全盲ろうの東大教授、福島智。
今日はたまたま鈴木杏ちゃんの
「ヘレン・ケラー」チケット獲得に
参戦したばかり。
太田さんが、「ヘレン・ケラーだ」と言った。
指点字、と言うものを使って、教授は状況を理解し、言葉を口にする。
指点字通訳の人と、手を重ね合い、
その人の5本の指の動きが、まるで鍵盤をたたくように教授の指をたたき
意味を伝える。
あるいは、右手の平に
ゆっくり指先で字を書いてもらっても、伝わる。
「おおた」
自分の声は聞こえない。
すごいことだ。
私は小さい頃から目がよくないので
失明にものすごい恐怖心がある。
ジェフリー・ディーヴァーの短編にも
そんな話があった。(と前にも書いた気がする)
その上聴覚まで失うなんて。
なんという恐怖。孤独。
自分にも確かめられない声を発する勇気。
勇気、というのが正確かどうかさえ。
時々ね、通勤電車で、白い杖の人と一緒になるのです。
ときどきっつっても、私の時間があまりにばらばらで
その人は多分、いつも同じ電車。
一度、その人の背負ったリュックのストラップが
ねじれていたことがあって。
(車内ではリュックを抱えているから。
その人が降りる駅に近づいて、電車が減速したら
おもむろに背負うの。
それができないいわゆる健常者がどんだけいるか)
ねじれに、少し手こずっておられたので。
ちょっとためらいながら、手をお貸ししたことがあったのです。
何かこうね、胸がクッとして。
その人が降りて行った後も
思わず目で、姿を追いかけてしまった。
東京は人が多いので、
結構、駅なんかで
白い杖の人や車椅子の人や普通の杖の人や
松葉杖の人に出会う。
ベビーカーの人も含めたら、毎日、出会っていない日は
ないような気がする。
もちろん、外から見えないところに
疾患を抱えている人もいる。
肉体的な疾病のほか、
心がぼろぼろの人とも、おそらく乗り合わせている。
何度か、目の見えない人の手を引いたり
電車で席を譲ったりしたことがあるけれど、
いつも、後味が残る。
いい後味とか気まずい(そもそもビターな感じで使うことが多い言葉だが)
後味とかはさておき、
普通に、道を聞かれたようにそしてそれに答えたように
さらっと別れることができれば、
なんて思うのは、傲慢なのかしら。
つらさ、苦しみにも何か意味があるんじゃないかな、
と教授が言っている。
ああ、やはりフランクル。
絶望=苦悩-意味
絶望+意味=苦悩
意味をそこに見出せれば
それは絶望ではない。
しんどいから面白い。
「
私は ここに いる」
いい番組でした。