漫画家アシスタント物語 第3章

ブログ「漫画家アシスタント物語 第3章」をまとめました。

漫画家アシスタント 第3章 その37

2006年06月27日 01時18分43秒 | 漫画
( この写真は、東京、目白のJ・Aプロのドア前から見た池袋方面の遠景である。《'06年4月 撮影》 )


【 はじめての方は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 へ、どうぞ。】




              その37 ・・・・・・・・・ 2006年04月14日 00時38分 (公開)



ユミさん( 仮名:吉村由美子、?出身、自称24歳。本当は27歳。)がJプロ
にいた時は、仕事場の雑用は全て彼女がこなしていました。 掃除、買い
物、電話番・・・・。 しかし、ユミさんが辞めるとこれらの雑用を新しく入った
近藤さん( 仮名:近藤輝男、栃木県出身、22歳 )がやらされる事になりまし
た・・・・。

私は自分を変えたい、積極的に何かやりたいと思っていましたので、トイ
レ掃除を自分から申し出ました、

 「 先生、トイレ掃除をやらせて下さい! 」と・・・・・。

J先生は冗談半分で・・・

 J先生  「 困ったにィ・・・。 オリがやろうと思ってたんだよなァ・・・
        ・・・・・・・。 」

 私    「 え~・・・・・? 」

 J先生  「 おみィ~に取られちゃうのか・・・・ まあ・・・ いい・・・・・
        か・・・・・。 」

妙な会話ですが、私はこうしてトイレ掃除係りになったわけです・・・・。

1,2年の修行のつもりで・・・ そう・・・ 精神修行のつもりで自分から進ん
でトイレ掃除をする・・・。 この事が自分という人間を変える大きな一歩に
なりました・・・・・。 たぶん・・・・・。

・・・・しかし・・・・・ 私の目論見はあくまで、1,2年の修行・・・・。 その後、
華々しく漫画家デビューする・・・ という甘いものでした。 まさか20年以
上もJプロの便器を磨くことになろうとは・・・・・・ この時は想像だにしてい
ませんでした・・・・・。

この頃から私は同人誌に見切りをつけ、デビューのために商業誌向けの
本格的な漫画制作に入ります。

不思議と遅刻の回数も減っていきました。 「 明るく 」なる事を目指す事
が、不眠に苦しむ時間も減らして行きますが、こうした生理的変化は、と
てもゆっくりしたもので、ハッキリとその変化を自覚できるまでには2,3年
かかりました。

漫画を趣味的な夢ととらえて、中途半端な「 芸術 」表現と気取っていた
事から、商業主義の世界へその方向性を大きく変えた事は、それまでの
マンガの画風さえ大きく変えて行きます。

Jプロに入る前にいたM・M先生の所で受けた背景画法をそのまま未熟
な画力で実験していた私は、その誤りにもようやく気づき、先輩たちの背
景画法から学ぶべきは学ぶ姿勢をとるようになりました。

次回「 その38 」にて、具体的なアシスタントの背景画法について、書い
てみたいと思います。



            「 漫画家アシスタント 第3章 その38 」 へつづく・・・



     ・前に記事へ戻る時はこちら→「 第3章 その36 」



 

【 各章案内 】  「第1章 その1」  「第2章 その1」  「第3章 その1」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」  「古い話で章 その1」
          ( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )
 
 

    
    
    
 このページへのコメント 【 計 13 】





 ☆ Unknown (かのう)

2006-04-16 01:55:22

>具体的なアシスタントの背景画法について
 うわ、これ、気になります。
今までとはまたちょっと違ったご経験を生かした
内容なのでしょうか。楽しみにしてます。



 ☆ かのうさん、コメントありがとうございました。 (yes)

2006-04-18 04:02:08

いつも、コメントをありがとうございます・・・・。 
 
今、26年前に私が描いた背景を古い単行本(J先生作)の中から
探しています。
 
実は・・・この作業にけっこう苦しんでいるのです・・・・・。 恥ず
かしい話ですが・・・・ 自分が描いたものかどうか判断に迷う事
が多いのです・・・・・・・・・。
 
自分の描いた背景なんだから、すぐに分るだろうとたかをくく
っていたのですが・・・・・ 甘かったのです・・・・・。
 
古い自分の背景になつかしさより、惨めな羞恥心しか感じませ
ん・・・・ 次回から『エライ事になったなァ・・・ 』と憂鬱な日々
を送っております・・・・・・。 ( いつもの事ですが・・・ )
   


 ☆ Unknown (まさひろ)

2006-04-19 17:12:01

デザイナーのアルバイトを捜していたらここへたどりつきました。
言葉にはうまくならないですが、読んでよかったです。



 ☆ まさひろさん コメントありがとうございました。 (yes)

2006-04-19 19:43:11

偶然、ここにたどりつかれたのですか・・・・  そうですか・・・・・
 
それなのに、こうしてわざわざ感想を書き込んでいただきまして、
本当にありがとうございました。
 
このブログを読んで少しでも楽しんでいただければ、私は本望です。
 
どうか、これからも時々はお付き合い下さい。 また是非、コメン
トを書き込んでやってください・・・・!
 
