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打倒!低周波音被害~まけないぞぉ~

振動公害から低周波音被害へ!世間の理解と拷問の日々からの救済を求め愛猫と彷徨う日々の記録

。。お伝えしたいこと。。

ご訪問いただきありがとうございます。 ここを訪れてくださった方は、何らかの被害を感じている方とお察しします。被害者はあなた一人ではありません。被害を訴えるあなたはどこもおかしくありません。低周波音被害の苦痛は、本能の悲鳴です。 私自身被害の渦中であり何も出来ませんが、せめて“ひとりじゃない”とお伝えしたいと思います。 このサイトのコメントは一時保留の後、公開とさせていただいております。公開不都合の旨を記入いただければ公開いたしません。また、差しさわりないアドレスをご記入いただければ、直接返信させていただく事も可能です。 低周波音被害が将来を担う子供達に、禍根とならないことを祈ってやみません。

薬害肝炎の和解報道で思うこと

2008-01-14 | 低周波音被害
人づてにいろいろな話が入ってきます。近年、低周波音○○○会というものがいくつか設立されています。私が参加しているものもあります。それを含め、

「○○会は何を目指していますか?」素直な感覚です。

何がしたいのでしょう?
それぞれの会に特徴があって当然ですが、お互いの協調はあまり感じません。
自殺未遂や生活破綻の話も聞いています。被害者には、余裕があまりありません。
低周波音被害は生活の根本を滅茶苦茶にします。低周波音の不快な音圧下では、頭痛や耳痛、動悸やめまいのみならず、安眠が得られず、食事が思うに任せなくなります。病気になっても体を横たえることも苦痛となります。安息を得られるはずの〈食う寝るところ、住むところ〉が侵されるのです。それは精神的に追い詰められ、自宅が、無限地獄の拷問の場となるのです。
必然、被害者はこの苦境から逃れる術は無いものかと、ワラでもカスミでも求めます。
それは命にかかわるかもしれないという切羽詰った状況で、人が取る当然の行動だと思います。誰にもそれを、避難できません。それを愚行と罵り何も求めずにいれば、解決策はおろか、目前のワラさえつかめないでしょう。ワラの中には金のワラがあるかもしれません。
何より、被害者が求めるのは皆同じく、<問題解消>です。というのに、なぜ大同小異、ともに進めないのでしょう。これでは<参照値>の見直しも、問題解決もはるか遠くです。
薬害肝炎の和解報道を見るにつけ感じます。個々の裁判は起こせても、問題解決の裁判は起こせません。座り込みもできません。

月刊むすぶ442号の“住民運動再訪”という特集で、公害運動についてあり、とても考えさせられました。

「長い裁判をして、勝訴して初めて公害運動の第一歩になる。」

今、低周波音問題はそこまで辿り着いていません。年末に報じられた薬害肝炎の和解もまた、四日市公害と同じ長い道の半ばにあるように感じます。原告団の山口代表は和解案決議に至ってなお、「やっとここまで来れた」と言います。決して「やっと終わった」とは言いません。
近い将来、いたるところで被害発生を予測できる低周波音問題ですが、低周波音被害者はどうしたら、彼らのように問題解決への道をたどれるのでしょう。将来の被害を未然に防ぐ術を、見つけられるのでしょう。低周波音問題には、フィブリノゲンのような大標的は無く、発生源は様々。それでも被害現場には、低周波音域にピークが測定される。それが心身に悪影響を及ぼすと理解する研究者が少ない。それは研究者が、被害現場に足を運ばないからです。測定結果の数値だけ見て、被害者の感じる低周波音の不快な音圧の一部たりと感じることができるはずがありません。頭痛を知らない人に、いくら頭痛の辛さを説明しても、理解を得られないのと同じです。
いまだ大同小異一致団結がかなわず、研究者も少なく一方に偏ったまま、薬害のように実験室で再現が難しい・・・
被害が周知されていないうえに、「参照値」という免罪符を楯に、行政も、発生源も、被害者を見殺しにしようとしています。
私の家では、25Hz80dbの低周波音に曝され、水槽の金魚が1週間で全滅します。
猫が病気になります。それが、人の体に、子供たちの成長によいはずがありません。
被害の実状は、汐見医師が著書に記述されているよりはるかに深刻です。
公には、国内に自殺した被害者はいないと言われていますが、学校でのイジメのように認められ、表に現れていないだけで、(当然、死因の欄は低周波音被害による○○とは書かれていませんが)私の家では2人の葬式を出しています。
それでも、なす術が無いのです。
被害者はどうしたらいいのでしょう。何ができるのでしょう。どうしたら、大同小異まとまることができるのでしょう。
コメント (1)
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低周波音測定器 その後

2008-01-14 | 行政
12月市議会を前に、市議と環境課長のやり取りを確認するために環境課へ行ったときの事。表向きは、その前に測定した振動と低周波音の記録の受け取り。

当の課長は電話中。担当職員相手にいつも通りの当たり障りの無い記録の受け取りの後、係長に市議とのやり取りを確認。いつの間にか課長の姿は消え、仕方なく係長に質問。「市議の質問に、課長さんは随分なことを言ったようですね。この問題はいずれ被害者が解決するでしょう。とは、いったいどういう意味ですか?」言いよどみ答えられない係長。いくつかの言葉を交わし、出てきたのは「放置するとか、(課長は)そんなつもりではなかったと思いますが、(市議に)そう受け取られたのならしかたありません。」・・・
10年に及ぶ市役所の対応が、工場に役所の指導をないがしろにするほどの状況を作り、ここまでこじらせて、すべての不都合を市民に押し付ける。責任放棄のような言葉を、課の責任者である課長が口にするのは、あまりに無責任すぎる!
この課長、定年まで秒読みらしい。市民が苦しもうと「しかたない」と波風立つのを避け、市民の生活の安全を犠牲に役人の事なかれ主義を通し、無事退職金を受け取るつもりか?その退職金は、(微々たるものの)私の納付した税金も含まれる。無性に腹が立つ!!

公務員は最低限公平であり、強者にも、弱者にも、等しく安全な生活を保障すべくあるのではないか?工場のために市民が苦しんでいたら、工場の営業に支障が起きることには配慮しても、苦しむ市民には、救済策も講じず、更なる苦しみを強いる。何か間違っているのではないでしょうか?
産業は人の幸せのためにあるのであって、人の苦しみの上に成り立つのではないはずです。たとえそれが地場産業であっても、人を苦しめて平然と利益をむさぼっていいはずがありません。
かって『女工哀史』という言葉がありました。いえ、この平成の世にいまだ『女工哀史』を生みだし、女子供を苦しめ命を奪った業態を至上と踏襲している業者(私の家に隣接する工場のように)が、いることはあまりに恥ずかしいことです。
市の産業が空洞化し、過疎化するのは当然です。地場産業至上で、「女子供の意見は論外」という女性蔑視が、いまだ当然というようなこんな恥ずかしい地域に、自分の子供を住まわせたくなどありません。それは、女の子の母親ならなおさらです。娘の幸せのために、この市から一歩でも離れるよう、諭します。

11月にアップした≪低周波音測定器≫で、前進の兆しに思えた事案は、低周波音測定器の購入予算申請でした。しかし残念なことに上層で却下され、予算計上は叶いませんでした。まだ当分、必要時には県から借用することになるようです。


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