2003年、東京国際女子マラソン。
アテネオリンピックの選考レースとなったこの年の大会に高橋尚子は出場した。
もちろん周囲やマスコミは1位になることは当然。どのくらいのタイムが出るのかと
いうところに注目をおかれていた。
その時のレースはスタートから飛ばしに飛ばして38kmまでは単独の1位だった。
しかし、39km地点で失速。2位に下がってしまいそのままゴール。
アテネオリンピック出場には出場できなかった。
その瞬間から高橋選手の時間は止まっていた。
東京国際女子マラソンの39km地点とは・・・
コースの終盤35kmから始まる上り坂が一番きつい地点。
最初から飛ばした高橋選手のスタミナは残っていなかった。
東京国際女子マラソンを負けてからの2年間、度重なる怪我などいろいろあり
レースには出場できなかった。
本人も、その2年間は本当につらかったであろう。
”引退”の2文字を何回も考えたそうだ。
しかし、高橋選手はあきらめなかった。
走る事が好きだから。
応援してくれているファンのみんなにもう一度元気な姿を見せたいから。
そして、3年後の北京オリンピック出場という大きな目標があったから。
そう、高橋選手には”夢”があった。
その夢を叶えるために今年、恩師である小出監督と別れを告げて独立を決意。
あえて厳しい環境を彼女は選んだ。それは甘えや妥協が一切きかない厳しい環境。
今年の6月に”チームQ”を結成し今日まで頑張ってきた。
そして今日、あのときと同じ舞台で高橋選手は走った。
前日に公表した右ふくらはぎの肉離れにも耐えて彼女は走った。
スタート直後は先頭集団につけてよどみのないレース運び。
そしてあの39km地点前の35km地点付近で一気にスパートをかけた。
そこは坂にちょうど入ったところだ。
そして一気に突き放し見事歴代3位の記録で優勝した。
↓(詳細です)
高橋尚子、復活のV…東京国際女子マラソン
その瞬間をTVで見ていたのですが、胸が熱くなり、TVの前で彼女に拍手を贈った。
インタビューで彼女はこういうことを言っていた。
「暗やみに入っても夢を持つことで、一日一日が充実する。皆さんにもそのことを感じてほしい」
いい言葉だと思った。
彼女の走りを見ていて、そういうことを観客やTVを見ている人たちに訴えながら走っているように見えた。
ゴール後の彼女の笑顔。Qチャンスマイル。
シドニーオリンピックの時の笑顔とは少し違って見えた。
その笑顔は、うれしいと言うよりはほっとした,まだ走れるという希望の笑顔のように自分には見えたのだ。
2年間止まっていた時計。
その時計が今日また動きはじめた。
次は今日の結果よりたぶんアジア選手権が有力と思われる。
そこを優勝すると次は最大の目標である北京オリンピック。
その最大の目標が達成されるまで、彼女の時計は動き続けるであろう。
いや、動き続けてもらいたい。
彼女が北京オリンピックで走っている姿をぜひみてみたい。
アテネオリンピックの選考レースとなったこの年の大会に高橋尚子は出場した。
もちろん周囲やマスコミは1位になることは当然。どのくらいのタイムが出るのかと
いうところに注目をおかれていた。
その時のレースはスタートから飛ばしに飛ばして38kmまでは単独の1位だった。
しかし、39km地点で失速。2位に下がってしまいそのままゴール。
アテネオリンピック出場には出場できなかった。
その瞬間から高橋選手の時間は止まっていた。
東京国際女子マラソンの39km地点とは・・・
コースの終盤35kmから始まる上り坂が一番きつい地点。
最初から飛ばした高橋選手のスタミナは残っていなかった。
東京国際女子マラソンを負けてからの2年間、度重なる怪我などいろいろあり
レースには出場できなかった。
本人も、その2年間は本当につらかったであろう。
”引退”の2文字を何回も考えたそうだ。
しかし、高橋選手はあきらめなかった。
走る事が好きだから。
応援してくれているファンのみんなにもう一度元気な姿を見せたいから。
そして、3年後の北京オリンピック出場という大きな目標があったから。
そう、高橋選手には”夢”があった。
その夢を叶えるために今年、恩師である小出監督と別れを告げて独立を決意。
あえて厳しい環境を彼女は選んだ。それは甘えや妥協が一切きかない厳しい環境。
今年の6月に”チームQ”を結成し今日まで頑張ってきた。
そして今日、あのときと同じ舞台で高橋選手は走った。
前日に公表した右ふくらはぎの肉離れにも耐えて彼女は走った。
スタート直後は先頭集団につけてよどみのないレース運び。
そしてあの39km地点前の35km地点付近で一気にスパートをかけた。
そこは坂にちょうど入ったところだ。
そして一気に突き放し見事歴代3位の記録で優勝した。
↓(詳細です)
高橋尚子、復活のV…東京国際女子マラソン
その瞬間をTVで見ていたのですが、胸が熱くなり、TVの前で彼女に拍手を贈った。
インタビューで彼女はこういうことを言っていた。
「暗やみに入っても夢を持つことで、一日一日が充実する。皆さんにもそのことを感じてほしい」
いい言葉だと思った。
彼女の走りを見ていて、そういうことを観客やTVを見ている人たちに訴えながら走っているように見えた。
ゴール後の彼女の笑顔。Qチャンスマイル。
シドニーオリンピックの時の笑顔とは少し違って見えた。
その笑顔は、うれしいと言うよりはほっとした,まだ走れるという希望の笑顔のように自分には見えたのだ。
2年間止まっていた時計。
その時計が今日また動きはじめた。
次は今日の結果よりたぶんアジア選手権が有力と思われる。
そこを優勝すると次は最大の目標である北京オリンピック。
その最大の目標が達成されるまで、彼女の時計は動き続けるであろう。
いや、動き続けてもらいたい。
彼女が北京オリンピックで走っている姿をぜひみてみたい。