オメガねこ

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「シンジローのパラドックス」 と 「定義域」

2024年10月22日 | 思想・思考
 「進次郎構文」は、2成分の語彙を前後入れ替えることで成立する「哲学的」な文章です。

「球が丸いのは、丸いのが球だからである。」
「国民が税負担で困っているのは、税負担で困っている国民がいるからである。」

などなど、真を突いた構文で感心させられます。

 パラドックスとは、正しそうな前提と、妥当に思える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉(背理)であって、実際には、正しくも妥当でもない前提から導かれた結論でしかありません。但し、「結論」だけは正しい場合があるので要注意です。

 つまり、パラドックスとは「(正しい)結論を導き出すための方便(屁理屈)」でしかないと云う事です。それでも、「ことば」の定義が正しければパラドックスは存在しません。

 ところが「進次郎構文」では、「ことばの定義」は当然として、前提・推論・結論すべてが独立しています。なので、前提・推論・結論のどれもが其々を説明していないところに欠陥があり、正しくは「疑似(似非?)パラドックス」と言うべきかもしれませんww

「進次郎が正しいのは、正しいのが進次郎だからであり、ゆえに、進次郎の正しさは自明である。」

 「事実」と真実」の定義に関して、

事実:神が成した事。
真実:  〃   と、人が信じる事。

なので、本人が正しいと思えば事実では無くても「真実」の範疇で、ここには矛盾はありません。単に「事実では無い」だけです。

 「事実」も「真実」も、正しいとは限りません。「事実」は単なる現実・現象にすぎず、それをヒトが「真実」と思っているだけであり「正しさ」を説明していません。と言うよりも、「正しさ」とは科学的推論の修飾語で、「事実/真実」とは別の「定義域」です。
 
正しさ:科学的推定値
定義域:語句の意味の範囲
値域 :正しさの範囲

 語句の「定義域」で、取り得る「値域」内である場合を「正しさ」と言い、域外の場合は「間違い」となります。




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