私の病気について、私の記述から「何だかおかしいな…」とお気づきの方も多いと思いますが…
私の病名は、S状結腸癌(大腸癌)です。
急性胃腸炎で入院したあとの外来受診のとき、「何か便通がおかしいんですよね」と言ったのがことの始まり。(後で考えたら、このとき訴えていなかったらまだ分からなかったかも)
その次の週に、注腸検査を受けました。
検査技師が「明日には結果を聞けますよ」と言ったのですが、すでに次週予約を取っていたので、「いいです」と言って帰りました。
そして、検査結果を聞きに行った日。
内科の主治医「実は大腸にポリープができています。この大きさだと開腹手術で取るしかありません。良性か悪性かということは詳しい検査をしなければ分かりませんが、良性の場合ここまで大きくなることはないんですよね。」
私「えっ?(これって告知?こんなに簡単にするの?)」
内科の主治医「明日入院してすぐ内視鏡検査をしましょう。」
私「えっ?明日ですか?」
それだけ急がなきゃならないってことだったんでしょう。
でも娘と息子の受験や学校のことがあったので、さすがに翌日入院は事情を話して延ばしてもらったのです。(この日、家族中がパニックに陥りました。当然ですよね)
そして入院。
先日までに何日かに分けて報告したとおり、約一ヶ月の入院生活が始まりました。
手術もうまくいき、術後も合併症がでなかったので、思ったより早めに退院できたのです。
退院時に「大腸癌の再発は2~3年以内が最も多く、5年経って初めて完治となります」という説明を受けました。
だから、5年後まではきちんと通院して検査をしていくとの事。
そしてそして、第2のことの始まり。
退院1ヵ月後の外来診察日。
私の傷を診察し、退院後の様子を聞いた外科の主治医(入院途中で主治医が外科の先生に変わりました)が次に言った言葉。
「組織の検査結果でリンパ節への転移はなかったんだけど、ステージⅡ(大腸壁貫通)なんだよね。リンパは大丈夫でも血管を通しての転移ということもあるから、再発予防に飲み薬の抗がん剤治療をしてみたらどうかと思うんだけど」
そして、主治医は副作用の話をいろいろし、「ご主人と相談して、来月の診察日までに決めてきてください。」と言いました。
私は頭では「大腸癌の再発は2~3年以内が最も多く、5年経って初めて完治」ということはしっかり理解していたつもりですが、5年間は検査をしながら普通の生活をしていくんだ!と思っていたのです。
だから、抗がん剤なんて…
ショックでした。
1ヵ月後までへのすっごい重たい宿題が出てしまったわけです。
それから、調べました。
ネット検索、本、知り合いの経験者や薬剤師さんの意見、もちろん家族の意見。
間にもう一度主治医を訪ね、もっと詳しく説明を聞きました。
(専門的なことなので薬の名前や調べたことはここには書きませんが、もし通りすがりにこのブログを読んで、同じような悩みをお持ちの方がいましたら、左のメール送信からメールをください。)
そして、今日、私は主治医に答えました。
「先生、お薬飲んでみます!」
これから、1クール、2週間服用1週間お休み、というパターンが続く予定です。
服用中の2週間は副作用の様子をみながらの、<その日暮らし>となるわけです。
思えば、今までさまざまな場面で「やるか、やらないか」を選択する場合、ほとんど「やる」を選んできたように思います。
それは「やらなかったこと」を後悔したくないから。
今回のような大問題はそう簡単に選択できない問題でしたが、また「やる」を選んだ私です。
こんな重たい悩みを持ちながらの1ヶ月の間、年チケは買うし、代表戦も申し込むし、お金が無駄になるかもしれないのに。
でも最初からどうせ行けないからってあきらめるのは嫌なんです!
年チケも代表戦も自分を奮い立たせるために持っていたい!
↑の内容のメールをcocoちゃんに送ったら「その心意気が大好きだ~」って返信してくれました。嬉しかった(涙)。
そうそう、ゲーフラには「共に闘おう!」って書こうと思います。
開幕戦に間に合うかな?
薬を飲み始める時期は、二人の子供たちの卒業式&入学式をこなさなきゃならないので、無理を言って、私の予定に合わせてもらいました。
しっかり開幕戦後に!(笑)
今日ここに私はカミングアウトをしたわけですが、このブログを闘病記にする気は全くありません。
以前お話したように、<すべてひっくるめて自分>という精神を貫き通すために必要なことだったと思っています。
尚、子供たちに病名は言っていなかったのですが、抗がん剤治療を始めるにあたって、娘だけに話しました。息子にはもう少し成長を待ってから話そうと思っています。
最後までお読みくださりありがとうございます。
大丈夫です、私は元気です!
