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「五徳」 と 「中華」

2021年05月20日 | 歴史
 一般的な五徳は、鉄製で丸い輪に足が三本付いていて、炉などの熱源の上に置き、鍋やヤカンなどを載せて加熱に用いる器具ですが、七輪と同様にその数字と機能とは関係ないように思えます。しかし、構造上の三本足は合理的で、本体や置く場所に多少の凸凹が有ってもガタつく事無く安定して立つことが出来ます。

 恐らく、世界中で似たようなモノは有ると思いますが、他国から教えて貰わなくても、合理的な構造なので独自に作っても同様な構造になると思います。「必要は発明の”母”(ジェンダーフリー的に書くと”親”か、或いは”子を産む主体”)」と言うように、不要な場合は作られません。

 ところで、五徳と言えばよく言われる、中国から日本に伝わった儒教で、
「五徳(温・良・恭・倹・譲)」や「五常の徳(仁、義、礼、智、信)」により「父子、君臣、夫婦、長幼、朋友」の五倫の道を全うする教え、とされています。

 但し、
上の説明には矛盾があり、儒教が日本に伝わった時代には「中原」と云う概念は有りましたが「中国」と云う地域は存在せず、当時の支那大陸の統治・社会システムには「五徳」「五常」が無いからこそ、必要性から生まれた儒教と言えます。最初から「道徳」が有れば孔子も始祖にはならず、儒教が生まれる必然性も有りません。

 「儒教」が生まれたのは紀元前500年頃で、春秋・戦国・秦・漢・魏・呉・南朝宋・・等々次から次へと同時期にも複数の王朝が乱立し、世が乱れると共に広まり、日本に伝わったのは「学問」として5世紀(南宋の時代?)とされています。伝えたのは「支那大陸」に住む支那人だとは思いますが、同時期に幾つもの國(地域)があり、伝えた人が「宋人」だったのかは判りません。ましてやまだ存在しない「中国人」で有る筈も有りません。但し、古事記によると、論語は百済から3世紀に伝わった事になっています。

 「南朝宋」以降も支那大陸には、隋・唐・元・明・清・(中華民国:王朝ではない)・中華人民共和国・・・等々、次から次へと複数の王朝が乱立していて、「儒教」が役に立ったとは思えません。今では「中共」が「儒教」を利用し宣伝・工作機関として世界中に孔子廟や孔子学院を建てまくっていますが、元々は「儒教は革命に対する反動である」として禁止されていました。

 また、「中国」には地域名以外に、中華文化(文明)の及ぶ概念上の中心である「中原」「中州」「中土」等の意味もあり、文明の及ばない地を「化外の地」としています。ただし、「中原」にしてみれば「化外の地」は現在で言う「領土外の土地」ではなく、「天から天子に与えられた領有地だが、未だに文化が及ばない地域」に過ぎず、現在に至ります。

 この事から、当然「全世界は中原の領有地」と言え、「化外の地」は「中華皇帝」の能力不足により統治しきれてない地域と解釈され、近くは「台湾・日本・東南アジア」から遠くは「欧州・アメリカ」まであります。

 つまり、日本が「支那大陸」を「中国」と呼ぶことは、意味の取り方によっては、日本が中華圏に属する事を認める事になります。この「中国の二義性」には注意が必要で、「漢委奴国王」の金印もその意味の取りようでは「日本は古来から中国の領土である事を認めていた」証拠とされます。

 日本では「儒教」にも二義性が有り、「宗教」として非課税の対象になり、「学問」として公的補助の対象にもなります。沖縄の孔子廟(久米至聖廟)は、この二義性を利用したのですが、今年の3月に「憲法20条3項に反するとして公園使用料の全額免除は違法」との違憲判断が下されました。但しこれは、この施設の管理者が民間人で、実際に「宗教行為」を行ったからであり、他の孔子廟などの「(過去の)宗教関連施設」で国家管理の場合は問題は無いとされています。

 取り敢えず「儒教」の二義性の分離には成功したのですが、未だに「中国」の二義性は利用され続けています。一刻も早く「中共」の侵略・支配地域である「チベット・東トルキスタン・南モンゴル・満州」を分離して「中国:中くらいの国」を正式国家にすべきです。それなら、自ら「中国」を「中華」と言っても、放って置けば済む話です。




1 コメント

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Unknown (yusuke1012)
2021-05-20 22:04:57
こんばんは。まさに同感の極みです。
有難う御座いました。
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