老兵yes、今日も励まされて頑張ってまいります。 まさひろさん
も、いいアルバイト先を見つけて下さい! 
  


 ☆ ちょっとした希望 (YASU)

2006-04-19 22:00:05

おばんです。
yesさんの物語の中のJ先生、とても面白くいつも拝見しています。
次回からは背景画法へとなるそうですがこれも非常に興味がございます。がんばってください。
しかしながらちょっとした希望を申せば
たまにJ先生とは何ぞや?みたいなことをここで語れたらなーとも思います。
タイトルで言えば『アシスタント物語外伝』みたいな。

例えば、三島由紀夫氏&寺山修司氏は母性からの逃避が作品に命を吹き込んでいるまたは表してると言われています。雲さんは父性を表しているように感じます。
J先生、三島氏、寺山氏、3人の比較論などを管理人さんから伺えることが出来ればなーと思います。

よろしくお願いいたします。



 ☆ せっかくのご「希望」なんですが・・・・ (yes)

2006-04-20 21:00:13

この質問は、ちょっと難しいですね・・・・。 個人的には興味深い
事だし、じっくり議論したいところなんですが・・・・・
 
ここで、ちょっと・・・・・・ 急に・・・・・ 訳がありまして・・・・・・ 
つまり・・・・ 事態が急に変わりまして・・・・ J先生についてあま
り語ることが出来なくなりました・・・・・。 
 
とても残念なんですが・・・・・・ いずれ機会を改めまして・・・・・・
YASUさんと個人的に議論したいと思います。 今回は、勘弁して
下さい。 スイマセンです・・・・。
 
あァ・・・・・ぁ・・・・・! (タメ息)
   


 ☆ あら~ (YASU)

2006-04-21 11:16:34

そうですか・・

先日の葉隠れ(武士道は死ぬことと見つけたり)などは作品の良し悪しの前に幻冬舎の編集者が三島氏とJ先生の接点を感じたらこそ誕生した作品だと思います。

語れないのはちと残念ですね~



 ☆ 話題の横から失礼^^; (rasu)

2006-04-21 14:07:40

YESさんがJ先生のことを語りにくいって
いうのはなんとなくわかります。

私も長年いろんなところでアシストして
ますが、いつもすごい気になるのが、自分が
漫画家アシスタントをしているというのを
言って、そのアシ先の先生を上げていいのか
ダメなのか気になることですねー。

普通に、漫画家さんは自分が漫画家ということをばらされたくないと思ってる方がおおいです。理由は、説明が面倒とか、恥ずかしいとか、いまや、漫画家といえばちょっとした
芸能人扱いされるので、一般人からは、好奇の目で見られるので、それがイヤなんでしょう。
後、昔言われたのが、ファンの人に
とって、アシスタントが言った言葉は先生の
言った発言ととられて、下手なこというな
と、、まあ、これはちょっと疑心暗鬼ぎみ
ですが、自分ことを下手に言いって、
自分の看板に傷をつけるなってことなんでしょうけど、、

特にネットなどの不特定多数の方に見られる
ようなところだと、どんなに客観的にかいても、どうしても主観が入ってしまうので、
それを事実だと思って、他人に伝達したり
広げたり、するうちに、風評になる場合も
あるから、きっとイヤなんではないかなーとか、思いますが、どうなんでしょうか?

漫画家も存在のイメージって大切ですからねー。



 ☆ YASUさんrasuさん、コメントありがとう。 (yes)

2006-04-22 05:17:50

今回もrasuさんの書き込みの通りです。
 
まったく、100パーセントその通りなんです・・・・!
 
