北海道新聞の記事(2025年7月18日)「道新だけの深掘り分析:参院選チェック」で、
参院選北海道選挙区に立候補している日本保守党の小野寺秀氏が、公示後の街頭演説で「国会がアイヌ民族を先住民族と決定したことが問題だ」などと発言した。日本の先住民族は縄文人だという趣旨で、動画サイトに投稿された演説は1万回以上再生されている。一方、アイヌ民族は国連決議で示された先住民族の概念に該当しており、専門家は「民族意識を持つアイヌ民族と、そうではない縄文人の比較はできない」との見解を示す。
・・・・(中略)・・・・
名古屋大大学院国際開発研究科の東村岳史教授は、小野寺氏が先住民族と主張する「縄文人」について、ある時期に日本列島に在住した人々を指し、後世の研究者らがつけた分類だと指摘。「縄文人が縄文人として民族意識を持っていたわけではない。共通のアイデンティティーを持つ集団であるアイヌ民族と比較すること自体が間違いだ」との見方を示す。
参院選北海道選挙区に立候補している日本保守党の小野寺秀氏が、公示後の街頭演説で「国会がアイヌ民族を先住民族と決定したことが問題だ」などと発言した。日本の先住民族は縄文人だという趣旨で、動画サイトに投稿された演説は1万回以上再生されている。一方、アイヌ民族は国連決議で示された先住民族の概念に該当しており、専門家は「民族意識を持つアイヌ民族と、そうではない縄文人の比較はできない」との見解を示す。
・・・・(中略)・・・・
名古屋大大学院国際開発研究科の東村岳史教授は、小野寺氏が先住民族と主張する「縄文人」について、ある時期に日本列島に在住した人々を指し、後世の研究者らがつけた分類だと指摘。「縄文人が縄文人として民族意識を持っていたわけではない。共通のアイデンティティーを持つ集団であるアイヌ民族と比較すること自体が間違いだ」との見方を示す。
・・・・
と書かれています。
私は「縄文人としての民族意識」を持っているので、少なくとも私を「縄文民族」だと、所謂「専門家と国連」も認めざるを得ないと思います。「縄文民族」と自認する私が言うのだから間違いは有りませんω.ω
「縄文民族」の普遍的な民族意識は、「当該地で犯罪を犯さない限り、社会学的・環境学的人種差別を受ける事は無い(郷に入っては郷に従え)」です。
生物学的人種:現在のヒトは、ホモ・サピエンス・サピエンスの単一種。
社会学的人種:宗教・歴史・文化による分類。
環境学的人種:白人・黒人など、自然環境が齎す外見上の分類。
なので、所謂「専門家の主張」が正しいとすると、現在の日本にも当てはまり、日本人が民族意識を持たない場合、民族意識を持つ「中華民族」が日本に何代も永住した場合は、未来の日本では「中華民族は日本の先住民族」と云うことに成りますω.ω
そもそも、所謂「専門家と国連」が思いついた「縄文人が縄文人として民族意識を持っていたわけではない。共通のアイデンティティーを持つ集団であるアイヌ民族と比較すること自体が間違いだ」は、北海道に住んでいた複数の民族を一緒くたに「アイヌ」と名付けたうえでの、後付けの言い訳に過ぎません。
また、多くの日本人は、「アイヌ民族はいなかった」と言っているのではなく、「アイヌ民族は先住民族ではない」と考えているだけです。これもまた、先住民族である「縄文人の私」が言っているので間違いは有りませんω.ω
「アイヌ民族」にも、風習・習慣の違う「民族」が少なくとも5部族はいたと考えられています。それを「共通扱い」され一緒くたに「アイヌ民族」と定義付けることが許されるのなら、総てを「日本民族」としても問題は無い筈です。
「アイヌ」とは日本語で「良い人」を意味するので、例えば「日本民族」の人が「私は良い人です」とは(田母神閣下を除いてω.ω)言わないと思います。同様に、所謂「アイヌ民族」も自身の民族名をを「アイヌ」と言うはずも無く、あくまでも「アイヌ人」や「縄文人」は後世の人が付けた名称にすぎず、「民族意識」を持っているかどうかは本人にしか分かりません。
是非とも「自称研究者」には、民族名を恣意的に付ける「民族差別」を止めてもらいたいと思います。
と書かれています。
私は「縄文人としての民族意識」を持っているので、少なくとも私を「縄文民族」だと、所謂「専門家と国連」も認めざるを得ないと思います。「縄文民族」と自認する私が言うのだから間違いは有りませんω.ω
「縄文民族」の普遍的な民族意識は、「当該地で犯罪を犯さない限り、社会学的・環境学的人種差別を受ける事は無い(郷に入っては郷に従え)」です。
生物学的人種:現在のヒトは、ホモ・サピエンス・サピエンスの単一種。
社会学的人種:宗教・歴史・文化による分類。
環境学的人種:白人・黒人など、自然環境が齎す外見上の分類。
なので、所謂「専門家の主張」が正しいとすると、現在の日本にも当てはまり、日本人が民族意識を持たない場合、民族意識を持つ「中華民族」が日本に何代も永住した場合は、未来の日本では「中華民族は日本の先住民族」と云うことに成りますω.ω
そもそも、所謂「専門家と国連」が思いついた「縄文人が縄文人として民族意識を持っていたわけではない。共通のアイデンティティーを持つ集団であるアイヌ民族と比較すること自体が間違いだ」は、北海道に住んでいた複数の民族を一緒くたに「アイヌ」と名付けたうえでの、後付けの言い訳に過ぎません。
また、多くの日本人は、「アイヌ民族はいなかった」と言っているのではなく、「アイヌ民族は先住民族ではない」と考えているだけです。これもまた、先住民族である「縄文人の私」が言っているので間違いは有りませんω.ω
「アイヌ民族」にも、風習・習慣の違う「民族」が少なくとも5部族はいたと考えられています。それを「共通扱い」され一緒くたに「アイヌ民族」と定義付けることが許されるのなら、総てを「日本民族」としても問題は無い筈です。
「アイヌ」とは日本語で「良い人」を意味するので、例えば「日本民族」の人が「私は良い人です」とは(田母神閣下を除いてω.ω)言わないと思います。同様に、所謂「アイヌ民族」も自身の民族名をを「アイヌ」と言うはずも無く、あくまでも「アイヌ人」や「縄文人」は後世の人が付けた名称にすぎず、「民族意識」を持っているかどうかは本人にしか分かりません。
是非とも「自称研究者」には、民族名を恣意的に付ける「民族差別」を止めてもらいたいと思います。
