R-nt雑談部屋

更新不定期呟きBlog。自己趣味関連で、観た・読んだ・食べた・作った・描いた等の感想・作品&写真が主。

清洲城訪問

2023年02月03日 16時27分05秒 | 落書他雑事

あっと言う間に二月。昨年寒波後に年明寒波も通り過ぎ、高額光熱費は電力使用量が昨年から150↑kwhも節約してるのに、使用料金は4桁単位で高くなってる事実に、どんだけ値上し庶民家計や中小零細企業経費圧迫すれば気が済むんだ?と腹立たしく感じるも・・・賞与昇給した大企業と公務員以外は皆同じ。我が家の男衆(特に親がバブル収入経験有の恵まれた環境下で育った主人)も、実親から何かと「我慢しろ」で育った自分程の我慢が足りない故、この気温で暖房や給湯点けるの?と思いますが、主人と息子に言わすと私が変だと言われます。が、「お前ら、冷凍庫の中で1時間以上荷物上げ下ろし整理してみろ」と、そういう職場で一時期働き家族の食費・飲料費・外食費の足しにし、稼いでても自分の物が買えてなかった人間からしたらムカつく以外何物でもないです。

そんなこんなでまだ寒い2月。混まないかもしれないが念の為・・・温かくなり蚊みたいに人が出てくる前に、戦国時代所縁の城・清洲城に赴きました(清須城と記憶してたのだが違うらしい💦)。愛知県に30年以上住んでますが清洲城に行ったのは今回が初めて。改築後の清洲城は綺麗でした。その城の歴史については勉強の為に各自検索してもらうとし・・・撮影した写真は添付しておきます。

★清須城公園駐車場に車を停め・・・先ずは公園内の案内MAPを見てから外から城内へと散策。

 

★信長公を祀るお社

 

★改築後の清洲城。

 

★城を支えていた石垣(昔と今)

 

 

★城の庭園より。熱田神社にもある信長塀の複製他。

 

★城内の戦国所縁の展示物は写真不可のもあった為に撮影してませんが、こちらは高山方面の雪山が遠方に見える天守閣からの風景北側です。後、新聞形式(城の近くに印刷会社があるが故かは不明)で、信長から家康までの出来事を報道展示してる階があり各見出しが中々ユニークでした。

★清洲城訪れた業界人の方々のサインも展示されてました。

★で、ないなぁ~と思ってたら出口側に2023大河関連展示があり、等身大パネルがあったので撮影。見て貰えば解るのですが、本田忠勝演じる山田裕貴君(向かって一番右)のバックには金屏風がありません。恐らく歴史上で殿の御立場の方の後ろには屏風有で、本田忠勝は家臣故に屏風外なのでしょうが・・・もしかしたら「演じてるの愛知県名古屋出身、しかもドラゴンズ選手だった父を持つ子じゃん!」ってな感じで、後から慌ててパネル作って展示されたのかも・・・と、一瞬思ってしまった次第です。

 

★こちらも出口スペースにあった鎧展示と雛人形。雛人形の方は昭和30年代と40年代の7段の物が飾ってあり、地方からの転居宅で育った私は、戦争疎開子沢山で苦労したきた祖父母や、親に買って貰う事もなく(各家庭、日々の生活してくのに必死で、子が欲しいと我儘も言えない時代)、一人っ子の共働き(当時この子の家のみが共働き)幼馴染宅に、低学年迄は毎年友達数人が集まり、立派な雛人形飾りの前で雛祭会をしてたのが懐かしいです。

★城内も公園も散策したから帰ろうとしたら、少し歩いた場所に信長と濃姫の銅像がありパワースポットになってるとの事で行ってきましたが・・・二人で行かないと効果ないのかな?

★濃姫単体の写真が光の兼合いで上手く撮れませんでしたが、陽の当たる場所に殿、自分は影で殿を御支えするという、濃姫らしい感じの立ち位置(銅像の場所)でした。

  

★岩倉城址同様、清洲城の側にも戦死者供養塔がありましたので、念の為、人類最大の罪である戦争で母国の為に散った方々へ、安らかなる眠りと今の平和が続く様、手を合わせ帰宅しました。

折角清須まで来たんだし・・・と、ふとDB作者・鳥山明先生宅を見に行ってきました。と言っても、ネットで流れてる画像宅が見える通りを走っただけですが、建てた当時は存じませんが今ではすっかり住宅街。今は色んなデザインの家ももあり、建物の色以外はさほど個性的とは感じる事もなかったですが、車はよくDBで描かれてる物が駐車されてありました。清須市と言っても、名古屋よりですね・・・あの辺は。で、身内にそれを話した所、先生がアラレちゃん描いてた頃とは住居場所が違う様で、昔は足助(自分が住んでた日進市に近い名東区からは行きやすい行楽地のある場所)に住んでたらしく、週刊ジャンプ連載と人気が出るにつれ利便性のある場に転居したのでは・・・と言われ、足助ならあのペンギン村ののどかな風景も理解できるなぁ~・・・と頷けた情報でした。

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