でも・・・・ rasuさん、よくお判りですね・・・・・・ 私が書くべき
事は何もありませんです・・・・・! rasuさんの書き込みが全てを
語っているからです・・・・・。
 
基本的には「事実を書いてどこが悪いんだ」と、内心開き直って
いるのです・・・・。 しかし「事実でも書いてはいけない事」は承
知しているつもりですし、それを書かないのはエチケットみたい
なもんだと思っています。
 
でも・・・・ 「書くなと言われる事実」ほど書きたくなるもので・・
・・・・・・・ このへんが苦しいところです・・・・・・・。(苦笑)
   


 ☆ やっぱり(笑) (rasu)

2006-04-22 23:27:30

そうだったのですかw

まあ、低年齢層とかの漫画になるとなんと、そういうネットや、うわさなどのガセネタの
ストーリー展開の話などの、問い合わせが実際に編集部にきたりするらしいですから^^;(親がかけてきたりするらしい)
それで、編集部自体も、結構漫画家のネット活動で、日記などをやって欲しくないとかいうとこもあるそうで、、

それにしても、クレーマーってどこにでもいるもんだなーとか思います。こんなに、自分が損しない方法でうるさく言うのは日本ぐらい?とか思う今日この頃です。
(電話で匿名とか、ネットで匿名とか、なにかのフィルターをかけて直接言う方法をさけて精神ダメージの軽い方法で文句いうという意味で)

たまにクレーマーの話で聞くので、一番びっくりしたのが、イラクとアメリカが戦争し始めた時に、日本にあるイラク大使館が、電話をしてもつながらなくて、実際行ってみたら、そこは電話が一個しかないのだけども、嫌がらせ電話が24時間なりっぱなしだそうです。しかも、それ、一人の日本人らしき女性の嫌がらせ電話とか、、、

まあ、そんなわけで話がずれましたが、こういう公のネットで発言するということは、何が引き金になって、上のような人に、何を広められるかわかならいってのがありますよね。こっちに非がなくても、絡まれたら大変だし、面倒おこしたくないというのが、本音なのかなーなんて思ったりします。

でも、その書くなって言われたことが結構面白かったり、ためになる話だったりするわけで、書きたい気持ちわかります><

書くなって言われるラインギリギリまでのブログ楽しみにしてます(笑)



 ☆ ラインギリギリ・・・・ (yes)

2006-04-23 05:34:22

rasuさん、もう「ラインギリギリ」を越えているかも・・・・・・・・

事の起こりは「ハゲ」(覚えていますか?)にはじまりました・・・
もういい加減、限界を越えている様です。 書けない事と書く
なと言われた事が一番書きたい所ではありますが・・・・・・・

さて・・・・・ これからどうなる事やら・・・・・ ここだけの話ですが、
上からは「止めちまえ!」とか言われてます・・・・・・。 私は小さ
くなって「はい・・・はい・・・・」と泣きそうな顔で答えながら・・・・・ 
『止めね~ぜ~ェ!』と思っており・・・・・・・・・・・・・
     


 ☆ あ、あのことですかw (rasu)

2006-04-24 19:58:30

そういや、掲示板でもなんか盛り上がって
書いてましたよね(参加したような^^;)

そうですかー。私はあの話をよんで、J先生自身のファンになりましたが(笑)
ああいう話はポイント高いですよw
大阪的にいえば、おいしいって感じですが(笑)

ぜひそのいきで、がんばって書いてください><



 ☆ rasuさん、コメントありがとう。 (yes)

2006-04-25 02:37:42

rasuさん、励ましのコメントどうもありがとう。
 
いつもrasuさんにいただくコメントを背に受けて、老兵yes前のめ
りに進んでまいります・・・! 
     
   

漫画家アシスタント 第3章 その35

2006年06月24日 03時14分18秒 | 漫画
( この写真は、J・Aプロのアシスタントの仕事場から見たJ先生の個室入り口である。
  《 2006年3月 撮影 》 )


【 はじめての方は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 へ、どうぞ。】




              その35 ・・・・・・・・・・ 2006年03月31日 21時34分 (公開)



1979年( 昭和54年 ) 冬。 ユミさん( 仮名:吉村由美子、?出身、自称24歳。
本当は27歳。)がJプロを辞める少し前・・・ 私( 当時、24歳 )は2時間ほど遅刻
して仕事場に入った・・・・・。

いつもユミさんは、30分ほど遅刻して来る私のために店屋物のうどんなどを取っ
ておいてくれていました。 そのうどんが2時間近くたつと・・・ のびて、乾いて、
とても人の食べ物とは思えない変わり方をしていました・・・・。

いつもの様にのっそりと仕事場へ入った私は、もう下書きを終えてペン入れを
始めている先輩たちに・・・・。

 私    「 すいませんでした~ 」

いつもの様に先輩アシスタントたちに謝って、いつもの様に自分の席に行こう
とした時・・・・

 ユミさん 「 先生が呼んでますよォ・・・ 」

寝ぼけ頭の私には「 ただ呼ばれた 」という認識しかありませんでした。 寝ぼ
け頭についた二つのド遠視の目玉には、ただボ~ッと窓の外の風景が映る・・・。

 『 ちょっとヤバいかな・・・ 』

私は恐る恐る先生の部屋へ入る。 古い応接セットにはゴミと雑誌が散らばっ
ている。 部屋の窓際に机を置きこちらに背を向けて「 H雲 」の下書きをして
いるJ先生。 足元には何年も( ? )掃除をしていないゴミがどっさり溜まって
いる。

