会社の同僚に、富士山登山ツアーに誘われた。
富士山は、人も多いしツアー登山は嫌いなので敬遠していたが、
この機会を逃すと一生行くことが無いように思ったので、
平成23年9月中旬に、同僚3人と行くことにした。
晩にバスで大阪を出て翌朝に五合目に到着。
バスでは、緊張もあってほとんど眠れなかった。
五合目から吉田ルートを登り始め、七合目の山小屋に向かったが、
11時過ぎには山小屋に着いた。することも無いので。とりあえず
ビールを飲んで仮眠する事にしたが、ここでもほとんど眠れなかった。
富士山の山頂は大渋滞するので、山小屋から早めに出発することにして、
夕食後、21時頃に出発した。
(結果的には出発がちょっと早すぎた)
この時間に登っている人はほとんどおらず、確かに渋滞も無く順調に
登って行けた。
この時歩きながら見た下界の街の夜景は、本当にとても綺麗だった。
晩の23時頃には、本八合目に着いた。夜間営業している山小屋の食堂で
コーヒーを頼んで時間をつぶそうとしたが、食堂から15分で出るように
言われ、コーヒーを飲み終わると本当に15分で追い出された。
9月中旬といえども、真夜中の3000m地点はとても寒くて凍え死にそうだった。
仕方なく吉田口頂上を目指して歩いたが、それでも夜中の1時過ぎに着いて
しまった。そこからからは、下から登ってくる登山者のヘッドライトの光が
登山道に点々と灯っているのが見えて、これも綺麗だった。
吉田口頂上付近の閉鎖中の宿の陰で、風を凌いで仮眠しようとしたけど、
寒くてとても我慢できず、剣ケ峰に向かってゆっくり歩くことにした。
さすがに二晩の寝不足で軽い高山病になってようで、頭痛がして気分が
悪くなったが、ゆっくりなら歩けた。
御来光は5時半頃との事だったが、剣ケ峰には4時頃には到着してしま
った。仕方なく1時間半近く頂上で耐え忍び、寒さも限界に来たころに、
ようやく御来光を見ることができた。
すっかり明るくなってから下山を開始したが、下山道が砂地のジグザグの
道で歩きにくく、ヨレヨレになってようやく下山できた。くたびれた。
富士山登山は、終わってみるとそれなりに充実したものだったが、ツアー
登山ではもう一度行きたいとは思いませんね。
あと、富士山は他の山域に比べて、登山者の若者比率・女性比率がやたらと
高いのが印象的だった。
富士山は、人も多いしツアー登山は嫌いなので敬遠していたが、
この機会を逃すと一生行くことが無いように思ったので、
平成23年9月中旬に、同僚3人と行くことにした。
晩にバスで大阪を出て翌朝に五合目に到着。
バスでは、緊張もあってほとんど眠れなかった。
五合目から吉田ルートを登り始め、七合目の山小屋に向かったが、
11時過ぎには山小屋に着いた。することも無いので。とりあえず
ビールを飲んで仮眠する事にしたが、ここでもほとんど眠れなかった。
富士山の山頂は大渋滞するので、山小屋から早めに出発することにして、
夕食後、21時頃に出発した。
(結果的には出発がちょっと早すぎた)
この時間に登っている人はほとんどおらず、確かに渋滞も無く順調に
登って行けた。
この時歩きながら見た下界の街の夜景は、本当にとても綺麗だった。
晩の23時頃には、本八合目に着いた。夜間営業している山小屋の食堂で
コーヒーを頼んで時間をつぶそうとしたが、食堂から15分で出るように
言われ、コーヒーを飲み終わると本当に15分で追い出された。
9月中旬といえども、真夜中の3000m地点はとても寒くて凍え死にそうだった。
仕方なく吉田口頂上を目指して歩いたが、それでも夜中の1時過ぎに着いて
しまった。そこからからは、下から登ってくる登山者のヘッドライトの光が
登山道に点々と灯っているのが見えて、これも綺麗だった。
吉田口頂上付近の閉鎖中の宿の陰で、風を凌いで仮眠しようとしたけど、
寒くてとても我慢できず、剣ケ峰に向かってゆっくり歩くことにした。
さすがに二晩の寝不足で軽い高山病になってようで、頭痛がして気分が
悪くなったが、ゆっくりなら歩けた。
御来光は5時半頃との事だったが、剣ケ峰には4時頃には到着してしま
った。仕方なく1時間半近く頂上で耐え忍び、寒さも限界に来たころに、
ようやく御来光を見ることができた。
すっかり明るくなってから下山を開始したが、下山道が砂地のジグザグの
道で歩きにくく、ヨレヨレになってようやく下山できた。くたびれた。
富士山登山は、終わってみるとそれなりに充実したものだったが、ツアー
登山ではもう一度行きたいとは思いませんね。
あと、富士山は他の山域に比べて、登山者の若者比率・女性比率がやたらと
高いのが印象的だった。