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オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「縄文人」 と 「アイヌ人」

2022年08月09日 | 歴史
 日本列島に本格的にヒトが住み始めたのは3万年以上前からだと思われますが、2万年前頃から文化(定住)を持ち始め「縄文人」となったとされています。

 「アイヌ(良い人と云う意味で、民族と言えるかどうかは不明)」の歴史は定かでは無いのですが、文書に残された「歴史」は800年程前からです。現在の「アイヌ人」も「縄文系」の遺伝子を引き継いでいて、日本に住む「アイヌ人」は日本民族なのですが、若しも「”アイヌ民族”は北海道とその周辺に住む日本の先住民族」とされた場合は、それまで先住していた「縄文人」は、理由は兎も角、北海道から「絶滅」した事になります。

 ここで言う「アイヌ民族」や「縄文人」などのように、「民族」と「~人」の違いはハッキリしないのですが、私なりに、

・人種; 肌の色や目の色などの、遺伝的特徴による区分。但し現在では、生物科学的に人種は「ホモサピエンス・サピエンス」の単一種。
・民族; 言語・宗教・風習などの文化が共通の群で、人種を問わない。
・~人; 特定の時代に、特定の領域を生活圏とした人々で、人種・民族を問わない。

と、定義します。

 例えば、「ユダヤ人」は古代・中世に中近東(古代イスラエルが中心)に居住していた人々ですが、当時は「国籍」や「遺伝子」の概念がなかったので、他の地域に離散した場合は「ユダヤ人」と言えるかどうかは定かではありません。但し、「ユダヤ民族」の場合は現在でもユダヤ教を信奉している人であり、何処で暮らしていても(当人が望めば)「ユダヤ民族」と言えます。

 「縄文人」の場合は、その定義から当時日本(とその周辺)で縄文土器を使用していた人々なので、大陸・半島の東沿岸部に居住していた人も含まれます。また、現在の「日本人」は、日本国籍を持っている人で、人種・民族を問わず、主に日本に住んでいる人が大半です。

 「日本民族」には、あらゆる神(自然そのものも含む)を受け入れる風習があるので、人種どころか宗教すら問う事が出来ません。そう考えると、民間の施設である「靖国神社」や「神道」を忌避する人は、「日本人」と言えても「日本民族」とは言えないのかも知れませんが、良く分かりませんww

 ところで、800年前に「北海道の縄文人が絶滅した」とする証拠は、「アイヌは先住民族」とする証拠と同様に何処にも無いのですが、政治的に「アイヌは先住民族」と決定する事は、「アイヌが縄文人を絶滅させた」か、他の手段で「エスニッククレンジング(民族浄化)」が為された事になります。

 一部の識者に「アイヌは戦争を好まない民族」と考える人がいるようなので、これが真実とすると、アイヌは平和的に縄文人を駆逐したか、他の勢力がアイヌ以外の民族を浄化した事になります。そうでなければ、少なくとも「アイヌも北海道の先住民族のひとつ」と言わなければなりません。

 そうすると、現在の北海道は「多民族地域」となるのですが、其々の民族を特定し、歴史的占有地を決定しなければ「アイヌ民族」以外の民族は居場所を失います。

 実は、政治的に「アイヌ民族」と言われている古くから北海道に移住してきた「民族」は、少なくとも5民族(部族?)いて「千島列島系」「樺太系」「シベリア系」やその周辺の民族であり、単一民族ではありません。

 つまり、これらの多民族を一緒くたに「アイヌ民族」とすること自体が「政治的民族浄化」と言えます。この「民族浄化」された民族には、古くから先住していた「縄文人」や「弥生人」、大和朝廷から派遣された「和人」も含まれていて、所謂「アイヌ民族」は約800年前からの記録しか残っていない程、他民族を排斥・浄化した結果として生まれた「新しい民族」と言えます。

 私の考察では、

縄文系和人(支那大陸では倭人と呼んでいた)が暮らしていた鎌倉時代の蝦夷(北海道とその周辺)に、モンゴル民族の侵略から逃れて来た北方(シベリア・オホーツク)民族が移住し、受け入れた和人との混交が進んだ以降排他的になり、所謂「アイヌ民族」と言われる人が「縄文遺伝子」を保存した。

