浮世風呂

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河野洋平が愛した洋公主…慰安婦役者の最初のウソ

2013-10-19 23:26:07 | 資料

「東アジア黙示録」より  

河野洋平が愛した洋公主…慰安婦役者の最初のウソ

そこには生年月日も出身地も記されていなかった…河野談話発表の“決め手”となった聞き取り調査の中身が判明。20年の封印を解かれた闇資料が慰安婦捏造派を更に追い詰める。

「ちょっとお聞きしたいんですけれども、ヒヤリングを出さないと決めていらっしゃるわけですね。どうして出さないんですか?名前だけでも出せないんですか?」

平成9年3月、自民党若手議員の勉強会に参加した西岡力教授は、政府関係者を追及、資料の公開を求めた。答えたのは河野談話の発表に深く関わった内閣外政審議室の東良信審議官だ。

「非常に少ない人数なものですから、内容が出ますと必ず特定できるという状況になっておりますものですから、そこは…」(展転社刊『歴史教科書への疑問』170頁)

▼米軍が確認した朝鮮人慰安婦(1944年)

政府側が公開を拒んだのは、河野談話で一方的に謝罪する“決め手”となった自称慰安婦の証言記録。これまで政府側は、個人情報の保護などを理由に20年間にわたり門外不出としてきた。

その重要資料を産経新聞が入手、10月16日付の1面を飾った。スクープである。先日の朝日新聞の意味不明な“慰安婦関連スクープ”とは質も格も違う。河野洋平らの大罪を暴く決定的な資料だ。

▼10月16日付産経新聞1面(撮影筆者)

産経新聞がゲットした証言記録は計13ページで、自称慰安婦16人が話した就業の経緯や体験談がメモされている。対象が僅か16人であることは以前から判明しているが、その内容は想像以上に杜撰だった。

大阪や台湾など戦地でなく、慰安所がなかった地域で働いていたという証言が6人にのぼる。この6人は慰安婦を自称した時点でウソを吐いている。軍の関与も何ら関係ない一般的な売春婦に過ぎない。

▼南鮮の米兵向け売春婦(LIFE誌)

そして、半数の自称慰安婦は生年月日を詳しく明かさず、大半が出生地を明示していない。更に、氏姓すら曖昧な証言者も含まれる他、同一人物が複数の名前を使い分けていた疑いまで浮上した。

【出身地も生年月日も忘れたが…】

「20年ぶりに日の目を見たこの報告メモに目を通し、理由が分かったような気がする」

慰安婦の実証研究で知られる現代史家の秦郁彦氏も、呆れ果てる。河野談話で「軍の強制性」を示す唯一の証拠となった証言記録。それは、歴史資料として逆立ちしても扱えないシロモノだった。

「身の上、氏名、年齢さえあやふやな慰安婦が多く、公文書と呼ぶには恥ずかしいほどお祖末なものだったからである」(10月16日付産経新聞)

▼現代史の権威・秦郁彦氏(産経)

秦氏が卒倒するのも当然だ。証言メモで出身地が明かされているのは、16人のうち僅か3人。しかも、ソウル・平壌と答えたのが2人で、全羅南道唐津郡と詳しく語っているのは唯一人だった。

我が国の保護下の朝鮮半島では戸籍制度が整っていた。例えば、沖縄に移り住んだ元慰安婦を追った『赤瓦の家』の著者は、半島本籍地の役場や近隣を訪問し、一族の消息を調べ上げている。

▼本籍地を追跡した『赤瓦の家』

出身の村を正確に伝えれば、第三者が現地調査し、村人から客観的な証言を引き出すことも容易い。本籍地の隠蔽は、追加調査で嘘が暴かれるのを防ぐ為だ。

これとは対照的に、ビルマ・ミートキーナで米軍が慰安婦を拘束した際の尋問では20人全員が出身地を明かしていた。生年月日も出生地も不備だらけの証言メモが、河野談話の核になっていたのである。

▼身元を調べた米軍戦時情報局資料

氏姓に関しても、産経新聞はプライバシーに配慮し、一部黒塗りで掲載しているが、配慮する以前に名字だけの証言者がいた。加えて、「白粉」といった謎ネームや漢字表記が不明な者も混ざっている。

