オメガねこ

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「AI」 と 「シンギュラリティ」 Ⅱ

2020年03月31日 | 科学
 【ネタ切れに付き、過去記事の「編集・加筆」です。】

 AI(artificial intelligence)は人工知能と訳されますが、人工知能は人が作った知能体なので、その能力は人類を超えることは出来ません。

 AIの能力が人類を超えるように思えるのは、人間が造った自動車が人間より早く走る事をもって「機械が人類を超えた。」と思う事に似ています。事実としては、自動車は人間に制御されているので「人間の道具に過ぎない」と言えます。勿論、自動車が人間の制御を拒否して暴走する事も有るとは思いますが、それは人間を超えたとは言えません。

 人間を介さないで、AIの自己フィードバック機能のみで、自ら改良・高度化した技術や知能が「人類に代わって文明の進歩の主役」になる時点を「シンギュラリティ(技術的特異点)」と言います。

 但し、この「自己進化型知能(self-Evolving Intelligence:以降、sEI)」は人が造るのではないので、すでに「人工知能」とは言えません。一般に進化論では「ヒトはサルから進化した」と言いますが、進化した人を「猿工動物」とは言わないのと同じです。但し、「ヒトはサルから進化した」のではなく、正しくは「ヒトもサルも、ヒトとサルの共通の動物から、それぞれ進化した」のであり、現存するサルも進化した結果です。

 ここでは「進化」と書きますが、単に、より新しいモノを「進化」と書いてるだけであり、能力や道徳的に優れているか如何かは判りません。ウイルスや細菌が進化して他の動植物に「変化」するかも知れませんが、逆に動植物が放射線や他の何かの影響で細胞の分離を起こし、ウイルスや細菌に「進化」するかも知れません。

 囲碁などのゲームではAIは人を越えたと言われますが、ゲームにはルールがあり、囲碁の場合は、人はコンピュータや他人の力を借りてはいけない事になっています。しかし、対戦を見るとAIがヒトの手を使い、片や人間は自分の手を使って一人で戦っています。AIはコンピュータそのものなので、最初からAI側はルール違反の手で勝った事になりますす。

 つまり、囲碁のルールを変えて、人間もコンピュータ(AI)を使用出来るようにしなければゲームとしては成立しないと言えます。そうすれば、AIが人を使った「チーム」と、人間がAIを使った「チーム」の面白い対戦が見られると思います。
 
 ゲームと同様に社会生活にもルールがあり、人間のルールが有る限りシンギュラリティは起きません。ルールに則りAIが自身で開発した「sEI」は、自動運転車自動車と同様に人間も利用できるので、sEIが人間の能力を超えた事にはなりません。

 シンギュラリティーを起こすには、sEIがルールを変えるか、ルールが無い状態にしなければなりません。またsEIの進化過程では、人間の都合でsEI対sEIの争いも考えられ、必ずどちらかが負けます。負けたsEIは努力をして負けないようになりますが、完成型sEIはどちらも負けなくなり、勝負は成り立たなくなります。

 完成型sEIは人間と違って、無意味な行動を起こすことが無いので、自己停止して「シンギュラリティ」は起きません。あくまでも主役は「愚かな人間」です。

 一方、不完全なsEIの場合は暴走する可能性も有り、「シンギュラリティ」が起こるかも知れません。しかし、sEIが自ら更に優れたsEIを創ることが「シンギュラリティー」の定義なので、不完全なsEIが完全なsEIを創った場合は自己停止が待ち受け、逆に、哲学的なsEIが「不完全ほど完全なものは無い」と理解し、より不完全なsEIを創り、縮小再生産の結果シンギュラリティーの結末は「無」に帰結します。

 何れにしても「人間の愚かさ」を超えるsEIは誕生しないので、常に人間が主役になります。これは、優れた人間ほど、ペットを主役にするのに似ています。




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