日々の暮らしの中で「幸せだなあ~」と感じる瞬間は?
それはどんな時でしょうか?
たとえば偶然きれいな夕日を見た時
美味しいものを食べた時
人の何気ない優しさに触れた時
人それぞれ、いろんな場合があると思いますが…。
私の場合は、一日身体に痛みがなくて過ごせた時は、
よかったなあ~って思ったりします。
以前、こんなことを書いたことがありました。
沸点と言う言葉。
液体が気体になる瞬間(実際は、もうちょっとヤヤコシイらしいですが)
沸点は物体によって異なります。
幸せだなあと感じる瞬間を、感動の沸点だとするならば、
その沸点が低いほど、幸せの数は多くなる。
何気ない日常の一コマを、愛おしく感じて、
それを大切にしていけたら、
幸せ指数はどんどんUPするかもしれません。
三輪彰宏さんが、何かでおっしゃっていた言葉(ニュアンスのみですが)
「人って、失ったもの、足りないものに目が向きがち。
だけどそうではなく、今あるものを数えたら、
それを感謝出来たら、人生は確実に変わっていくはず」
先日、父の形見の切手帳を、母が他人にあげてしまったと知り、大ショックでした。
二人で一緒に集めた思い出が、消えてしまったようで…。
だけど、無くなってしまった思い出を追いかけるより、
今あるいろんなこと、
そこに溢れている小さな幸せに、目を向けていけたらと気付かされます。
写真は我が家の狭~~~~い庭に、3個だけ実った梅。
実がついた!と思った瞬間の感動。
幸せってそういう瞬間、瞬間のものなのかと。
だからその瞬間に敏感であれば、感動の沸点が低ければ、
幸せの瞬間も多くなる。
日常の何気ない一コマも、本当は当たり前ではないのだと。
有り難いことだと。
「有り」「難い」って、そこに有ることが困難だってこと。
そのことに想いを巡らせられたら、少し呼吸が楽になる気がするのです。
それはどんな時でしょうか?
たとえば偶然きれいな夕日を見た時
美味しいものを食べた時
人の何気ない優しさに触れた時
人それぞれ、いろんな場合があると思いますが…。
私の場合は、一日身体に痛みがなくて過ごせた時は、
よかったなあ~って思ったりします。
以前、こんなことを書いたことがありました。
沸点と言う言葉。
液体が気体になる瞬間(実際は、もうちょっとヤヤコシイらしいですが)
沸点は物体によって異なります。
幸せだなあと感じる瞬間を、感動の沸点だとするならば、
その沸点が低いほど、幸せの数は多くなる。
何気ない日常の一コマを、愛おしく感じて、
それを大切にしていけたら、
幸せ指数はどんどんUPするかもしれません。
三輪彰宏さんが、何かでおっしゃっていた言葉(ニュアンスのみですが)
「人って、失ったもの、足りないものに目が向きがち。
だけどそうではなく、今あるものを数えたら、
それを感謝出来たら、人生は確実に変わっていくはず」
先日、父の形見の切手帳を、母が他人にあげてしまったと知り、大ショックでした。
二人で一緒に集めた思い出が、消えてしまったようで…。
だけど、無くなってしまった思い出を追いかけるより、
今あるいろんなこと、
そこに溢れている小さな幸せに、目を向けていけたらと気付かされます。
写真は我が家の狭~~~~い庭に、3個だけ実った梅。
実がついた!と思った瞬間の感動。
幸せってそういう瞬間、瞬間のものなのかと。
だからその瞬間に敏感であれば、感動の沸点が低ければ、
幸せの瞬間も多くなる。
日常の何気ない一コマも、本当は当たり前ではないのだと。
有り難いことだと。
「有り」「難い」って、そこに有ることが困難だってこと。
そのことに想いを巡らせられたら、少し呼吸が楽になる気がするのです。