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オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「キリストの割礼」 と 「元日」

2022年01月01日 | 歴史
キリスト教徒の皆さま、基督紀2022年1月1日、明けましておめでとうございます。

神道に慣れ親しんでいる皆さま、皇紀二六八一年十一月二九日、今日も元気で過ごしましょう。

檀君の子孫の皆さま、檀君紀4355年(日付は不明)兎に角おめでとうございます。

中国国民党にゆかりのある皆さま、民國紀百十一年(おそらく今日は十一月二九日)、
「台湾共和国への国名変更動議可決」おめでとうございます。そして行政院(内閣)での承認を祈念しています。

チュチェ思想の皆さま、主体紀111年1月1日、一並びおめでとうございます。

 明治43年か大正元年に生まれた人は今年111歳で、日本人男性は一人だけです。111歳は国内男性の最高齢だそうです。

 その他多くの皆様、今日は「イエスキリストが割礼を受けた日」であると一部の人が主張している記念日です。多様性を尊重する皆さま、おめでとうございます。

 世界の暦を調べてみると、

・ロムルス暦(B.C.750年頃);年の始まりは春(現在の3月)で、秋までの10ヶ月間 (304日=8日/週×38週) が一年間です。春(1~4番目の月)の各月は神の名(マルティウス ~ ユーニウス)で表示し、夏(5~7)と秋(8~10)は数値「クィーンティーリス:5番目の月(現在の7月)~ デケンベル:10番目の月(現在の12月)」で表示。残りの冬には月名は無い。

 古来、多くの地域では「一日の始まりは日の出時」で「一日の終わりは日没時」とされていて、農業が中心の時代なので、冬には「月名が無い」のも頷けます。

・ヌマ歴初期(B.C.713年~);3月1日が年初である事はローマ(ロムルス)歴と同じだが、11番目の月(現在の1月)として「ヤーヌアーリウス」が、12番目の月(現在の2月)には「フェブルアーリウス」と、13番目の月として「メルケディウス」が加えられる。

 当時は「連続した日付」は無く、その月の最初の日(Kalendae :カレンダエ)に月名を宣言し、ノーナエ(カレンダエから5日又は7日後)と、イードゥース(カレンダエから13日又は15日後)を基準に、その「幾つ前」或いは「幾つ後」と言っていたそうです。

 つまり、元旦(現在の1月1日の朝)は、ヤーヌアーリウス(11番目の月)・カレンダエの「日の出の頃」ですが、ヌマ歴では「マルティウス(1番目の月:現在の3月)・カレンダエ(最初の日)」が年初なので、「年の始めの ためしとて♪」が唄われていたと言われていま・・・せんww。

・ヌマ歴後期(~B.C.46年);ヌマ歴最終期のローマ暦は、1年は12ヶ月(355日)で、年始は現在と同じ
「1月1日」であった。

 カエサルの死後(B.C.44年)には、クィーンティーリス(5番目の月:現在の7月)が「Iulius(英語のJuly」に改称され、B.C.8年にセクスティーリス(6番目の月:現在の8月)が「Augustus(英語のAugust)」に改称されたそうです。

 今日は「A.D.2022年1月1日」ですが、この「A.D.(anno Domini:主の年に)」は「キリスト生誕後」を
意味するとされているようですが、現在ではイエスキリストが生まれたのはB.C.4年ではないかとされています。

 「一月一日、めでたくも有り、めでたくも無し」。何れにしても、これからも宜しくお願い致します。



「Ξ」 と 「ξ」

2021年10月18日 | 歴史
 ギリシャ文字で、「Ξ」は大文字、「ξ」は小文字の第14字母で数価は60だそうです。日本語読みでは「クサイ(クシー)」で、英語では「Xi(ザイ)」です。

 「Xi」は中国語読みでは「シイ」と読むようで、「習 近平(シイ チンピン)」は「Xi Jinping」なので、「志位 和夫(しい かずお)」は「Xi Kazuo」と書くのかもしれません。決して「くさい かずお」と日本語読みはしないでくさいww

