トラネコジャーナル

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トラネコの日記

明治のこころ モースが見た庶民のくらし展@江戸東京博物館

2013-10-23 | アート
今回はブロガー特別内覧会に参加したため、この記事の写真は博物館より特別な許可を得て写真撮影をしております。

        +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


江戸東京博物館は開館20周年だそうだ。
あの建物にびっくりしたのはもう20年も前なのかー。
1993年といえば福岡ドームやレインボーブリッジができた年のようだ。
景気がよさそうですが、清貧という言葉が流行語にエントリーされているから、
きっと景気が悪い悪いと言っていただけどなぁ。
未来はなかなかわからないものだ。

未来と言えば、タイムスリップしちゃうっていう設定は映画やドラマにたくさんある。
江戸時代や明治維新のころの小説なんて読んでいると、タイムスリップしたい!って思う。
自分が未来になるあの不思議な感覚。でもDNAに感じるしっくり感。

この展示品を見ていると、あの感覚が体験できると言っても過言ではないかもしれない。
というのは、アメリカ人のモースさんが明治時代にやってきて、
江戸の庶民の暮らしの生活雑器を丸ごと大事に持って帰って、
ピーボディー・エセックス博物館とボストン美術館で保存してくれていたからだ。
それが半端ない鬼集。
海苔あり、まな板あり、看板あり、職人の道具あり、着物あり、陶器あり…エトセトラ、エトセトラ。

モースさんはアメリカではいわゆる今的には「貝おたく」だったようだ。
学術的な背景なく、好きな買いが日本にあるという理由で来日。
そして到着後横浜から大森を機関車で通った時に、一目で貝の化石を発見し、
数か月後大森貝塚を発見した人。



時代的にダーウィンの進化論がもてはやされており、
心理学を学ぶ私としては、フロイトが無意識を発見したころであり、
時代の価値が変わろうとしているけれど、まだまだ古い概念との葛藤が
続いている頃と思われる。
モース自身も宗教的にダーウィンの反対理論を見つけなくてはいけなかった。
それなのに?東京大学の先生になることになったり、
フェノロサ連れて日本に来日したりと、なんというか自分の想像を超えて
活躍してしまったという印象を持つ人だ。
立身出世的な言葉が似合わない。私に断言できる知識はないけれど、そんな印象を持った。

そんな自分の信じることに邁進するモースさん。
日本について、
正直で気持ちの良い国と感じてくれて、
笑顔が美しい国と表現してくれて、
日本の庶民の暮らしを清潔で気持ち良いと感じた。
子どもを大切にする国といい、
職人の技術を絶賛した。

モースさんの言葉やスケッチ、購入したという写真に、
すっかり私はタイムスリップしてしまいました。

 
         刀の鞘職人のサンプルボックス。端正で美しく、無駄がない。まさにミニマリズム。

  
          これらの掛け花入れ、超絶技巧でおどろきましたー!すごすぎる!

この展示を見たあたりから明治の暮らしぶりの凄味がでてきました。

ちなみにこれは明治の雑巾。

実は私、ハンドステッチのキルトを作りたいなー、でも無理かなーと思っていた矢先だったので、
驚いたんです。雑巾がハンドステッチキルトだーーーーー!
ああ、ミシンさえ使わず、古タオルそのままを雑巾にしている私ははずかしいよー。


紙に何度も何度も上書きして真っ黒になった手習い帳。
私もそういえばお習字を習っていた小学生のころ、書き損じた半紙に何度も書きなさいと言われたけど、
すっかり忘れていた。何十年も前の記憶がよみがえってきた。
つまり、自分が教えてもらって伝えてもらっていた日本の美しい習慣を
忘れて捨ててきた自分に気づいたのです。

ちょっとしたショックでした。

捨ててきただけではなく、実は進んでいる!と思ったのは、
携帯そろばんを見た時。

まさにカード型そろばん。これがあれば電気も電池もいらないじゃないか!!

