昨日、県重症心身障害児(者)を守る会の総会におじゃまさせていただきました。なぜかというと、衛藤晟一厚生労働副大臣の講演があったからです。事前に新聞に載せられていたし、取材もあったようなので隠さずに正直な感想を言わせてもらいます。
今回の障害者自立支援法は、発端は介護保険にあるようです。全員がいつかは介護を必要とするのだから、老人を養護するのではなく、自立した生活を送ってもらおう。それが介護保険であり1割負担なのだと。全員が平等に負担するのが共生だとおっしゃっていました。その延長上なのが障害者自立支援法であり、応益負担だと。
言いたいことはよく分かります。みんなで平等に。それは当然なのかもしれません。しかし、平等というのは何をもって平等というのでしょうか。
そもそも、福祉とは障害者が当たり前の生活を送るための物。誰もが当たり前に出来ることが出来ないから、福祉に手足になってもらっている。それは生活する上で当然の権利ではないでしょうか。その権利より、国は義務を優先させる。権利無くして義務があるのだろうか。権利の薄い義務とは何なのでしょうか。
障害者自立支援法が通れば、受給している年金のほとんど、場合によっては超える額を支払うことになります(施設利用者)。お金を払うことで得られるサービスは介護(1割)、食費と光熱費(全額)。その上で、自らが生活用品を買いそろえる必要があります。ここまではあくまで生存するために必要な物。生存と生活は似てるようで非なるもの。仕事をしたり趣味をしたり友達と遊びに行ったり……。そういうことが出来て初めて人は生活をしているといえます。その保障はされないのに、国は平然と保証という言葉を使う。食費と光熱費は自分で払うのは当たり前だが(食事療法をしている場合は違うと考える)、福祉サービス費は断固として認められません。
もう一つは仕事の問題。国は自立支援をすることで障害者を就労に向けて推し進めることが出来ると言っています。急激に負担が増えると、仕事がしたくても余計に出来なくなるのではないでしょうか。そして、就労・雇用の体制が全く出来ていないのに、どうやって仕事を探せばいいのか。企業だって、たいして働けない重度の障害者を雇えるわけがない。軽度の人でさえ四苦八苦している現状を国はどう捉えているのか。その辺の詳しいことは全く話してくれませんでした。
今回の講演で分かったことは、障害者自立支援法の生い立ちと考え方でした。期待はしていませんでしたが、少しがっかりです。