DIARY

バイマーヤンジンの日記です。

姉の親友の悲しみ!

2008年06月03日 | Weblog
今日は兵庫県の尼崎市で講演をさせていただきました。
最近は非公開の公演が多く、皆様にお知らせできなくて、申し訳なく思っております。

19時ちょっと前に帰ってまいりましたので、実家に電話をしてみました。
そうしたら、電話に出た二番目の姉のガラガラ声にびっくりしました。話を聞くと、親友で同僚の父親のお葬式にいってきたのだそうです。

親友のお父さんは実は今回の大地震で命をおとしてしまいました。

もともとは、この親友もご家族も全員青海省のゴロクというところで暮らしていました。何年か前に仕事の関係で、彼女はアバに引っ越してきました。その際に、親には少しでも長生きをしてもらいたいと気候のいい場所を探し、マンションを購入したのだそうです。
その場所が丁度今回の大地震があった四川省の都江堰でした。地震が起きるまで、そこには彼女のご両親と彼女の息子が三人で暮らしていました。

地震のあった翌日、彼女はタクシーをチャーターして行けるところまで行き、そこからは徒歩で都江堰に向かいました。アバからずいぶん遠回りして三日後にやっと都江堰に着いたのでした。マンションはまたなんと、あの四階建ての教室が全壊し、何百名もの学生が犠牲となった「鎮源中学校」のすぐ裏にあったそうです。最初は余震や救援隊の作業のため、近づくことさえできませんでした。仕方がなく、避難所をひとつひとつ何日もかけて捜し回ったそうです。そうしたら奇跡的に母親と息子を見つけたのでした。しかし、父親は地震が起こった時、家で昼寝をしていましたので、消息不明のままになっていました。

結局その後で遺体で見つかりました。非常事態でもあったので、政府の指示どおり、まず近くの火葬場で火葬にしたのでした。

親孝行のつもりがこのような結果になってしまい、彼女はあまりにも悲しくて、生きる気力を完全に失ってしまいました。

しかし、その火葬場にはなんと家族全員が亡くなり遺体となって運ばれてきたものもたくさんあったのだそうです。それを見て、彼女は考え方が少しずつ変わってきました。「少なくても自分にはまだ母親と息子が残っているんだ。不幸中の幸いじゃないか」と思うようになったんだそうです。

それから彼女たちは大変な苦労をして、父親のお骨を故郷に持って帰りました。そして、きちんとチベット式のお葬式をしたのでした。そのお葬式に姉は車で片道三時間をかけて出席してきたのです。

同じような境遇、経験をされた方は他にもたくさんおられると思います。このことを考えると、本当につらいです。

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