「占領統治法(通称、日本国憲法)」には矛盾が無いので、誰が読んでも齟齬は生じません。つまり、私が読んだ通りの意味で、他の人も理解すると云う事です。
憲法前文には、
「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・」
と書いていて、「信義に信頼して」は「信義を信頼して」の「間違い(翻訳ミス)」では無いかとされています。日本語の「矛盾の無い憲法」を「還元英訳」すると、
we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
になるようですが、GHQが提起した「英語の原文と翻訳」は、
we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world.
「我等ノ安全及生存ヲ維持スル為世界ノ平和愛好諸国民ノ正義ト信義トニ信倚センコトニ意ヲ固メタリ」
なので、「に(ニ)」が正しい事は明らかです。「を」の場合は選択肢の中から自主的に選ぶ事になりますが、「に」の場合は、他に選択肢がなく出来る事は覚悟を決めるだけです。但し、死を覚悟すれば拒否する事は可能です。
私の解釈では、
rely:信倚。信じて頼る。依存的に信頼する。
trust:信頼。依存性は兎も角、信頼を寄せる。
です。「Trust me.」は「私を信じて下さい。」であり依存性は無いので、「Rely me.」の「私に頼りなさい。」とは違います。
先人に従がうなら、「平和を愛さない諸国民」を信頼して生きると憲法に違反します。これもまた「憲法は国民を拘束する」事を示しています。当然、「護憲派」の多くは「中共」を支持していて「中国国民は平和を愛している」と思っているようです。そうでなければ憲法に違反する事になり「護憲派」とは言えなくなります。
当然ながら、米国民や朝鮮国民等の「公正と信義に信頼して」生きることも可能ですが、「公正と信義が無い」と思われる「国民」を信頼して生きようとすると憲法違反になります。
日本の「矛盾の無い憲法」には「諸国民」と書かれていて「人民」ではありません。アメリカの憲法には「People:人民」と書かれていて「国民:Nationals」ではありません。当然、共産主義国では「人民」で、国名にも「中華人民共和国」のように「人民」と明記されています。この場合は「国民」は存在しないので、あてには出来ません。
また、台湾を日本は国と認めていないので、台湾には「国民」がいません。それでも、日本が災害に襲われた時には台湾からの援助品を受け取っています。これは明らかに台湾の信義を裏切る「詐欺」です。当然、「国民でない人」を頼りに生き延びることは「憲法違反」です。
「矛盾の無い憲法」には、日本人は「平和を愛する諸国民の奴隷になりなさい。」と書いています。但し、「国民では無い人民を信頼する」と憲法違反になります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c9/91d14fde2d744b46e8c09b7a02d4afe2.png)
憲法前文には、
「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・」
と書いていて、「信義に信頼して」は「信義を信頼して」の「間違い(翻訳ミス)」では無いかとされています。日本語の「矛盾の無い憲法」を「還元英訳」すると、
we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
になるようですが、GHQが提起した「英語の原文と翻訳」は、
we have determined to rely for our security and survival upon the justice and good faith of the peace-loving peoples of the world.
「我等ノ安全及生存ヲ維持スル為世界ノ平和愛好諸国民ノ正義ト信義トニ信倚センコトニ意ヲ固メタリ」
なので、「に(ニ)」が正しい事は明らかです。「を」の場合は選択肢の中から自主的に選ぶ事になりますが、「に」の場合は、他に選択肢がなく出来る事は覚悟を決めるだけです。但し、死を覚悟すれば拒否する事は可能です。
私の解釈では、
rely:信倚。信じて頼る。依存的に信頼する。
trust:信頼。依存性は兎も角、信頼を寄せる。
です。「Trust me.」は「私を信じて下さい。」であり依存性は無いので、「Rely me.」の「私に頼りなさい。」とは違います。
先人に従がうなら、「平和を愛さない諸国民」を信頼して生きると憲法に違反します。これもまた「憲法は国民を拘束する」事を示しています。当然、「護憲派」の多くは「中共」を支持していて「中国国民は平和を愛している」と思っているようです。そうでなければ憲法に違反する事になり「護憲派」とは言えなくなります。
当然ながら、米国民や朝鮮国民等の「公正と信義に信頼して」生きることも可能ですが、「公正と信義が無い」と思われる「国民」を信頼して生きようとすると憲法違反になります。
日本の「矛盾の無い憲法」には「諸国民」と書かれていて「人民」ではありません。アメリカの憲法には「People:人民」と書かれていて「国民:Nationals」ではありません。当然、共産主義国では「人民」で、国名にも「中華人民共和国」のように「人民」と明記されています。この場合は「国民」は存在しないので、あてには出来ません。
また、台湾を日本は国と認めていないので、台湾には「国民」がいません。それでも、日本が災害に襲われた時には台湾からの援助品を受け取っています。これは明らかに台湾の信義を裏切る「詐欺」です。当然、「国民でない人」を頼りに生き延びることは「憲法違反」です。
「矛盾の無い憲法」には、日本人は「平和を愛する諸国民の奴隷になりなさい。」と書いています。但し、「国民では無い人民を信頼する」と憲法違反になります。
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