 ξ氏は東大工学部物理工学科出身で日本共産党委員長です。ξ氏は、日本がアジアを侵略したと今でも信じていて「日本嫌い」なのは理解できますが、何故かアメリカに関しては、「『独立宣言』に発する偉大な民主主義の歴史と伝統に対しては深い敬意を持っている」としていて、大空襲や原爆による民間人を狙った大量虐殺は忘れたようです。民間人とは言っても「嫌いな日本人」なので、どうでも良いのかもしれませんが、インディアンに対する大虐殺は忘れるべきではありません。

 アメリカの「独立宣言」とは言っても、主にイギリス人がインディアンから奪った土地を、その奪った人がイギリスから分離独立しただけであって、そこには「正義の欠片」も有りません。若しもその理屈が通るのなら、日本人が満州に進出し、そこで独立宣言をしても、ξ氏は敬意を持つ事になります。

 しかし、少しだけアメリカと違い、日本人は満州人を虐殺しなかった事が、ξ氏が「日本嫌い」になった原因なのかも知れません。何せ、反対意見を主張する人民を粛正する事で「真の民主主義社会」を構築するのが共産主義なので、止むを得ないのかも知れません。

 但し、ξ氏は「『中国の党』は社会主義・共産主義を名乗っているけれども、覇権主義・大国主義の行動、人権侵害の行動、これは共産党の名に値しない」とも言っていて、「中国」は認めるが「中国の党」は認めていないようです。つまり、「中共」は値の無い政党という事です。

 その「値の無い政党」の総書記である、もう一人のΞ氏は、私と同様に高校には通った事が無いようです。但し、清華大学で、代筆により法学博士の学位を得ていて、今では「自称、中華人民共和国の最高指導者」です。

 Ξ氏も、ξ氏と同様に、日本がアジアを侵略したと本気で信じていて「日本嫌い」なのは分かりますが、何故か「中共」と戦争した事が無い日本に対して「中共」が勝利した日として、毎年9月3日に「抗日戦争勝利記念日」を祝っています。それでも2015年からは、戦ってもいない戦争に勝利する事は有り得ない事を理解したのか、「勝利」を消し「抗日戦争記念日」として休日になったようです。

 来年は「日中国交正常化50周年」を迎えると言われていますが、少なくとも私には現在も含めて、過去に「日本と中共」が国交正常化した時代が有った記憶は有りません。それどころか、これを「日中(中日)国交回復」と言う人もいるようで、「回復」する為にはそれ以前に「国交断絶」、更にその前に「国交」を正常に結んでいた時代が必要になりますが、「日本と中国」の間に正常な国交が有ったのは「中華民国南京政府(汪兆銘)」の時代しか知りません。

 つまり、「日中国交回復」と言う人は、少なくとも「汪兆銘政権」を認める事になります。



「旧日本軍」 と 「従軍慰安婦」

2021年07月16日 | 歴史
 どうやら、帝国陸軍に健康診断や移動時の安全を保障された追軍慰安婦を象徴しない「金粉少女像」に跪ずいて謝罪する「金粉男の像」が韓国に有るようです。

 この記事では「旧日本軍」とか「従軍慰安婦」とかが書かれていますが、先ずは「従軍慰安婦問題」を片付けます。

 「従軍慰安婦問題」を象徴するのは「少女像」ではなく、「朝日新聞と吉田清治」です。これは、2014年8月5日の朝日新聞紙面で『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』として、吉田証言に関する掲載記事を取り消したことからも明らかです。

 つまり、「従軍慰安婦問題」とは「吉田清治捏造問題」を意味しています。また、この捏造を「真実だ」として補強したのが
「元赤旗記者」の今田真人です。「朝日」と「赤旗」は記事を取り消したようですが、謝罪したかどうかは微妙です。

 「従軍慰安婦呼ばわりされた元少女」に対して謝罪した話は聞いた事が有りません。紙面での訂正・謝罪は「読者に対する訂正・謝罪」であり、関係被害者に対する謝罪では有りません。是非とも「朝日・赤旗」の現関係者は、この「平和の少女像」の前に土下座し、謝罪すべきです。何故なら、「慰安婦(売春婦の名で呼ぶには忍びないので、婉曲表現で付けた職業名)」は当時としては公式に認められた職業の一つであり、差別は許されないからです。