暗い部屋の中で、窓明かりによってシルエットになったJ先生の丸い背中がと
ても大きく見える。

ゴクッ・・・・ 私は蚊の鳴くような声で・・・・・・・・

 私   「 セ・・・ ン・・・・・ セ・・・・・・・・・・ 」

振り返ったJ先生の顔は、赤黒くまるで仁王像の様な顔だった・・・!

 J先生 「 おみィ~は、何、考ェ~てんだァ! 」

とても小さな声だが、その声はまさに地獄の底から響いてくる様な迫力が・・・・

 私   「 す・・・・・ すいませ・・・・・・ ]

 J先生 「 もう陽が傾いてっだろォオ! みんな時間通りに来てんのによォ!
       おみィ~だけだよなァ~! 」

 私   「 す・・・・ すい・・・・ ま・・・・・・・・・ 」

 J先生 「 今まで一度もちゃんと来てにィ~よなァ~ッ! 」

 私   「 す・・・ す・・・・・ ・・・・・・・ 」

赤黒いJ先生の顔が窓明かりの逆光の中で恐ろしい圧力で私に迫る。

 J先生 「 おみィ~はよォ 何、考ェ~てっだよォ! 」

 私   「 ・・・・・・・・・・・・・ 」

精神の根本的な所から・・・ 私は崩壊しつつあった・・・・。

何も考えられなかった・・・・・・。 考えられるわけもなかった・・・・・・・・!



            「 漫画家アシスタント 第3章 その36 」 へつづく・・・



     ・前に記事へ戻る時はこちら→「 第3章 その34 」



 

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漫画家アシスタント 第3章 その33

2006年06月21日 03時49分29秒 | 漫画
( この写真は、27年前に住んでいた東京都豊島区南長崎のアパートの窓から見た隣の「トキワ荘」
  である。《1979年昭和54年 撮影》 )


【 はじめての方は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 へ、どうぞ。】




              その33 ・・・・・・・・・ 2006年03月17日 03時21分 (公開)



J・A先生のアシスタントになった1978年( 昭和53年 )・・・。 その年の秋に
高円寺( 杉並区堀の内 )からJプロの近く豊島区南長崎へ引っ越しました。
私の父方の親戚が南長崎に住んでいたので、その紹介があって引越した
のです。

6畳一間に小さな流しが付いた木造アパートの名は「うさぎ荘」。 高円寺
のボロアパートが「銀嶺荘」と言い4畳半でしたから、少し広い所へ出世(?)
したわけです。

木造のボロアパート、ドロドロの共同便所・・・ もう、すっかり慣れました・・
・・・。 でも、その新居で一番驚いたのは、お隣のアパートが、あの有名な
「トキワ荘」だった事です! 入居してずいぶん経ってからそれを知りました。

窓を開けると、かつて手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生がいた2階の部屋
が真向かいに見えるわけです。 その当時は、すでに「トキワ荘」の屋根瓦
はその重みで中央部に歪みができていました。 外壁も汚れ、全体にそうと
う痛んでいました。

世の中は、空前のマンガブーム( 「がきデカ」「ベルばら」「ドラえもん」 )。そ
れなのに、漫画の原点( 聖地と呼ぶ人もいる! )でもある「トキワ荘」が目の
前で崩れ落ちそうになっている・・・・・。 

漫画のヒットで出版社の社屋が新築されたり、週刊マンガ誌の発行部数が
何百万部になったとかでマスコミに騒がれているのに・・・・・ あの「トキワ荘」
は黙ったまま崩れていく・・・・・・。

私は毎日複雑な気持ちで、窓の「トキワ荘」を眺めていました。


近所には当時、諸先生方の胃袋を満たしたラーメン屋さんが健在でした。私
もよくラーメンやギョーザを食べに行ったものです。 今でも(!)有りますが・・・
店にベタベタと漫画や色紙を貼ってアピールに勤めているのですが・・・・ 残
念なことに・・・・ 当時の味も雰囲気も車窓を飛び去る風景の様に、今では・・・
もう何処にも・・・・・・・・・・。


南長崎の商店街( 当時はとても賑やかだったのですが・・・・ )や、目白通りの
二又交番・・・・ 私は胸までかかる長髪とちびたゲタをはいて、この町をクラゲ
の様にフワリフワリと浮いていたのです・・・・・・・・・・。 