そして、この子供の笑顔、笑顔、笑顔。
みんなおちゃめなんです。利発そうで、屈託がない。

 

学芸員の副館長さんが説明をしてくださっているところ。
ほら子供たちの笑い声が聞こえてきそう。
だんごをみんなで食べながら、右端の子供の言葉に全員が爆笑しているシーンのようだ。


他に端正で美しい職人の道具の数々は外国のものを見るような気分。
すべてにおいて、無駄がなく、用途に意味があると研ぎ澄まされて美しい。
学芸員の方は手垢が付いた道具を持って帰ったと説明されていた。
でも本当にきれい。職人さんたちはちゃんとお手入れをしていたわけだ。


手入れをして、大事に大事にひとつのものを使う。
これも、わかっていそうで、忘れちゃっている精神。
実践できているのか。そう問われると後ずさりしそうだもの。
これも「エコ」とかいう言葉にくらんで浪費をする今の私たちを
明治の庶民が見たら、心の奥から悲しむと思うと何か申し訳ない気持ち。
今の私でさえ、山のように捨てられたり
玄関先にあるビニール傘には心が痛むのに。

最後にちょっと怖いのだけど、まさにタイムスリップを感じたのが、
この生き人形。明治時代に流行ったそうだが。
 

私個人的に、庶民の人の普段の日本髪と着物の着方を
リアルに見たいなーと思っていたこともあって、
そして写真なんかである5頭身的プロポーションも気になっていた。
写真の撮り方の問題?なんて思ったりもしていた。
なので、ここで本人に遭遇したような気がして、かなり感動しました。

機能的に着物を着るかんじ。ささっと身支度できそうなヘアスタイル。
働き者のたたずまい。実直そうな顔。展示があったのはお百姓さん。

ちなみに武家の家族はこちら。
服は身分や生業を表すのが近代以前の常識ですが、まさにそのとおりだ。


モースさんは帰国後40年くらい経ってから、日本での滞在記を書いた。


もう日本に来ることはないと思ったのかもしれない。
それとも違う理由が心にあったのか。
心の整理の時間が必要だったのか。

明治の日本を彷徨い、路地での庶民の暮らしを驚くモースさんが浮かんでくる。


私たち日本人は、忘れてはいけないことを忘れていないか。
モースさんに言われているような気がする。

「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい。」


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6 Comments

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す、す、すごい、すご過ぎる! (ココの母)
2013-10-26 16:03:14
すごく興味深く拝見しました。

幕末から明治にかけて来日した外国人で
こういうものを遺してくれた人は概ね
日本と日本人に対して好意的ですね。

それにしても、何て細かいところまで
採って置いてくれたんでしょう。
今となってはただただ、ありがとう、ですね。

真っ黒になるまで書いた手習い帳。
トラネコさんは「お習字の紙が真っ黒になるまで」
の世代なんですね。
私はお習字の紙は本番用で、新聞紙で練習練習でした。いずれにせよ、ものを大切にしてましたね。

職人さんたちの道具への愛情は深かったと思います。
道具は職人の「魂」という想いで大切にしてたのでしょう。
我々の両親や祖父母の時代までずっとそうでしたものね。

モースと同じように、日本を愛していた小泉八雲。
彼が欧米に向けて書いた新聞記事や書籍を読むと、
やはりこのブログのトラネコさんと同じような気持ちになります。
八雲は当時、欧米人たちに日本を紹介して書いたつもりだったのでしょうけど、
現代の私たちに向けても書いてくれていたのだと気付きます。
彼は未来の私たちに向けた意識はなかったと思いますが、
読書の中で、タイムスリップしたみたいに、
当時の日本の道具や人々の生活を知ることができるのですから。

トラネコさんのブログで、すっかりこの展覧会に行った気分になりました。

ありがとう!!
返信する
感慨深い (ロンきゅ~ん)
2013-10-26 22:01:09
すごいぞ。トラネコさん。
ココの母さんも言っている通り、
行かずして、トラネコさんの解説でじっくり展覧気を見た感じ。
断シャリしている自分って…
ただ、無駄なものを集めていたのかな?
本当に不必要なものを捨てているのか?
何が何でも捨ててるだけなんじゃ?
と、恥ずかしくなってきた。