 今から百年後に「人(労働者)をカネで使役するのは人権侵害だ。」が標準的な思想になった場合、現在の会社経営者は、未来の人権派にとっては犯罪者になりますが、当然ながら今の経営者は何食わぬ顔をして雇用し続けています。同様に過去の人も、その時代の社会常識で生きていたに過ぎません。現在の基準で過去を裁くのは、傲慢と言えます。否、寧ろ名誉棄損に相当する犯罪者です。

 ここからが本題です。「元慰安婦」の接頭辞「元」とは以前のことで、直前の場合は「前」と書き、何れも現在とは違う事を意味します。「前慰安婦」の場合は、戦後のアメリカ統治時代の「韓国軍慰安婦」を指します。

 似た接頭辞に「旧」が有りますが、これは「新・旧」の区別や、過去に存在したが現在は無くなった場合に使います。

 「帝国日本陸海軍」が有った時代に、正式に「日本軍」と呼んでいたとは思えません。陸海軍・帝国陸海軍・国軍・皇軍ならば聞いた事がありますが、日本人が自国軍を「日本軍」と呼ぶのは不自然です。自衛隊も日本国内では「日本自衛隊」とは言いません。但し、対外的には「Japan Self-Defense Forces(日本国自衛軍)」と書きます。若しも、「旧国軍」を「日本軍」と書いてある戦前の公式文書が有ったら教えて下さい。その時は、この記事を削除します。

 現在は、日本には「軍隊」は存在してないとされているので、「旧日本軍」は「新・旧」の話では無い事は確かで、過去に「日本軍」と呼ばれる組織が有った事になります。ところが、

 「 Potsdam Declaration 」の(13)には、
・・proclaim now the unconditional surrender of all Japanese armed forces・・
ポツダム宣言(十三)
・・直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ・・

 「下関条約第七條」にも、
現ニ淸國版圖内ニ在ル日本國軍隊ノ撤囘ハ・・

と書いてあり、「日本軍(Japan army)」とは書かれていません。つまり、対外的な条約などで使われる「(旧)日本国軍(隊)」は有っても、自らの「国軍」に対して「(旧)日本軍」とは言わないと云う事です。細かいようですが、これが日本の歴史の教科書に”国史”と書かずに「日本史」と書いていても、疑問に思わなくなった理由です。

 その内「国語」の教科書も「日本語」と書かれるかも知れません。これは、国を無くし総てを人民の地域にする事を望む勢力の企みです。その勢力は、現在は「戸籍制度」の廃止に力を入れていますが、その内「国を廃止」して、ワンワールドを実現しようとします。

 ワンワールドが成立すると、積弊の「カネを遣り取りする旧労使関係」は禁止され、気高く「主人に無償で仕える労使関係」が標準になります。現在の感覚では「奴隷」の様に思えますが、百年後は「カネで働く人間は守銭奴」と言われます。但しこれは、99%の「旧労働者階級」の話で、1%の「現支配者層」は変わる事はなく、益々カネを儲けています。



「先住民族」 と 「縄文人」 ①

2021年07月06日 | 歴史
 「縄文人」の遺伝子は「チベット人」や「東南アジア人」と共通するところが有るそうです。その共通する特徴は「他民族を快く受け入れる」所だと思いますが、その所為もあり「東南アジア」は戦前に欧米の植民地になり、戦後は「チベット」が中共の植民地になっています。
 
 それぞれの地域で少しタイプは異なっており、アンダマン海諸島(ジャラワ族、オンゲ族)は「D1a3」、日本列島(大和民族、アイヌ民族、琉球民族)は「D1a2」、チベット民族は「D1a1」だそうです。
 
 「アイヌ民族」と言われる種族は、少なくとも大きく分けて5系統あって、総ての「アイヌ」に「縄文人」の遺伝子が特徴的に残されているかは判りません。また、戦前にドイツの学者が「アイヌは白人系のようだ」と主張した様ですが、その後の研究結果は聞きません。確かに、シベリア系の顔をしたアイヌもいるようなので「白人の血統」を引き継いだ種族もいると思います。
 