            「 漫画家アシスタント 第3章 その34 」 へつづく・・・



     ・前に記事へ戻る時はこちら→「 第3章 その32 」



 

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 このページへのコメント 【 計 3 】



 ☆ あこがれのトキワ荘 (rasu)

2006-03-21 22:43:46

うわーすごい!!トキワ荘の近くに住んで
たんですねー。

トキワ荘の話はいろんな作家さんがかかれて
いますが、それを読むたびに昔はうらやまし
かったですねー。なにせ、漫画を真剣に
描いているもの同士があつまって、生活
しているのがうらやましくて、たまりません
でした。あんまり、真剣に漫画家を目指して
いる友達が少ないし、また目指しても、
漫画一作あげるような友達も少なかったの
で、こう、語り合い、漫画とはどうなんだ!
とかいう会話がしたかったですねー。

私にとっては、赤塚不二夫が、キャベツを
ご飯代わりにくってるとか、手洗い場を
浴槽代わりにフロにはいってるとかが、
あこがれでしたよ(笑)



 ☆ あの、トキワ荘です・・・! (yes)

2006-03-22 23:37:49

一度だけトキワ荘の中に入った事があります・・・・。
  
風呂(プール?)代わりに使用された、共同の流しは本当に存在
しました。 ただ、流しは以外と狭いのですが横に長いので、
確かに大人が一人無理をすれば横になれそうでした・・・・! 
  
当時、すでにボロボロだったトキワ荘ですが・・・ もう、跡形
もなく消えてしまいました・・・・ 本当に惜しい事だと思います
・・・・・・・・。
  
昔(1950年代)トキワ荘で若い漫画家志望者が毎晩、漫画につい
て議論していたのでしょうね・・・・。 私もこの当時(1979年)は
同人誌仲間や他のアシスタントなどとよく徹夜で議論をしたも
のです・・・。
  
今、あの頃のような徹夜の議論をやったら、確実に脳溢血でぶっ
倒れると思いますね・・・・! いやホント!(笑)
     


 ☆ トキワ荘 (ぱるちゃん)

2006-03-26 21:01:06

もう今はないんですね..。残念です。

すごいですね~本物のトキワ荘を見たかったです。
後にも先にも、これだけの名の知れた漫画家さんたちが、ひとところに集まることもないのではないでしょうか?
 
  

漫画家アシスタント 第3章 その25

2006年06月09日 02時20分48秒 | 漫画
( この写真は、1978年頃、Jプロの先輩に誘われてよく行った喫茶店です。目白通りと山の手
  通りの交差点に今でもあります。《2005年12月撮影》 )


【 はじめての方は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 へ、どうぞ。】




              その25 ・・・・・・・・  2006年01月19日 21時55分 (公開)



23歳、1978年昭和53年の春・・・・。

私はJプロに入社以来ほぼ毎日、出勤時間に遅刻していた・・・・・。

私の暗い性格は、その生活を夜更かし型に変え、しだいに寝つきも悪く
なり・・・ 朝、起きる事がなかなか出来なくなりました・・・・。 

ついには目覚まし時計を3,4個も用意して寝床につく有様・・・・。 夜明
け近くに横になっても2,3時間は寝付く事が出来ない・・・・。 昼頃、幾つ
かの目覚まし時計を蹴飛ばしながら、あわててJプロに向かう・・・・・。

汗びっしょりかいてJプロのドアを開け、いつもの様にとぼけた顔して自
分のイスに体を沈める・・・ 先輩スタッフ6人は、もうせっせと仕事を始め
ている。毎日30分以上遅刻して来る私に誰も何も言わない・・・・。

 「 Y君( 私 )! お昼は何にしますかァ? 」

いつも、明るくそう声をかけてくれるユミさん( 仮名:吉村由美子、?出
身、?歳 )。 近くのおそば屋さんに出前の注文をしてくれるのだ・・・。
そこで私はいつもの様に・・・

 「 鍋焼きうどん・・・・! 」


私がJプロに入ってきてから2ヶ月ほどで、ガンさん( 仮名:羽賀 司郎、
東京出身、28歳 )は独立して、辞めていかれました・・・・。

ガンさんは「 週刊少年○ング 」に喫茶店のボーイさんを主人公にした
漫画の連載を勝ち取ったのです・・・・ 当時28歳。「 サタデーナイトフィ
ーバー 」が流行、ディスコが雨後のたけのこの如くあちこちに出きだし
た頃でした・・・