と考えるのが自然です。

 現在も、北海道の土地が「支那大陸から逃げて来る予定の民族」に買い占められていて、更に新しい「先住民族」が誕生するかもしれません。

 その「更に新しい先住民族」に、縄文遺伝子が残されるかどうかは、期待できないかもしれませんww


「古代史」と「現代史」

2022年04月19日 | 歴史
 編纂当時では「現代史」であった「古事記・日本書紀」は、今では様々な解釈がなされ「記紀」と言われています。つまり、現在確認できる記紀そのものは「古代史」では無く「解釈を加えた当時の現代史」と言え、その当時の事実を「古代史」にするには記紀などを参考にして「新しい古代史」を編纂する必要があります。

 「古代史」は、現代の人が古代に付いて書いた歴史を言うので、決して「古代の人が書いた歴史」ではありません。但し、「記紀の神話部分」は当時の人にとっても「当時の人が解釈した古代史」と言えます。

 「記紀」と「魏志倭人伝」等の外伝とは相矛盾する所も多く、互いに「非科学的」な個所もあるようです。勿論、「科学」自体もその反論があってこその「科学」であり、反論が消滅した時を以って「常識」に成り下がります。当然、「常識」にも間違いが多く、その間違いが発掘された時点で「科学」が復活します。

 「記紀」に、その当時に間違いである事を承知の上で書いたのなら単なる「偽史和人伝」と言えますが、おそらくは当時の識者は現代の戦後サヨクと違い、不明な個所は「体制維持の為に」そう有って欲しい事を、良かれと思い書いたと思います。

 日本に伝わる「外伝」も、他国の識者が「そう有って欲しいと思っている」と判断し、互いに体制維持に利用できる場合は「歴史」になったと思われます。古い史書に関して、編纂者にとって都合の良いように「上書き」した例は多いようですが、他国の史書を合理的に反論し書き換えた例は無いと思います。

 つまり、現代の「超限戦」に於ける歴史戦とは違い、昔の人は「他国の歴史とは、その国の体制維持に必要な物語である」と理解していたという事です。現在の日本政府も、周辺諸国からの「外伝」に異を唱える事が少ないのも、古代人の意識が残っているからかも知れません。

 日本以外の多くの「歴史」は、「その地に住む人の継続的な歴史」では無く、現支配者の体制維持に力点が置かれているので、その歴史期間は非常に短く、これを補正するために「他人の歴史」を組み込み「自国史」とします。

 現代日本の場合は、「超限戦」に於ける他国史を自国史に取り入れた為に「自虐史」が成立しています。おそらくこれは、自国の体制維持よりも編纂者の利得が重要と考えた結果だと思われます。

 それは兎も角、「革命」の意味からすると、その前後で「継続的な歴史」とは言えないのですが、住民が民族浄化されない限り、その地域住民の継続的な歴史にはなります。民族浄化された場合は「地籍の変遷」に過ぎないので、革命後の「現代史」しか存在しません。それが「中国五千年の歴史」の正体で、単に「支那大陸五千年間の地籍の変遷」を示しているだけです。

 つまり、革命国家の歴史には継続性が無い為、易姓革命後の革命以前は常に「古代史」になります。これは、「記紀の神話部分」と実質的に同じことで、口伝を自由に解釈できます。

 地球を擬人化して「地球の歴史」と言う事も可能ですが、あくまでも「歴史」はヒトの意識の表象です。
「KABU&寛子さん」の記事によると、一言で「歴史とは人の物語」だそうです。但し、その論説文は長いので「閲覧注意」鴨?ww


「露宇戦争」 と 「日米戦争」 ④

2022年04月10日 | 歴史
 ーー通常は「有料会員限定」ですが、今回は特別無料公開です。ーーww₂

 「歴史とは勝者が書く物語」なので「WWⅡ」の戦史は決定していますが、「露宇戦争」の物語は互いに推敲中です。と云う事で、現在報道されている「事実」が真実になるまでに少々時間を要します。但し、時の勝者が次の戦争に敗北した場合は正邪が反転する事もあります。

 露宇戦争での「露国側の主張」は、殆どの「西側諸国」から否定されています。大東亜戦争で「満州を予防占領」し、太平洋戦争では「真珠湾を予防攻撃」した帝国日本軍の主張も、ソ連を含む「戦勝国連合・・(注」からは悉く否定されました。

注)・・この時の「戦勝国」は米国のみで、他の連合国は「対日戦」では全て敗北しています。またソ連に関しては、8月8日の対日宣戦布告は(日ソ中立条約が有効な為)無効と言えます。「ポツダム宣言受諾(8月14日)或いは降伏文書調印(9月2日)」後のソ連による特殊軍事作戦は有効ですが、その場合はソ連が(8月15日或いは9月2日)に新規に「宣戦布告なしに日本に戦争を仕掛けた」と言えます。(日本の終戦記念日は8月15日)