 紀元前のシベリアの「先住民」がコーカソイドがモンゴロイドかは判りませんが、混在していたと思われ「先住民族認定」は不可能だと思います。その後、様々な民族が押し寄せてきて「シベリア先住民」は押し出され、その一部の種族が北方日本に逃れてきたようです。
 
 その後シベリアにはロシアが進出し、17~19世紀にかけて、現在の領域が征服されたました。今でもシベリアに「アイヌ系」の顔をした種族がいるようで、ロシアは「北海道にもアイヌ民族が住んでいる」としてロシア領である事を示唆しています。これは、鈴木宗男議員が「北方領土の先住民はアイヌなので、日本に帰属するのは当然だ」と言った事に対する反論だと思われます。軽慮浅謀はロシア人には通用しません。

 日本列島の先住民族は「縄文人」で有るとされています。この事は「縄文人以前に先住民族はいなかった」事を証明してはいないのですが、現在の科学では「それで良し」としています。これを否定すると、人類が最初に誕生したのがアフリカなので、地上の土地は全てアフリカ人の土地になってしまいます。

 縄文人の遺伝子(男系ハプログループD系)はシベリアから支那大陸・東南アジアに広く分布していたのですが、現在では「D1a系」として3万5千年以上前に分岐した、日本列島(D1a2a)とチベット(D1a1)とアンダマン海周辺(D1a2b・D1a3)にしか特徴的には残っていないそうです。

 また、縄文人の特徴とされる「D1a2a(名称は変遷する)」は、現在では「北海道アイヌ:80%」「和人:30%」「沖縄・奄美:50%」に見られると言われています。ここで誤解されるのが、「アイヌは縄文人の遺伝子を最も多く引き継いでいるのだから、縄文遺跡が多くある北部東北・蝦夷(北海道)はアイヌ民族の土地だ。」です。

 アイヌと言われる少なくとも5種族(以降、アイヌ民族)の人口は、過去にも数万人を超える事が無く、アイヌ民族が歴史に出てくる鎌倉時代には日本列島の和人は600万人とされています。江戸時代には、蝦夷に住むアイヌ民族と領民(住民登録された和人)の人口はほゞ同じとされていますが、当然「登録外の和人」も住んでいた事は明らかです。それは、「北海道縄文人」の全てが「アイヌ民族」になったと考えるのは不自然だからです。

 これらの事象から推察できるのは、縄文人は「お人好し」で、他民族を安易に受け入れる性癖(セクシャルな意味ではない)があり、侵入(或いは侵略)してきた民族の習性によって「地域的な特徴」を残した、と云う事です。

* 北海道(アイヌ):12~13世紀ころにシベリアから南下して来た様々な民族が縄文系民族と習合し、その民族の排他的な特徴により、それ以降は他の民族を拒絶した為に縄文の遺伝子が保存され、集合しなかった縄文系民族の一部はアイヌによって
「コロポックル」と呼ばれた。

* 本州・九州・四国地域(和人):元々、縄文人は日本海を挟んで大陸側にも居住していて、大陸西方の民族の進出によって混血が進んだ大陸・半島縄文人が日本列島に逃れて来た為に、縄文系遺伝子が減少し、弥生人(和人)となった。

* 沖縄(ウチナンチュウ):島しょ地域の為に他民族の侵入があまりなく、前述の理由による本土の和人によって縄文系遺伝子が減少し沖縄人(ウチナンチュウ)になった。

 これが合理的な解釈ですが、後から来た民族の混血が正当な「先住民族」になるのなら、上記の解釈は間違いと言えます。但しその場合は、私の家系は少なくとも5世代続く北海道の土人ですが、現在の北海道住民は「知事も含めて」その多くはドサンコでは無く、後から来た民族が「先住民族」になるのなら、本州民族が「北海道の先住民族」になってしまい、訳が分からなくなります。

