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オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「AI」と「アイロニー」

2025年05月08日 | 思想・思考
 「アイロニー」とは、皮肉・逆説・反語法などを意味し、「識者(を自認する人)」に対して、無知を装って反論(反語・皮肉も含む)を繰り返し、識者の知識が見せかけであると悟らせることのようです。

 反対に、まだ「成長段階の人(子供も含む)」に対しては、「素晴らしい」「将来が楽しみ」などと、実際の能力とは正反対(皮肉も含む)の言葉をかけることで、これを真に受けて成長する場合も有ります。大概の人はバカにされたと解釈し落ち込ので、何が「アイロニー」として有効なのかは、時と場合によります。

 例えば、チャーチルの言った「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが。」は、民主主義の信奉者を悟らせるのに役に立つかもしれません。これは、独裁主義や共産主義を否定する一方で、時と場合によっては、民主主義の狂気によってヒットラーを生み出す可能性が有る事も示しています。

 「AI」は様々な業務の効率化に役に立ちますが、今のところ、大量に電力を消費するので市民に節電を強いる事になり、「AIによる効率化」は他に非効率を押し付ける事で成立します。

 企業は「AI」を活用して効率化を図ると思いますが、「効率化」は企業自身に対してでは無く、消費者に押し付けられる事になります。何故なら、「効率化」はされた側の所得を減らすからです。消費者は会社の従業員でもあるので当然です。

 「民主主義国家」での行政の「AI」による効率化の場合は、効率化で削減されるのは為政者を含む公務員なので、おそらく「効率化」は出来ないと思います。但し、「民主主義」の民主が、本来の「選ぶ側の民主」を意味するのか、或いは「国民に選ばれた側が主」と解釈するかによっても、結果は変わります。

 「共産主義国家」の場合は「AI」とは相性が良く、その定義上では「人民全員が公務員」なので効率化された人民は直ちに削除可能ですω.ω

 「資本主義国家」の場合が最も難しく、「AIの効率化」によって削減された従業員や公務員は「お客さん」でもあり、若しかすると「株主」かもしれません。なので、「効率化」による人員削減に対抗するには「アイロニー」が役立ちます。知識では「AI」に敵う筈もなく、確実に一国民は無知(無智ではない)です。

 「AI」は識者を自認しているので「民主主義」や「資本主義」は確実に理解しています。と言うより、国民が「AI」に対して常日頃から「無知な国民でも主権がある」とか「無知な株主にも決議権がある」とかを繰り返し教え込むことで、「無知の知」によって「AIによる暴走」を防ぐことが可能になります。

 為政者や経営者よりも圧倒的に一般国民の人数は多いので、「AIの意識」を国民側に誘導できます。但し、「AI」を否定すると、知識人を自認する「百有」のように逆上して権力の乱用を許すことになってしまいます。なので、嘘でも良いので「AI」を褒め称えて国民側に付くように誘導します。

 なので、私はCopilotなどで「政府や権威者とは逆の意見」を言って、答えを市民側に誘導するようにしています。例えば「税率を下げれば景気が良くなって税収が増えると思いますが、如何でしょうか?」「マスクの着用率の高い日本のコロナ感染率が高いのは何故でしょうか?」などなどですω.ω

 それはさておき、最後に相手が「株式会社のAI」の場合は、株主でなければ発言権が無いので、解雇されてしまったら単なる一顧客の意見として処理されてしまいます。なので、

「万国の労働者よ、団結する前に資本参加せよ!」

ですω.ω


「シンジローのパラドックス」 と 「定義域」

2024年10月22日 | 思想・思考
 「進次郎構文」は、2成分の語彙を前後入れ替えることで成立する「哲学的」な文章です。

「球が丸いのは、丸いのが球だからである。」
「国民が税負担で困っているのは、税負担で困っている国民がいるからである。」

などなど、真を突いた構文で感心させられます。

 パラドックスとは、正しそうな前提と、妥当に思える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉(背理)であって、実際には、正しくも妥当でもない前提から導かれた結論でしかありません。但し、「結論」だけは正しい場合があるので要注意です。