  日ソ中立条約
 第一條
両締約國ハ両國間ニ平和及友好ノ關係ヲ維持シ且相互ニ他方締約國ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スヘキコトヲ約ス

 第二條
締約國ノ一方カ一又ハ二以上ノ第三國ヨリノ軍事行動ノ対象ト為ル場合ニハ他方締約國ハ該紛争ノ全期間中中立ヲ守ルヘシ


 この第一条は、元々日ソ間は条約期間を含めて「平和でも友好でも無く」両者ともに「条約違反状態」にあり殆ど意味はありません。また、「・・維持し且つ・・」と書いてある事から、後文の「不可侵」に関する条文は当然、日露互いに「無効」です。

 第二条に関しては、何方かの国が第三国と交戦状態にある時の全期間の中立遵守なので、日本が米国(連合国)との交戦を終結した場合は、この条約(第二条)は無効と言えます。

 また、「WWⅡ戦史」を見るとソ連は連合国側なので、それ自体が「中立条約」に違反しています。この条約は、日ソが戦わないと云う約束では無く、第三国との紛争中は中立を守る条約です。

 そのソ連が「米国(連合国)との密約」のもと、日米戦争終了後(その時点で日ソ中立条約第二条の中立条件の対象外)も対日侵略を継続し、樺太・千島列島・北方4島を奪いました。ソ連に対する米国の約束(日本領土の分割譲渡)には北海道の東半分も含まれていましたが、米国が「約束を反故」にした為に北海道本土は救われました。

 これは、ソ連による「米国を主敵とする予防占領・予防攻撃」と言え、ソ連にとっては正しい「自衛戦争」といえます。ソ連崩壊後に継承した露国は、これを「戦争の結果、正当に手に入れた領土」と公言していますが、「北海道の東半分の領有権」は、米国に主張する権利を留保しています。

 また、露国の法律では「ロシアの各民族が居住する土地は露国の領土」としている事から、ロシアの一民族である「アイヌ民族」が住む北海道も露国の領土となります。

 2019年に制定した日本の法律(
アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律)でも、「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々」としているにも拘らず「アイヌ民族は元来の日本人である」とは書かれていない事から、東北以北は「露国の法律ではロシア領」と言えます。

 更に「北部周辺」が何処までを指しているのかが不明な為、日本の中部・南部以外はロシア領である事を日本も認めているとも解釈できます。

 戦勝者史観で「屁理屈」を捏ねると頭がクラクラするので、続きの屁理屈は「敗戦者史観」で考えを整理してから書きますww₂



「縄文系縄文人」 と 「弥生系縄文人」

2022年03月11日 | 歴史
 日本の民族構成は、「縄文人」の住む地域に新たに「弥生人」が侵入してきたのでは無く、また「縄文人」が突然「弥生人」に変わった訳でも無い事は、最近の「遺伝子分析」で確認されているようです。

 「縄文系縄文人」と「弥生系縄文人」は何れも「縄文人」由来で、ここでは其々「縄文系」と「「弥生系」として書きます。他にも「九州・四国・中国地方・元半島系縄文人」もいますが、これを「倭人系」とします。

 古代から基本は全て「縄文人」ですが、そこに長い年月をかけて周辺民族との混交が進み、その内、新し物好きな系統が「弥生人」と呼ばれ「弥生系」として、大陸との交易が盛んになると「倭人」と呼ばれ「倭人系」として、変化を望まなかった「縄文人」は「縄文系」として、其々現在でも存在しています。

・「縄文系」;保守的で、如何なる時代でも変化なく、一定数居る。
・「弥生系」;混乱に強く、危機に瀕すると活躍し、増殖し易い。
・「倭人系」;日和見的で、常に勝者側に付く為、正義のように見える。

 経済活動は「弥生系」が担いグローバリズム思考です。政治は「倭人系」に、文化面では「縄文系」が向いています。

 経済成長期でも「縄文系」の人数は然ほど変わらないのですが、「弥生系」が増える為に「日本人」の人口が増加します。この時に最も利益を得るのは「倭人系」です。
 
 安定期には、「弥生系」による人口増加率が止まり、「倭人系」も大人しくなり政治も停滞します。但し、「縄文系」は環境が変わっても同じ事を繰り返しているので、相対的に活躍しているように見えます。

 混乱期になると真っ先に居なくなるのは「倭人系」で、「弥生系」は自分勝手に活動し始めるのですが、「縄文系」が安定化に乗り出し秩序が保たれます。そろそろ「縄文系」の出番かも知れませんww