でももし弱気になっていることがあったら、遠慮せず“喝!”を入れてください。
この病気になって思ったことは
・まさかこの年で癌になるとは思っていなかったのですが、私は現実をストーンと受け入れることができる人間だったんだ
・人間って、家族、友達、いろんな周りの人に支えられて生きてるんだなぁ 感謝!
・すべての人間に平等なことは「必ずいつかは死ぬ」ということ
・でも私はこの病気では絶対死ぬもんか!
・神様が(いるとしたら)きっとこの経験を活かせ!と言っているような気がする
です。
これからもどうぞよろしくお願いします(^^)v
私の病名は、S状結腸癌(大腸癌)です。
急性胃腸炎で入院したあとの外来受診のとき、「何か便通がおかしいんですよね」と言ったのがことの始まり。(後で考えたら、このとき訴えていなかったらまだ分からなかったかも)
その次の週に、注腸検査を受けました。
検査技師が「明日には結果を聞けますよ」と言ったのですが、すでに次週予約を取っていたので、「いいです」と言って帰りました。
そして、検査結果を聞きに行った日。
内科の主治医「実は大腸にポリープができています。この大きさだと開腹手術で取るしかありません。良性か悪性かということは詳しい検査をしなければ分かりませんが、良性の場合ここまで大きくなることはないんですよね。」
私「えっ?(これって告知?こんなに簡単にするの?)」
内科の主治医「明日入院してすぐ内視鏡検査をしましょう。」
私「えっ?明日ですか?」
それだけ急がなきゃならないってことだったんでしょう。
でも娘と息子の受験や学校のことがあったので、さすがに翌日入院は事情を話して延ばしてもらったのです。(この日、家族中がパニックに陥りました。当然ですよね)
そして入院。
先日までに何日かに分けて報告したとおり、約一ヶ月の入院生活が始まりました。
手術もうまくいき、術後も合併症がでなかったので、思ったより早めに退院できたのです。
退院時に「大腸癌の再発は2~3年以内が最も多く、5年経って初めて完治となります」という説明を受けました。
だから、5年後まではきちんと通院して検査をしていくとの事。
そしてそして、第2のことの始まり。
退院1ヵ月後の外来診察日。
私の傷を診察し、退院後の様子を聞いた外科の主治医(入院途中で主治医が外科の先生に変わりました)が次に言った言葉。
「組織の検査結果でリンパ節への転移はなかったんだけど、ステージⅡ(大腸壁貫通)なんだよね。リンパは大丈夫でも血管を通しての転移ということもあるから、再発予防に飲み薬の抗がん剤治療をしてみたらどうかと思うんだけど」
そして、主治医は副作用の話をいろいろし、「ご主人と相談して、来月の診察日までに決めてきてください。」と言いました。
私は頭では「大腸癌の再発は2~3年以内が最も多く、5年経って初めて完治」ということはしっかり理解していたつもりですが、5年間は検査をしながら普通の生活をしていくんだ!と思っていたのです。
だから、抗がん剤なんて…
ショックでした。
1ヵ月後までへのすっごい重たい宿題が出てしまったわけです。
それから、調べました。
ネット検索、本、知り合いの経験者や薬剤師さんの意見、もちろん家族の意見。
間にもう一度主治医を訪ね、もっと詳しく説明を聞きました。
(専門的なことなので薬の名前や調べたことはここには書きませんが、もし通りすがりにこのブログを読んで、同じような悩みをお持ちの方がいましたら、左のメール送信からメールをください。)
そして、今日、私は主治医に答えました。
「先生、お薬飲んでみます!」
これから、1クール、2週間服用1週間お休み、というパターンが続く予定です。
服用中の2週間は副作用の様子をみながらの、<その日暮らし>となるわけです。
思えば、今までさまざまな場面で「やるか、やらないか」を選択する場合、ほとんど「やる」を選んできたように思います。
それは「やらなかったこと」を後悔したくないから。
今回のような大問題はそう簡単に選択できない問題でしたが、また「やる」を選んだ私です。
こんな重たい悩みを持ちながらの1ヶ月の間、年チケは買うし、代表戦も申し込むし、お金が無駄になるかもしれないのに。
でも最初からどうせ行けないからってあきらめるのは嫌なんです!
年チケも代表戦も自分を奮い立たせるために持っていたい!
↑の内容のメールをcocoちゃんに送ったら「その心意気が大好きだ~」って返信してくれました。嬉しかった(涙)。
そうそう、ゲーフラには「共に闘おう!」って書こうと思います。
開幕戦に間に合うかな?