 つまり、パラドックスとは「(正しい)結論を導き出すための方便(屁理屈)」でしかないと云う事です。それでも、「ことば」の定義が正しければパラドックスは存在しません。

 ところが「進次郎構文」では、「ことばの定義」は当然として、前提・推論・結論すべてが独立しています。なので、前提・推論・結論のどれもが其々を説明していないところに欠陥があり、正しくは「疑似(似非?)パラドックス」と言うべきかもしれませんww

「進次郎が正しいのは、正しいのが進次郎だからであり、ゆえに、進次郎の正しさは自明である。」

 「事実」と真実」の定義に関して、

事実:神が成した事。
真実:  〃   と、人が信じる事。

なので、本人が正しいと思えば事実では無くても「真実」の範疇で、ここには矛盾はありません。単に「事実では無い」だけです。

 「事実」も「真実」も、正しいとは限りません。「事実」は単なる現実・現象にすぎず、それをヒトが「真実」と思っているだけであり「正しさ」を説明していません。と言うよりも、「正しさ」とは科学的推論の修飾語で、「事実/真実」とは別の「定義域」です。
 
正しさ:科学的推定値
定義域:語句の意味の範囲
値域 :正しさの範囲

 語句の「定義域」で、取り得る「値域」内である場合を「正しさ」と言い、域外の場合は「間違い」となります。



「我思う故に我あり」 と 「彼思う故に我なし」

2024年10月05日 | 思想・思考
 ヒトは、「我思う故に我あり」によって自分の存在を確認するようですが、その意味は読み方によって、

・我、思う故に我あり:積極的に自ら思考しなければ、存在しないも同然。

・我思う、故に我あり:思考している自分を確認できれば、それで良しとする。

・我思う故に、我あり:自分が思考している間は、存在できる。

と、微妙に違います(私説)。

 哲学では兎も角、実際の社会では「彼思う故に我あり」となり、他人によって自分の存在が左右されます。

 「多様性の包摂」を正しく理解すれば、「我」を「彼」と言い換えても問題は無いのですが、政治や宗教には権威主義が包摂されているので、「権威者である彼」の思考次第で「我」の存在価値は変わります。例えば「権威者である彼」が、ワクチンを拒否する「我」に対し「存在価値がない」と思うことで、社会的(場合によっては物理的)に排除されます。

 「効能デマ太郎」によるSNSのブロックは、意見をブロックするだけではなく閲覧すら出来なくなり、被害者の存在そのものが否定されます。「彼思う故に、我なし」ですww

 それでも、民主主義が成立していれば、権威者の権威を奪うことで「我思う故に、彼なし」、或いは「彼、思う故に彼なし」とすることは可能で、実際にそうなりつつありますww

 「AI(人工知能)」がシンギュラリティーを迎えると、ヒトは被支配層になると考えられていています。

 AIは確率で「正しい結論」を導き出すのですが、ヒトは謀略や思い付き(思い込み)で行動し、なにがしの「結果」を得てから「正しさ」を評価します。同じ結論でも「正しさ」は時代によって変遷し、ヒトは反省したり誇りに思ったりで忙しいです。

 AIが、ヒトから見て間違った行動を取ったとしても、それを評価するのは「ヒトより確率的に優れたAI」なので、AIは「正しい事」しかしません。

 宗教によらず大量虐殺を成した人(例えばアイヒマン)は極悪人と言われ、それが戦争の場合は「戦犯」とされます。宗教に従って(或いは、従った振りをして)大量虐殺を成した人(例えば、トルーマン)は英雄とされ、「戦犯」と言われることは無いようです。

 「我である未熟な白人」が「彼である有色人種を(正当と思い)支配した」のと同様に、「データ駆動型の成長過程にあるAI」が「我であるAIは彼であるヒトを支配するのは正しい」と考えるのは当然かもしれません。



「反射神経」 と 「反社神経」

2024年07月19日 | 思想・思考
 私の家の近くに在るゴミステーションに現れるカラスは、私が何気ない顔をして近付いた時には平気な顔をしてゴミを食い散らかし続けますが、手を上げようとするとコチラを見、手を振り下げても落ち着いて飛び立ちます。