ガンさんはTVで見た若者のインタビューをよく引用していました・・・

 ガンさん 「 Yちゃん! そのテレビリポーターがディスコで踊る若
        者にさぁ、こう質問したのよ・・・ 『 あなたにとって青春
        とは? 』って・・・ その若者、何て答えたと思う? 」

 私     「 ・・・さ・・・さァ・・・・・・・・・? 」

 ガンさん 「 自分の汗を示しながら・・・ 『 これだゼ・・・・! 』って!
        Yちゃん! カッコイイと思わない? 暗いのはダメよォ
        ~ッ! これが青春よォッ! 」

当時、何度も同じ話を聞きました・・・・。 私は俗に言う「 流行り物 」は苦
手で、ディスコも大嫌いでしたから、この話をされるたびに気が滅入ったも
のでした。

ガンさんは、デビュー前からものすごく作品を描いていました・・・ しかし
あまり推敲もせず安直に描き飛ばしてしまう欠点があったのです・・・・・。

とにかく「 週刊少年○ング 」で連載を持った事は確実に漫画家への第一
歩を踏み出した事になるのですが・・・・・ この時は、それがまさか地獄の
一丁目への門出になろうとは、誰一人予想もしていませんでした・・・・・・。



            「漫画家アシスタント 第3章 その26」 へつづく・・・




 

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          「諦めま章 その1」  「古い話で章 その1」
          ( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )


  
 
このページへのコメント  【 計 2 】


 
 ☆ つづきが気になります (かのう)

2006-01-20 07:25:22

まさに連載漫画のようなすばらしいヒキですね。
「地獄の一丁目」展開を楽しみにしております。

上の遅刻話、身につまされます。
私も夜型で・・・。



 ☆ かのうさん、コメントありがとうございました。 (yes)

2006-01-21 03:03:28

かのうさんも夜型ですか・・・・ 私の、このドラキュラのような
生活は一生治らないかもしれませんね・・・・・。(治す気なんか毛
頭ない・・・・・・?!) 
 
お互いに「ステキ」な深夜の夢想者として人生をワクワク生き
ましょう!(苦笑)
 
ちなみに、私の遅刻ぐせは5年前の45歳位まで治りませんでした・・
・・・・。 まじめ(?)にアシスタントをやるようになったのもつい
最近です。
 
このまじめ(?)な調子で「漫画家アシスタント物語」もつづけて
いきますので、どうぞこれからもよろしく!
 
 

漫画家アシスタント 第3章 その20

2006年05月31日 00時40分06秒 | 漫画
( この写真は、今月の8日にマツさんと仕事帰りに寄った目白通りのカフェです。コーヒーと
  ココアで500円ちょっと・・・結構安いです! 《2005年11月撮影》 )


【 はじめての方は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 へ、どうぞ。】



              その20 ・・・・・・・・・  2005年12月09日 21時25分 (公開)


 私     「 Jプロに入る前はあれほど漫画を描いていたのに、どうして
        入ったとたんに描けなくなったんですか・・・? 」

 マツさん 「 J先生に『描くなッ!』って言われたんじゃ・・・ 」

 私     「 えッ!? 」


2005年12月8日、目白通りの或るカフェでマツさん( 仮名:松村 祐樹、
広島出身、51歳、現在もJプロに在籍 )は30年前を思い出しながら語って
くれた・・・・・・

『描くなッ!』と言う言葉は、『もっと勉強しろ』という意味だったようです。
しかし、マツさん( 1976年昭和51年、当時21歳 )は本当に描かなかった
のです。 その後7年間も・・・・・・。

 マツさん 「 あの頃は酒の味も覚えた頃だし、女もおったしのォ・・・ そ
        っちに行ってしまったんじゃァ・・・ でも、本は結構読んだの
        ォ・・・・ それに映画もよォ~見たのォ~・・・・ 」


マツさんは30歳を前にしてあせります・・・。 私もなぜか30歳を目前にした
頃に最も多く漫画を描きました。 マツさんは週に一本の短編作品を描く
事を自分に課します。 しかし三週目の作品でつまずいてしまいます・・・。

それっきり、道を見失った旅人の様に漫画制作から遠ざかっていってしまい
ました・・・。 


マツさんはJプロに入ってから30年になりますが、初めにJ先生から『描く
なッ!』と言われてからその後、J先生から「描け」とは言われませんで
した・・・・。

 マツさん 「 先生は『描くなッ!』と言ってから30年間一度も『描け』とは
        言わんかったのォ・・・ 」

 私     「 本当ですか? 一度も? 」

 マツさん 「 ・・・ん・・・ でも、この間( 一ヶ月ほど前 )一緒に朝まで酒を
        飲んだ時『描け』って言ったんじゃ・・・ 今頃、言われてもなァ・
        ・・・ もう描けんぞォ・・・・ 」