薬を飲み始める時期は、二人の子供たちの卒業式&入学式をこなさなきゃならないので、無理を言って、私の予定に合わせてもらいました。
しっかり開幕戦後に!(笑)
今日ここに私はカミングアウトをしたわけですが、このブログを闘病記にする気は全くありません。
以前お話したように、<すべてひっくるめて自分>という精神を貫き通すために必要なことだったと思っています。
尚、子供たちに病名は言っていなかったのですが、抗がん剤治療を始めるにあたって、娘だけに話しました。息子にはもう少し成長を待ってから話そうと思っています。
最後までお読みくださりありがとうございます。
大丈夫です、私は元気です!
でももし弱気になっていることがあったら、遠慮せず“喝!”を入れてください。
この病気になって思ったことは
・まさかこの年で癌になるとは思っていなかったのですが、私は現実をストーンと受け入れることができる人間だったんだ
・人間って、家族、友達、いろんな周りの人に支えられて生きてるんだなぁ 感謝!
・すべての人間に平等なことは「必ずいつかは死ぬ」ということ
・でも私はこの病気では絶対死ぬもんか!
・神様が(いるとしたら)きっとこの経験を活かせ!と言っているような気がする
です。
これからもどうぞよろしくお願いします(^^)v
私もそう思います。
泣きたい時、辛いとき、我慢できなくなったら泣いてもいいじゃん。
また仕切り治して頑張れば。
2年でも3年でも~5年でもずっと応援しているよ。
今までと同じ自分と
今まで通りお付き合いしてください。
↑はちょっとうるうるしちゃって・・パソが見えなくなった。
よっしゃ!!
YASUKOさんの言葉は元気が出るよ。
大丈夫v v v
>Masamiさん
コメントありがとうございます。
私もとても嬉しいです。
「きっと治りますよ☆」
そうですよね☆☆☆
頑張りすぎず、でも信じて闘っていきましょう!
そう!YASUKOさんが教えてくれた”自分を信じて迷わず進め”この言葉は、私の心にずっと刻まれています。
cocoちゃんが言うように、YASUKOさんの言葉はいつも元気をくれる。
ホント、YASUKOさんは素敵な方ですね☆
YASUKOさんのおかげで私はcocochanさんとの出会いも
ありましたし、YASUKOさんとcocochanさんは私にとって
素敵なサポ友達ですから!!
辛い時は、自分の気持ちを抑え込まず生活してください!
こんな私でも一緒に泣くことも笑う事ができますから!!
一緒に頑張っていきましょう!!
大腸癌・・・これで身内を亡くしているものでちょっといろいろと思うところがありました。
大変でしょう、本当に。
でも、YASUKOさんの真っ直ぐさは病気なんかに負けないって思います。
私には願うことしか出来ないけれど。
適当に肩の力を抜きつつ、頑張っていきましょう。
でも、こういう時でも前向きなYASUKOさんてすごく素敵です。
私もサポーター仲間のはしくれとして、応援していきます。
なんか、うまく言えません。すみません。
私の周りでもガンになる方多いです。その中でも胃がんとくも膜下出血という大きな病気になって、今はとても元気に仕事と主婦と頑張っている方がいますが、いつも頭が下がる思いで一緒に仕事しています。
yasukoさんもとても前向きのようなので大丈夫!!!
リーグ戦も始まるし、中澤選手も代表復帰したことだし、お互い元気パワーをもらって、これからも楽しんでいきましょう!
では、お大事になさって下さいね。いつかスタジアムでお会い出来るいいですね!
>Masamiさん
お医者様から「きっと治りますよ」と言われると本当に勇気が出ます。ありがとうございます。いつも見てくださっているのでしょうか。これからもよろしくお願いしますね。
>cocoちゃん
cocoちゃんの言葉にこそうるうるきてしまいましたよ。ありがとう。
私はもっと弱音をはくこととか、肩の力を抜くことを学んでいかないとダメですね。これからも頼ってばかりだと思いますがよろしくね。
>マリちーさん
お褒めの言葉をいただいて照れます。
私自身もみんなの「言葉」にいつも元気をもらっています。
信じて闘います!ありがとう。
>ayaさん
「一緒に泣くことも笑う事もできますから」
ありがとう。本当にありがとう。
できればスタジアムでいっぱい笑おうね!
>ライパチさん
身近な方がいらっしゃるとね。
私は父を癌でしかも再発で亡くしていますから、正直本当は怖いですよ。だからこそ「打倒!再発!」って気持ちです。
私のために願ってくれること、それが私の薬になります。
ありがとう。
>TAMAさん
書き込んでくれたことが嬉しいです。ありがとう。
TAMAさんの力強い応援思い出して頑張るわ。
>yukieさん
いつも見てくださりありがとうございます。
そして病気を克服された方のお話を伺うと新たに「頑張ろう」という気持ちが沸き起こります。
スタジアムでぜひお会いしましょうね。
YASUKOさんなら負けませんよ。私もみんなと一緒に闘います。応援します。
「共に闘おう」ゲーフラがんばって作ってください。開幕戦楽しみにしています。