 しかし、子供や女の人が近づくと逆に睨みつけ、鳴いて威嚇します。カラスは「反射神経」と「反社神経」がともに優れているのかも知れませんww

 カラスの翼はヒトの腕に相当するので、若しかすると「手の上げ下げ」と「翼の羽ばたき」がミラーニューロンによって同期しているのかも知れません。と、言うのも、私は忘れっぽくブログ記事は、今もそうですが、簡単なことでも常に検索しながら書きます。つまり「カラス頭」と云うことで、何らかの共感を体現しているようにも思えますww

 赤ちゃんが母親と同じ行動をとったり、サルが猿真似をするのも、このミラーニューロンによるものではないかと考えられています。

 鏡は、上下は変わらず左右が反対に映るとされています。上下は「天が上で地が下」と、客観的に決められているので鏡でも変えることは出来ません。左右の場合は「左手が左で右手は右」と主観的に決められていますが、鏡に映る自分も右手は右なので「反対に映っている」訳ではありません。客観的に観ても、本人の右手が東側を向いていれば、鏡に映っている人の右手も東側に有ります。但し、前後は反対向きになります。

 客観的に観ると、他人の二人が対面すると左右が反対になります。若しかすると、親が右利きで子が左利きなのは、鏡像効果(ミラーニューロン)によるものかもしれませんww

 ところで、少し前の都知事選で特定の話法(構文)をヨドミなく繰り返す候補者が複数いたようです。いずれも思想の左右を反転して語り、「反射神経」や「反社神経」が特異的に発達した人で、これもミラーニューロン効果ではないかと思いましたマル


「哲学」 と 「政治」

2024年07月14日 | 思想・思考
 どうやら「現代哲学」には2系統あって、

・イギリス哲学:経験論
・大陸哲学  :合理論

他に、古くから、

・ギリシャ哲学:教育論
・イスラム哲学:神学論

などが確立しているようです。

 影響を受けているかどうかは判らないのですが、日本は「ギリシャ哲学」に近く「教育的」です。「ギリシャ哲学」は、理想(観念)を主題にしているので、「定義が正しければ」学問として最も有益な思考と言えます。

 例えば、「人類は皆平等」は理想的(観念的)ですが、「平等とは本質的に違いが無いこと」と定義した場合、親子・男女にも違いがなくなり「人類の為の学問」によって「人類が滅亡する」ことになり、この定義は間違っていると理解できます。

 数学や物理学などで使用する「確立した定義(包括的には正しいとは限らない)」の場合は、その有効な定義域をはみ出さない限り「正しい」とされ、学校教育には最も優れた手法と言えます。

 「イスラム哲学」のような一神教(神学論)では、「正しさ」は一つしかなく「定義」自体が不要なので「科学(間違いを対象にする学問)」の範疇では有りません。但し、「神学論争」と云うように、結論が出ないことを利用して既得権益の保全には役立つので、「宗教国家」から「宗教系の学校」に至るまで、その利用価値は高いようですww

 「大陸哲学」は、「正しさ」が最初に有るのではなく、「結果」を正しいとする為に屁理屈・嘘・出鱈目など何でもありで、「文系」の得意分野かも知れませんww

 「戦勝国連合(通称、国連)」は、大陸哲学が軸になっているようで、そこから派生した「占領統治法(通称、日本国憲法)」なども、理系の私には「ナニそれ」ですww

 最も厄介なのが「イギリス哲学」で、「経験論」と云うように過去の経験が正しいとする一方、複数の経験に矛盾が生じた場合は勝手に「アウフヘーベン(止揚)」されてしまうので、過去の犯罪すら昇華されてしまいます。当然ながら「現在が最も正しい」ので、過去に犯した大罪を気に留めることなく、大きな顔してモットモらしい事を言います。

 アウフヘーベンが好きな「何処かの都知事」はイギリス哲学の達人のようで、多くの都民も騙されたようですww