 私     ( 笑い )

 マツさん 「 30年前に言ってくれりゃガンガン描けたんじゃがのォ・・・・・
        もう、描けん・・・・・ 」



            「漫画家アシスタント 第3章 その21」 へつづく・・・




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          ( 但し、第1~3章は『縮小版』になります )



漫画家アシスタント 第3章 その19

2006年05月27日 19時31分32秒 | 漫画
( この写真は、1978年当時にJ・Aプロのマツさんと一緒に入った喫茶店があった目白通り、
  中落合界隈です。すっかり変わってしまって当時の面影もありません・・・・ 《2005年11月
  撮影》 )


【 はじめての方は、 「漫画家アシスタント 第1章 その1」 へ、どうぞ。】




              その19 ・・・・・・・・ 2005年12月02日 21時08分 (公開)


それまでカチカチと動いていた時計が、ある時ピタリと止まってしまう
様に、漫画制作の勢いが止まってしまう事があります・・・・・・。


マツさん( 仮名:松村 祐樹、広島出身、当時21歳 )は私がJ・Aプロに
入る2年ほど前( 1976年 )にJ先生に師事しました。 腰まである長髪、
破れたジーンズにサンダル。 くわえタバコにしゃがれ声の広島弁・・・

背景処理のスペシャリストならカンさん( 仮名:菅原 浩二、神戸出身、
当時23歳 )。 アシスタントのイケ面ホスト№1のガンさん( 仮名:羽賀
司郎、東京出身、当時26歳 )。 そしてJ・Aプロの名物男と言える存在
がこのマツさんです。


マツさんは初め、J先生に一週間は先輩たちの仕事を見てるだけで良い
からと言われたそうです・・・ ( 私の時と同じです! ) そして・・・・ 

本当に見ているだけで過ごしました・・・ いや、 それどころか退屈のあ
あまり横になって寝ていたのです・・・・・。 先輩たちは黙々と仕事をして
いるその脇でゴロゴロ横になって漫画雑誌を読んだり、グーグー寝たり・・
・・・ 

そして、ついに一週間が経とうとしている時、寝ていたマツさんの腰のあ
たりを誰かがつま先で蹴ったのです・・・・ マツさんが横になったままあわ
てて振り返ると・・・ 

 J先生  「 おめェ~・・・ 何やってんだァ・・・? 」

 マツさん 「 はぁ・・・ 寝てましたぁ・・・・・ 」

 J先生  「 寝てましたじゃね~だろォッ! バカヤロウッ! ここは
        戦場と同じなんだぞォッ! 」

と、一喝される・・・。 マツさんの心臓が凍りついた一瞬である。


こうしてマツさんの初歩のベタ塗りと、先輩が描いた原稿のホワイト仕上
げが始まりました。 実にこの日から6ヶ月間も毎日毎日、「 ベタマン 」
をやらされるはめになったわけです・・・・

そして、すぐ漫画家になれるものと思い込んでいたマツさんはこの日から
数年間、自分の漫画を描かなくなります・・・・。 

 『 漫画なんて、何時でもすぐ描けるけェ・・・・ 』 

その気持ちこそが実は深い落とし穴だった事に、この頃はまだ気が付いて
いませんでした・・・・・・・。



            「漫画家アシスタント 第3章 その20」 へつづく・・・




 

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漫画家アシスタント 第3章 その8

2006年05月09日 00時15分51秒 | 漫画
( この写真は、東京、JR線目白駅です。左手に学習院があり、右手に10分ほど歩くとJ・Aプロ
  が入っているマンションがあります。《2005年9月撮影》 )

 

              その8  ・・・・・・・ 2005年09月15日 18時39分 (公開)



J・Aプロで初めて描いた漫画背景は1pの大ゴマ「小川と蔵のある町」
でした。 

そのペンタッチとスクリーントーン処理がスタッフ一同を驚かせた(全然
驚いていない人もいましたが・・・)のは私のウレシイ思い出の一つです。

今でも信じられないのは、その背景が後に導入されるコピー機によって、
20年以上にも渡ってコピーされて使用されつづけた事です。(ちなみにコ
ピー機を使用するのはJ先生)

私と同じように20年以上前に描いた背景が使用されるカンさん(仮名:菅
原 浩二、神戸出身、現在52歳、アシスタント歴36年の最古参。)は、「昔
の背景使われるのは、恥ずかしいなぁ・・・ 普通、こんな古い背景使うか
ぁ・・・?」と、苦笑い。