 「石器時代」の日本海周辺(当時は陸続き?)には、後に「縄文人」と呼ばれる民族が住んでいて、縄文海進が進むにつれて大陸から日本列島が分断し、「縄文人」が誕生しました。「大陸半島系縄文人」が「大陸西部民族」に浸食されその一部が後の「弥生系」となり、残りの半島南部に留まっていた「倭人系」も遂には日本列島に押し出され、現在の「縄文系(東北以北・九州以南)」「弥生系(関西~関東)」「倭人系(九州・四国・中国地方)」による、北海道から沖縄までの「日本民族」を形成する事になりました。

 北海道の「縄文系」は10世紀ころに、更に北のオホーツク系民族・大陸北方系民族の侵入にあい混交が進んだのですが、北方系の「平均寿命が短く若死にし易い」特徴から北方男系(Y染色体)が激減し、現在の「アイヌ系」と呼ばれる民族が「縄文系Y染色体」を保存しました。つまり「アイヌ系」では、男系(Y染色体)は縄文系で女系(ミトコンドリア)は北方系の特徴も残していると予測できます。但し、私は調査した事が無いので「事実」は分かりません。単なる「科学的な推測」です。

 また日本全国を見ると、「縄文系」が減ったのではなく、経済成長と共に「弥生系」の増殖率が高くなり、その割合が変化したと言えます。当然「倭人系」は政治を利用して、常に優位な立場にいます。

(異端説です)



「皇紀2682年」 と 「西暦2022年」

2022年02月12日 | 歴史
 「皇紀元年」を「西暦」に当て嵌めると正しくは何年になるかは分かりませんが、「西暦元年」もその定義からすると今から何年前かは分かりません。

 
「西暦」は宗教由来で、「皇紀」は記紀由来です。「西暦」を使う事は宗教的行為になるので、公務員が公的に使う事は憲法違反になります。当然、国民に使うよう指示する事は信教の自由を侵す事になります。

 憲法第二〇条
1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 記紀は、「神話と史実」が書かれていますが「天皇」が日本の象徴(元首)で在る限り、憲法上は宗教とは関係ない「正式な歴史書」になるので、公務員は「皇紀」を使用する義務が生じます。「和暦」でも良いのですが、通年計算が難しくなるので「皇紀」の方が使いやすいと思います。

 「今年は皇紀2682年」だと言うと「史実とは違う」と否定する人もいますが、「西暦元年1月1日」の定義は「イエスキリストが割礼を受けた日」とされていて、実際には数年の誤差が有ると言われています。「西暦」も「皇紀」と同様にその元年は作り話と云う事になりますが「今年は西暦2022年です」と言っても、それを史実と違うと否定する人はいません。

 つまり「史実」とは、有ったとされる歴史であり事実である必要は無いと云う事になります。当然ながら、記紀の前半が「神話」だとしても、少なくとも神武天皇以降は、在ったとされる歴史が書かれているので「史実」と言えます。

 ところで、「神話」と云う語は明治になってから生まれた熟語で、「記紀」が編纂された時代には無かった事から、「記紀」には当時の言い伝えが「事実」として記録されたと思われます。

 「記紀」の原文を私は見た事が無いのですが、今で言う「神話時代」の記述に「神(神)」が多用されています。この「」を「申(サル)を示す」と解釈するか「申(モウ)し示す」と解釈するかで「史実」が大きく変わります。

 漢字の「神(神)」の成り立ちは「示(祭壇)+電(いなづま)」だそうです。「稲妻(いなづま)」によって「稲」が良く育つと考えた日本(やまと)人が「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」を「記紀」に書いた事から「神は自然現象の擬人化」とも解釈できます。

 つまり、日本での「神」は「God:一神教の神」や「gods:多神教の神々」ではなく、「自然現象」を意味する科学用語と言えます。当時は「科学」と云う熟語が無かったので「神」を当てたと理解できます。その「記紀」を今の科学で解釈するには無理があり、例えば現代人が「神は存在しない」と解釈した場合は「自然は存在しない」となり、定義の違いにより齟齬が生じます。

「葦原中国(なかつくに)平定」あたり迄は「神の御業(自然現象)」なので善悪の対象外となり、神武天皇からは現在で言う「歴史」の始まりと解釈できます。そうする事で「中華思想」の天子(皇帝)に対抗し、ワンワールドへの溶解を防ぐ事ができました。

 「記紀」は、矛盾を含めて、実に良く出来た「史書」だと思います。