DIARY

バイマーヤンジンの日記です。

コメント

2008年04月29日 | Weblog
たくさんの方々にホームページをご覧いただき、心より感謝しております。
コメントとしてはご期待に応えられなくて、自分自身も辛くて、情けなくて、申し訳なく思っております。

私は大家族の中で生まれ育ちました。日本にいる私を除いて、大好きな家族全員が今もチベットの田舎で暮らしています。

そして、11年の学校建設活動中に、ラサのほうにもたくさんの心の通った友人や知人もできました。特に教育関係の方とも深い繋がりができました。そのなかには、たくさんの日本の皆様のご支援のお陰で建てることができた十校の学校、それらの学校に勤める先生方、大勢の生徒もいます。私の言動ひとつで、さもすれば、皆に多大なる影響を与えることになります。

ですから、私はこれからも教育支援を通して、故郷チベットに貢献していきます。子どもたちが故郷を愛し、故郷の役に立つりっぱな大人に育ってくれることを願っています。

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日本に戻りました。

2008年04月26日 | Weblog
ご無沙汰しております。
皆様にはご心配をおかけいたしました。申し訳ございませんでした。

ホームページには海外出張と書きましたが、実は家族のことがとても心配で、故郷に帰っていました。

正確には帰ろうとしましたが、あまりにも厳しい状況でしたので、故郷に帰ることは断念せざるを得ませんでした。最終的に四川省の成都で家族の何人かと会いました。無職の母とすでに退職した姉しか出てこれませんでしたが、母と姉に会えたことだけでもほっとしました。

電話だけでしたが、ラサの関係者にも連絡がとれました。私たちの支援によって建設された九つの小学校の生徒および先生方はすべて無事であることも確認できました。ひと安心しました。

しかし、故郷の状況は、日本にいる私がマスコミを通じて知ったものよりもはるかに厳しいものでした。特に今、現在の取締りには恐怖すら感じています。

すべてのチベット人の無事を祈ります。

中国の報道の影響だと思いますが、成都でタクシーに乗ったときでも、漢族運転手の私たちチベット人に対する憎悪を感じました。大学時代の友人に会ったときには「成都ではチベット語でしゃべるなよ」と注意までされました。また成都の天府広場では隅々まで警官が立っていました・・・

やっと対話に応じることになったようですが、形だけではなく、真の解決に向かうことを願っています。

明日から東京にて仕事を再開しますが、胸を張って頑張ります。

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