12月市議会を前に、市議と環境課長のやり取りを確認するために環境課へ行ったときの事。表向きは、その前に測定した振動と低周波音の記録の受け取り。
当の課長は電話中。担当職員相手にいつも通りの当たり障りの無い記録の受け取りの後、係長に市議とのやり取りを確認。いつの間にか課長の姿は消え、仕方なく係長に質問。「市議の質問に、課長さんは随分なことを言ったようですね。この問題はいずれ被害者が解決するでしょう。とは、いったいどういう意味ですか?」言いよどみ答えられない係長。いくつかの言葉を交わし、出てきたのは「放置するとか、(課長は)そんなつもりではなかったと思いますが、(市議に)そう受け取られたのならしかたありません。」・・・
10年に及ぶ市役所の対応が、工場に役所の指導をないがしろにするほどの状況を作り、ここまでこじらせて、すべての不都合を市民に押し付ける。責任放棄のような言葉を、課の責任者である課長が口にするのは、あまりに無責任すぎる!
この課長、定年まで秒読みらしい。市民が苦しもうと「しかたない」と波風立つのを避け、市民の生活の安全を犠牲に役人の事なかれ主義を通し、無事退職金を受け取るつもりか?その退職金は、(微々たるものの)私の納付した税金も含まれる。無性に腹が立つ!!


公務員は最低限公平であり、強者にも、弱者にも、等しく安全な生活を保障すべくあるのではないか?工場のために市民が苦しんでいたら、工場の営業に支障が起きることには配慮しても、苦しむ市民には、救済策も講じず、更なる苦しみを強いる。何か間違っているのではないでしょうか?
産業は人の幸せのためにあるのであって、人の苦しみの上に成り立つのではないはずです。たとえそれが地場産業であっても、人を苦しめて平然と利益をむさぼっていいはずがありません。
かって『女工哀史』という言葉がありました。いえ、この平成の世にいまだ『女工哀史』を生みだし、女子供を苦しめ命を奪った業態を至上と踏襲している業者(私の家に隣接する工場のように)が、いることはあまりに恥ずかしいことです。
市の産業が空洞化し、過疎化するのは当然です。地場産業至上で、「女子供の意見は論外」という女性蔑視が、いまだ当然というようなこんな恥ずかしい地域に、自分の子供を住まわせたくなどありません。それは、女の子の母親ならなおさらです。娘の幸せのために、この市から一歩でも離れるよう、諭します。
11月にアップした≪低周波音測定器≫で、前進の兆しに思えた事案は、低周波音測定器の購入予算申請でした。しかし残念なことに上層で却下され、予算計上は叶いませんでした。まだ当分、必要時には県から借用することになるようです。