿気が少なく、風がさわやかで高原にいるようでした。学校の中を丁寧に
見学して、次は有名な松本城です。本当に皆さん良く歩きました









これらは戦時中の6年生の作品です。
上手なのに驚きました









懐かしい机ですーこれで勉強しました



明治6年(1873)5月、開智学校の校名で廃寺を仮校舎として開校
明治9年(1876)4月、仮校舎として使用していた廃寺の跡地に、
広大な新校舎が竣工
工事費は、当時のお金で1万1千余円の巨額なもので、そのおよそ7割を
松本町全住民の寄付により調達し、残り3割は特殊寄付金及び廃寺を
とりこわした古材売払金などで調達しました。

《授業の内容》
創設当時の多くの学校では、明治5年8月に布達された教則どおりの授業は
実施困難で、寺子屋風の域をそう出ることはできなかったが、
開智学校では教則に準拠しつつ、読本課・算術課・習字課を設け、
英字課をも置いていました。
英字課は、県下では開智学校だけで、将来中学校の創設を考えていたようです

《重文指定》
昭和36年(1961)3月23日、明治時代の擬洋風学校建築としては、
わが国で初めて重要文化財の指定を受けました。

天守閣のある城





いつみても素晴らしく格好良いお城です
みなさん若いころに来ている人ばかりなので
中には入らずに記念写真を撮って市内へ
昼食ー縄手通り散策ーティータイムー駅

天晴れ立派、良く歩きました




入谷の朝顔

2008-07-18 23:29:05 | 日記





7月31日






今年も又入谷の朝顔のプレゼントです。感謝!
サミットのせいで例年より10日位おくれての
朝顔市だったそうです。今朝行ったそうですが、
夕方には着きました。
今年の朝顔はまだ葉っぱも柔らかく色もきれいで
これからーとゆう感じですーこれからが楽しみです。





美しい笑い

2008-07-06 00:06:30 | 日記

 今日はとても暑かったです。
其の中を代々木にある「山野美容専門学校」の地下3階にある
山野ホールで開催された「笑って元気に~福祉を考える~」
身内が関係している事もあってこの催しを知りまして行ってきました。
懐かしい、元NHKアナウンサー鈴木健二氏の講演「美しい笑い」と
山野学苑理事長の山野正義氏の講演
このお二人の魅力に引かれて楽しみに行きました。
感動する話しに久しぶりに多くを考えさせられました。
泣いたり、笑ったりの素晴らしい時間でした。そして司会者が
あの八代英太氏でした。お変わりもなくお元気で
絶妙な司会ぶりには胸がスットしました。



そして第2部はいよいよ高柳和江先生(外科医)の「ほほえみの太陽」
楽しく生きるコツで会場の人達と体験しながらの講演でした。
これ又今日のイベントを成功でしめくくる素晴らしいものでした。
NPO法人「21世紀癒しの国のアリス」
5周年記念カルチャーイベント

今日はこのイベントが主役です。
私がしあわせ
周りがしあわせ
社会がしあわせ
すべての「ほほえみ」はここに通じるのかなと
先生は青森県の「青い森のほほえみプロデュース」も
指導していらっしゃいます。最後の舞台は青森での
講習の様子を有志によるお芝居で紹介して会場からの
大きな拍手で終わりましたが、考えさせられる事が
いっぱいで、さて自分は此の後どの様にして
生きたものかと、宿題をもらって帰りました。




今日は山野さんのご好意でホールを提供して下さり
無料で参加することが出来ました。
山野さんtalked 「母(山野愛子)は亡くなって良かったです
なぜなら「末期高齢者」と呼ばれないで済みましたからーーと

谷中ミニ散歩

2008-05-03 22:26:54 | 日記


お祝い事があって久しぶりに実家に行きました。
最寄り駅が今風に変わりモノレールの始発駅にもなり
まわりはノッポビルがそびえていて昔々の遊び場が
消えました。ちょっと寄り道をして谷中銀座へと---



谷中と云えば谷中の墓地でしょうね。もう一つ谷中界隈の
人達の毎日のお惣菜、その他の物が揃う商店街ー谷中銀座
我が家の母も買い物に来ていました。
最近では昭和の面影を残すこの谷中銀座には他所から訪れる
人達(観光客風)で賑わっているようです。











メンチカツを10コ買って行く
谷中には駅近くに古くからの老舗があります。









■ 五重塔-谷中の墓地の中にありました
五重塔は私の子供の頃の思い出のもの-日暮里第四小学校の頃に
体操の時間にはよく谷中の五重塔に散歩に行ったものです。
よくと云っても多分桜の時とか紅葉の時だったのでしょうね。
五重塔のまわりで遊びながら黄色く紅葉したいちょうの葉を
枚数を数えながら重ねていった記憶があります。
時には動物園まで歩いての往復で疲れた記憶もあります。
多分今、谷中を訪れている人たちには忘れられている五重塔 
え! 知らないそうです(*^_^*)
本当なんですよ