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いもあらい。

プログラミングや哲学などについてのメモ。

歴史の必然性?(2)。

2005-04-07 02:26:00 |  Study...
歴史の必然性?。のつづき。

さてと、つづきです。
前のエントリでは2つのことをほったらかしにしていました。
すなわち、

もちろん、そんな必然性が本当に存在するのか?という問題もあるけれど、それは後回し。



のところと、

ただし、じゃあなぜB≠B'なのにB'にはB'という名前がつくのか?というところに目がいく人は、するどい。



という2つの文。
んで、実はこの2つについて議論していくと、直感的に得られる(けど、論理的ではない)前回の帰結が、それほど間違ってもいないということと同時に、そもそもそういった議論には意味が無いということが出てきます。

あー、ただ、今回の議論も論理的ではないです。
なぜなら、最後に行うのは「論理的に判断できるところを越えたところ」での議論、というよりは、判断、になるからです。
もちろん、それぞれの「モデル」においては論理的になるんですけれど。
まぁ、そこら辺は最後の方で話しましょう。



いきなりですが、問題です。

S社の株価が今どんどん上がっていっています。S社はつい先月新製品を発売したばかりでした。
(1)S社の株価が上がっていっているのは、なぜですか?説明しなさい。
(2)あなたはS社の株を買うべきですか?買わないべきですか?どちらかを選び、選んだ理由を答えなさい。
(3)もしあなたの前に未来人がやってきて、「S社は明日新製品に欠陥が見つかる」と教えてくれましたとしたら、あなたはS社の株を買うべきですか?買わないべきですか?正しい方を選び、理由を答えなさい。



中学入試の問題みたいですね(^^)
解答例は次のようになると思います。

(1)先月発売した新製品が人気で、この先も株価が上がっていくと多くの人が判断し、株が買われたから。
(2)買うべき、を選んだ→S社の株はこの後もまだ上がっていくと思うから。
   買わないべき、を選んだ→すでにだいぶ上がったので、そろそろ止まる頃だと思うから。
(3)買わないべき。なぜなら、欠陥が見つかったことでS社の株価は落ちると判断できるから。



ここで重要なのは、(2)においてはどちらを選んでも理由がしっかりと書けていれば正解になる、ということです。(ただし、買わない理由で、S社で欠陥が見つかるから、と書いたら間違いになります。)

それと、(3)については「おかしいんじゃないか?」という声が聞こえそうです。というのも、欠陥が見つかったからといって株価が落ちるとは限らないからです。だから、いくら欠陥が見つかると分かっていても、実際に株価がどうなるかはそのときになってみないと分からない、という反論が利きます。
それでは(4)(5)を次のように出題してみましょう。

未来人が来た次の日にS社の新製品に欠陥が見つかりましたが、S社はその欠陥を直したさらなる新製品を発表し、欠陥品はその新製品と交換することになりました。
(4)株価は結局下がっていってしまいました。なぜですか?
(5)株価は結局上がり続けました。なぜですか?



解答例は、

(4)欠陥があった、というのがイメージを悪くし、新製品を出してもそのイメージが拭えなかったから。
(5)欠陥を忘れさせるほど新製品が魅力的だったから。



とかでしょうか。

さて、これをじっくりと分析していきましょう。
(1)は現在から過ぎ去った過去を見て、理由を答える問題です。
(2)は過去の状態から未来の状態を予想しなさい、という問題です。未来はまだどうなっていくのか分からないのですから、答えはどちらを選んでも、理由さえしっかりと言えていれば正解になります。
(3)は未来の状態を推測するに重要な情報を得たとして、現在から未来の状態を推測しなさい、という問題です。基本的には正解は一つですが、上ですでに述べたとおり、その答えが本当に正解なのかどうかは実際にそのときになってみないと分かりません。
(4)、(5)は起こりうる2つの未来のうち、片方が確定したときにおいて、振り返ってみて何がその片方を確定したのか、というのを答える問題です。