もっと、大事に使うためにも考えて買わなくちゃね。

モースさんて、あの貝塚発見者でしたか。
日本史に弱いロンきゅ~んでした。
いろいろ学べました。ありがとう~・・・
返信する
江戸博 (マメ&コタ)
2013-10-27 21:30:30
江戸博、ウチも好きです。
それにしても、ブロガー限定内覧会というのが、
あるんですね。知らなかった。
ゆっくり見ることができて、よさそうですね。
明治という時代、「坂の上の雲」で司馬遼太郎が書いているような、
追うべき目標があり、坂の上を目指して登って行った、そして、人々がとても楽天的な時代、
古い時代が終わり、求めれば何かが手に入りそうな、そんな空気感があった時代なのかもしれませんね。
記事中の、着色白黒写真、いいですねえ。
返信する
ブロガー冥利につきますにゃ。 (トラネコ)
2013-10-28 02:08:24
ココの母さん
手習い帳を見た時は、フラッシュバックするような感じでしたよー。小学生の時習っていたお習字の先生はおじいちゃんだったけど、やさしくて、元気な子を怒ることはなくて、でも邪魔する子は叱って、分け隔てなくいい字だ、ココを直そう、とたくさん練習をさせてくれて、奥さんのおばあちゃん先生が半紙に書きなさい、真っ黒になっても濡れた筆跡で練習できるから、とか、終わった後の筆の掃除の仕方とかたくさん教えてもらいました。今でもこのことを思い出すと胸が熱くなります。人生の中でいい出会いでした。
それなのに忘れていた―――――

ロンきゅ~んさん
私も偉そうに何を言っているんだと
自分が恥ずかしくなりました。
でも、言い訳するのも何ですが、当時はこんなに忙しいことも、
ストレスフルでもなかったと思うし。。。ぶつぶつ。
日本、江戸は特にエコ社会だったようですし、
東北の「ぼろ」も鬼気迫る壮絶なつぎはぎと
その美しさには驚きました。
http://www.amusemuseum.com/boro/index.html

マメ&コタさん
江戸博はひさしぶりでしたー。
ブロガー内覧会はいいですよ-。
もちろん先方には宣伝の意味もあるでしょうが、
素人はこんな評価をするのだという観測にも
なるといったことを聞きました。
また、学芸員さんのお話が聞けるのは、
なかなかためになり、その愛にほろりと来ます(笑)
ぜひ江戸博へ。たっくさんの面白い写真がおいてありますから。
明治初期の日本。問題点よりいいところを見ているから
すてきな世界に見えているというのもあるとは思いますが、
(たとえば規律があるということは、
同調圧力があるとか、古い因習にとらわれているとかね。)
将来を悲観しないというのはいいなあと思います。
人間の自由ってなんだ?と思ったりしますよね。
返信する
おひさしぶりでございまする (はるりん)
2013-11-03 00:05:21
ご無沙汰しておりますって、
ご無沙汰すぎて、もうお前だれやねん!でございます。

あ、誰かわからんわ!であれば、
完全スルーでお願いいたします。


変わらずお過ごしかしら…と
ひさびさにお伺いしてみれば、
懐かしいモース先生ではありませんか。

昔神戸の美術館で展示がありまして、
そのときの図録を、珍しく今も持っております。
先生の真摯な日本への想い、
若かりし私ながらも、感じいるところがありました。

それにしても、
何が自分にとって愛しいものなのか、
大切なものか、
それはあまり難しくかんがえずとも、
自分の気持ちが揺れるかどうか、
それで感じ取ればいいものかもしれませんね。


話がずれずれになりましたが、
トラネコさん、お変わりないようでほんと
なによりです。

またひょっこり、お話しに伺いたいです。


そのときまで、
どうぞお元気で。


深大寺より。はるりん拝
返信する
ひさしぶりー! (トラネコ)
2013-11-04 01:37:46
元気なんかなーと思っていましたよー!
ちびっこギャングたちも
ずいぶん大きくなったことでしょうねー!

ちびちび仕事をしながら、
ちびちび暮らしておりますよ。

また、あそびましょうねー!!
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