 後日、「男系遺伝子ハプログループ系」の特徴について書く予定です。



「五徳」 と 「中華」

2021年05月20日 | 歴史
 一般的な五徳は、鉄製で丸い輪に足が三本付いていて、炉などの熱源の上に置き、鍋やヤカンなどを載せて加熱に用いる器具ですが、七輪と同様にその数字と機能とは関係ないように思えます。しかし、構造上の三本足は合理的で、本体や置く場所に多少の凸凹が有ってもガタつく事無く安定して立つことが出来ます。

 恐らく、世界中で似たようなモノは有ると思いますが、他国から教えて貰わなくても、合理的な構造なので独自に作っても同様な構造になると思います。「必要は発明の”母”(ジェンダーフリー的に書くと”親”か、或いは”子を産む主体”)」と言うように、不要な場合は作られません。

 ところで、五徳と言えばよく言われる、中国から日本に伝わった儒教で、
「五徳(温・良・恭・倹・譲)」や「五常の徳(仁、義、礼、智、信)」により「父子、君臣、夫婦、長幼、朋友」の五倫の道を全うする教え、とされています。

 但し、
上の説明には矛盾があり、儒教が日本に伝わった時代には「中原」と云う概念は有りましたが「中国」と云う地域は存在せず、当時の支那大陸の統治・社会システムには「五徳」「五常」が無いからこそ、必要性から生まれた儒教と言えます。最初から「道徳」が有れば孔子も始祖にはならず、儒教が生まれる必然性も有りません。

 「儒教」が生まれたのは紀元前500年頃で、春秋・戦国・秦・漢・魏・呉・南朝宋・・等々次から次へと同時期にも複数の王朝が乱立し、世が乱れると共に広まり、日本に伝わったのは「学問」として5世紀(南宋の時代?)とされています。伝えたのは「支那大陸」に住む支那人だとは思いますが、同時期に幾つもの國(地域)があり、伝えた人が「宋人」だったのかは判りません。ましてやまだ存在しない「中国人」で有る筈も有りません。但し、古事記によると、論語は百済から3世紀に伝わった事になっています。

 「南朝宋」以降も支那大陸には、隋・唐・元・明・清・(中華民国:王朝ではない)・中華人民共和国・・・等々、次から次へと複数の王朝が乱立していて、「儒教」が役に立ったとは思えません。今では「中共」が「儒教」を利用し宣伝・工作機関として世界中に孔子廟や孔子学院を建てまくっていますが、元々は「儒教は革命に対する反動である」として禁止されていました。

 また、「中国」には地域名以外に、中華文化(文明)の及ぶ概念上の中心である「中原」「中州」「中土」等の意味もあり、文明の及ばない地を「化外の地」としています。ただし、「中原」にしてみれば「化外の地」は現在で言う「領土外の土地」ではなく、「天から天子に与えられた領有地だが、未だに文化が及ばない地域」に過ぎず、現在に至ります。

 この事から、当然「全世界は中原の領有地」と言え、「化外の地」は「中華皇帝」の能力不足により統治しきれてない地域と解釈され、近くは「台湾・日本・東南アジア」から遠くは「欧州・アメリカ」まであります。

 つまり、日本が「支那大陸」を「中国」と呼ぶことは、意味の取り方によっては、日本が中華圏に属する事を認める事になります。この「中国の二義性」には注意が必要で、「漢委奴国王」の金印もその意味の取りようでは「日本は古来から中国の領土である事を認めていた」証拠とされます。

 日本では「儒教」にも二義性が有り、「宗教」として非課税の対象になり、「学問」として公的補助の対象にもなります。沖縄の孔子廟(久米至聖廟)は、この二義性を利用したのですが、今年の3月に「憲法20条3項に反するとして公園使用料の全額免除は違法」との違憲判断が下されました。但しこれは、この施設の管理者が民間人で、実際に「宗教行為」を行ったからであり、他の孔子廟などの「(過去の)宗教関連施設」で国家管理の場合は問題は無いとされています。

 取り敢えず「儒教」の二義性の分離には成功したのですが、未だに「中国」の二義性は利用され続けています。一刻も早く「中共」の侵略・支配地域である「チベット・東トルキスタン・南モンゴル・満州」を分離して「中国:中くらいの国」を正式国家にすべきです。それなら、自ら「中国」を「中華」と言っても、放って置けば済む話です。