これを見て分かることは、まず(2)で、いくら過去から未来のこと推測してみても、それはあくまで推測であるからいろいろな可能性が残っていることが分かります。それは(3)のように未来についてかなり高い確率での予想が立っている状態においても、未来のことはあくまで未来のことで、実際にそうなるのかどうかは、そのときになってみないと分かりません。
でも、実際にそのときになってしまえば、それ以外の可能性はもはや可能性ですらなくなってしまい(こうなるかもしれない、は、こうなっていたかもしれない、になる)、振り返ってその現実になった(いくつかある可能性から、その可能性のみが選ばれた)理由を考えることが出来ます。

つまり、現在において、未来の可能性と、その可能性を生み出す要因はたくさん存在するわけです。けれど、いったん未来が未来で無く現在となってしまえば、他の未来の可能性は無くなってしまう。
同時に、その未来から現在を振り返ってみれば、たくさんあった「未来を生み出す可能性のある要因」というのは、もはや「未来を生み出す可能性のある要因」ではなくなってしまい、そのうちいくつかが「その未来になった理由」としてピックアップされるわけです。
その結果、決まってしまった未来――すなわち現在から見れば、過ぎ去ってしまった現在――すなわち過去において現在以外の現在があったかもしれないという可能性というのは、忘れられてしまう。

実際、(4)が現実になれば、原因として省みられるのは当然「S社の新製品に欠陥が見つかったから」ということのみであり、(5)という現実があったかもしれないという可能性は忘れ去られ、結果として「S社は新製品を出して株価が上がっていたけれど、欠陥が見つかり株価が落ちた」ということのみがまるで必然であったかのように見えるようになる。

この「まるで必然であったかのように見える」というのが重要です。
そんなことはない、と思う人がいたら、それはあくまで自分が(4)、(5)という風にパラレルワールドの可能性を考えられるように出題したからにすぎません。
実際(1)の問題を見てください。誰もこの問題を考えるときに「株価が上がり続けている」という現在以外の現在を考える人はいないでしょう。ただ単純に、「株価が上がり続けている」という現実を説明しうるに十分なだけの「理由」を過去の事実(これは「なりえたかもしれない現在を作り出したかもしれない要因」の集まりですね)の中から「探そうと」するだけのはずです。

だから、本当のことを言えば、過去にある事実間に「原因ー結果」という関係は無く、実際にあるのは「過去にこうだった」という事実だけなんです。けれど、人はその事実の間に因果を作りたがる。すなわち、“これこれこうだった。だから、これこれこうなった”と。
ようは、過去がそう進んでいったことに対して、自分が納得しうるだけの「理由」「原因」を見つけ出そうとする。そして、その連続によって生まれる「物語」――すなわち『歴史』というものを作らずにはいられないわけです。
もちろん、そうやって作られた『歴史』は、そう進むことが当然であったと思えるように作られているのであるから、過去に起こったことに対してそれは当然であったように見えわけです。

例えば、過去Aというものがあり、この過去Aが原因で過去Bが生まれ、過去Bが原因で過去Cが生まれ、という歴史があったとします。
けれど、これは実際は、過去Cがあって、どうして過去Cのようになったんだろう、と考えたときに過去Bが原因として考えられ、じゃあどうして過去Bになったんだろう、と考えたときに過去Aが原因として考えられて、の連続なわけです。

ただ、いったんそういった『歴史』が作られてしまえば、それが、あたかもただ一つの事実であるかのように見えてしまう。
因果関係によって、必然性によって、歴史が進んでいっているように見えてしまう。
起こりえたかもしれない違う過去、というのを考えることは無いので、こういった倒錯したモデルが受け入れられてしまうわけです。



長くなったので、とりあえずこの辺りで。
でも、これで1つ目の文については解決しましたね。
すなわち、必然性なんてものは無いけれど、物事が起こってさえしまえば、後付けでいくらでも必然性は与えられ、ひとたび必然性を与えてしまえば、後付けでつけた必然性が物事が起こる前にすでに存在していたかのように見える、ということです。
予言みたいなもんですよ、結局。

そういった意味で、「歴史による自然な成立」というのは、「自然に成立したように見える」歴史を作っただけにすぎず、逆に『SD』が成立する前にそんなことをいくら言っても、それはたくさんある可能性のひとつにしかすぎず、それこそ予言にすぎないわけです。

2つ目の文について、およびその後の考察については、時代性と文化の関係。で行います。


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