さて・・・ 今回はこのカンさんの思い出を少し・・・。

誰でも生まれて初めてする仕事の面接は、生涯忘れられない記憶として、
残るように、有名な作家に師事した時の記憶もとても鮮明です。カンさん
がJ先生に初めて会った時の記憶も・・・・・・


1969年 昭和44年、カンさん16歳(当時、私はまだペンの使い方も知らな
い14歳の中学生だった!)の初夏・・・・。 

東京某所の染色工場で丁稚奉公(ただ同然でこき使われる)していたカン
さんは漫画家への夢をいだいて、当時あこがれていた横○光輝先生に師
事しようと(J先生ではない!)、原稿を持って出かけたのです・・・・。

 横○先生 「君。・・・才能無いから、故郷へ帰んなさい。」

と、あっさり言われ・・・16歳のカンさんあえなく沈没・・・。 

しかし、すぐ次の作家の所へ・・・ 

 『 ここから一番近くてすぐに行ける漫画家の家は何処かなぁ・・・ 』

ノートにはJ・A先生の住所が・・・・・。 

ただ単に近かったから・・・ 自分の人生(36年間!)を託す事になるJ・Aプ
ロにこうしてカンさんはやって来ます・・・。
  
   
            「漫画家アシスタント物語 第3章 その9」 へつづく・・・


 



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 このページへのコメント  【 計 4 】


目白駅 (華)

2005-09-19 17:15:52

目白の駅も様相を大きく変えたものです。
私は小さな頃の記憶にある目白駅の方が好きでした。
気持ちの良い音を鳴らす切符切りが真ん中にいてその左右に改札があって、季節になると目白駅左奥の通路に目白小学校生徒制作のカカシが並んでいて、それを学校帰りに見るのが好きでした。

駅前で偽造テレフォンカードを売っていた外国人達ももはや良い思い出です・笑



なつかしの目白駅・・・・ (yes)

2005-09-20 22:48:49

華さん、以前の目白駅の思い出ありがとうございました。

本当は古い目白駅の写真がいいのですが、残念ながら当時は、
まさか自分がサイトを持つ事になるとは夢にも想像していなか
ったので、駅の写真を撮っていませんでした。

結構いい感じの駅でしたよね。 私も当時の駅に一つ忘れられ
ない思い出があります。 夜、仕事場からの帰り道にものすご
い雷雨にあった時の事です・・・・・

改札口に駆け込むと、なんと駅が停電(落雷事故!)しているの
です! 勿論電車も止まっています。 私はしばらく改札を入
った通路にいました。 10数人のお客が私と同じように通路に
立ちつくしています。

そして、暗い駅内を懐中電灯をもった駅員が走り回っています。

雨風はものすごく吹き込んで来ます。 駅前の軒下(キップ売
り場の前あたり)には大勢の通行人(3,40人)が豪雨から身を隠
していますが、強風にあおられたドシャ降りの雨がザアザアと
横なぐりに吹き込ん来るため、みんなびしょ濡れです。 と、
その時・・・!

「みなさ~んッ! 入ってくださ~いッ! どうぞ中に入って
 くださ~いッ!」

駅長らしき人が大きな声で外の人たちに叫びます・・・!

駅前で風雨にさらされている通行人をどんどん改札口から駅構
内に招き入れたのです! 当然、私の周りは駅前の軒下にいた
通行人でいっぱいになります・・・。 駅前は相変わらず、ものす
ごい風雨が吹き荒れています。 でも、もう外に人はいません。

集中豪雨、強風、落雷、停電、パニック時における目白駅員の
判断力に関心したものでした・・・。 

今のキレイでシャレた「目白駅」は、これからどんな思い出を
利用者に与えてくれるのでしょうか・・・・・・
   
     

Unknown (YASU)

2005-09-21 11:01:31

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/sakui/mejiroeki.html

昔懐かしい、目白駅周辺です。
昔はアーケイドもあって雨に優しい町でしたね



YASUさん、コメントどうもありがとう。 (yes)

2005-09-23 04:02:53

目白通りの古い写真が見られるサイトを紹介していただき、あ
いがとうございました。 目白駅のなつかしい風景を見ること
ができてとても良かったです。

ちなみに、昔あったアーケードが今は無くなってしまったのは、
なぜなんでしょうか・・・? ボロボロのアーケードだったから・・
・・まあ、しょうがないのかもしれませんが・・・・・・。

アーケードが無くなってしまった事もそうですが、あの狭い歩
道に止めてある放置自転車、なんとかできないんでしょうか・・・

あれは目白通りのガンだと思いますよ・・・・ ホント・・・・。