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ミタとは。フィンランド語でなぁに?の意。

花見か空見か。

2011-04-12 | 日記
久しぶりの更新となりました。


先月は落ち着いて、春らしく過ごせる頃に
大阪でもかなり高層部分では揺れ。
そしたら、信じれない様な状況を職場の緊急速報でみました。

自分はその日夕方から東京へ行く予定だったが、
仕事の目処が見えず、行くことを延期していました。

目の前のこと
信じて少しでも多くの人が動物が植物がいい方に向いて
願いを持っている。

ひとりの人間として祈っています。


帰り道に1週間くらい公園のベンチでお茶を持っていって
ぼーっとしてました。
桜も咲きはじめ陽の当たると温かい頃で、
少し日も長くなったなあと思って寄り道していました。

わたしに出来ることはなにかと思うが
義援金しかしていないし、何もいえません。


人は人であること

やっぱり地球に暮らすひとつの生物でしかないのだと思います。
自然は、偉大でそこに共存することの大切な絆があるのかなと。

昔読んだ本に書いてたけど
凄まじく進む技術社会では忍耐力が失われやすく、
一瞬にして処理される電子レンジのようなものがあるはずと錯覚してしまう。
ほんとうに進歩し変化するにはエネルギーも必要で、建設的で、なじみ、ゆきわたるよなペースで進む必要がある。

いろんな国のひとが言い伝えてきたこと
宗教的になるけど、昔のひとは自然を対話しながら
生きてきたように、こういうことが大切だったと思う。


いまは少しずつみんながそういう方向へ向かって来たように思う。

戦争やいろんなことが確かにあるけれど、
人は生活する為に野菜を育て、魚を釣り、猟をする。
そういうことは、簡単ではないのに
食べれることをありがたい。

そうして身近に感じれば、環境問題はとても分かりやすいと思う。
本当に自分の身になるものの環境を感じて。
バランスやリズムを狂わすことは、自分にも影響する。

一度すれば、きっとわかることと思う。
少しの我慢をする、思いを犠牲にする。
他の生き物と共存すること。


ここで元気にやってます。っと魚がいう。ゾウリムシもいう。
そういう生き物の生きるところ。
そこにつながっているひと。

げんきだっていう生き物の為にいま在るもの大切すること。
声のないものに耳をかたむけること
それを左右できるのは、人間と思う。


いろんな国から、日本を支えて応援してくれていることは感謝です。
本当にとてもありがたいですね。


先日、レコッコレのフリーペーパーに記事載せてもらいました。
《農ガールのとこ》
http://www.le-coccole.jp/freepaper/vol4_omote.pdf

よかったら読んで下さい。