どこの誰か殆ど不明の自称慰安婦集団だ。証言内容はさらに荒唐無稽で支離滅裂。あっさり矛盾が暴露したうえ、決定的な時代考証ミスも発覚した。

【ジープに乗った従軍慰安婦】

「15歳で養女に、19歳のとき、養い親に白い令状がきて義姉の代わりに行った」

紙面では「黄●●」と表記されているが、割と有名な黄錦周(ファン・クムジュ)だ。かつて『ゴーマニズム宣言』で物笑いにされた人物で、ネタ慰安婦の領域に突入しているデタラメ証言者である。

令状とは「女子挺身勤労動員令」を指すが、公布されたのは1944年8月で、出だしから間違っている。産経新聞は、南鮮内の聞き取り調査で別の証言をしている事実を指摘。黄錦周は、こう語っていた。

「工場に仕事に行けばカネが儲かると騙された」

▼大使館前で活動中の黄錦周

全然、言っていることが違う。そして生年月日も日本政府の聞き取りでは1927年12月1日だが、別の調査では22年8月15日と話している。いきなり5年のジャンプだ。

27年生まれであれば、19歳当時は1946年で大東亜戦争は既に終わっている。河野調査団は、単純な計算ミスも確認しなかったのだ。捏造ストーリーを聞かされただけのお粗末調査である。

「談話の大前提である証言内容がずさんで真実性、信憑性を疑わせるとなると大変な問題だ。人選したのは韓国側であり、信頼関係が揺らいでくる」

▼石原信雄元官房副長官10月11日(産経)

談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官も、今回初めて聞き取り調査の内容を知り、絶句する。信憑性が揺らぐというレベルではない。傑作は謎人物「白粉」の証言だ。

「日本で親戚の手伝いをしていた。16歳のとき、洋服の男2人にジープに乗せられ、台湾で日本人と平壌出身の夫婦に引き取られた。(略)昭和17年ごろマニラに連れていかれ…」

またしてもジープ登場だ。戦時中の我が国でジープに乗ったという淡い思い出…固有名詞の米国製車種とは限らないが、当時の我が国にジープ型の乗用車は存在しなかった。

▼米軍基地ゲートに陣取る南鮮の洋公主(BBC)

「ジープで連れていかれる」という話のモチーフは、別の自称慰安婦も繰り返し使う。これは謎ではなく、単に朝鮮戦争以降の実体験を援用している為である。

自称慰安婦の多くが南鮮軍・米軍の慰安婦=洋公主(ヤンゴンジュ)だったと推測される。河野洋平は、そんな洋公主の物語を聞き、我が国を貶めたのだ。余りにも罪は深い。

【禁断の「キーセン学校出身」】

スクープ記事に掲載された伏せ字表記の自称慰安婦16人。黄錦周のほかに個人名を特定できる人物は以外に少ない。生年月日も出身地もなく、金や李という名字だけで辿るのは、けっこう困難だ。

▼政府聞き取り調査の証言一覧(産経)

全羅南道唐津郡の出身と明記される「金●●」は、昨年死亡した金福善(キム・ポクソン)である。対日賠償請求訴訟の原告で、ソウル日本大使館前で割腹自殺のマネをするなどの小芝居でも知られる。

「赤い腕章を巻いた日本の軍人に連行された。軍の責任者と船で南方に向った。パラオの番号の付いた部屋で…」

「カン・●●●」と表記されている人物は、姜徳景(カン・ドクキョン)で間違いない。 姜徳景は勤労令の枠で来日し、その際に釜山では壮行会まで開かれたという。

▼政府調査の証言一覧その2(産経)

ところが、まもなく寄宿舎から出奔、迷っている間に「赤地に三つ星の階級章をつけた憲兵コバヤシ」に捕まったという。だが、姜徳景は大阪で“慰安婦”をしていたと説明。パラオ行きの設定とは異なる。

「養父のもとでキーセン学校に通っていた。17歳のころ、平壌から北京に逃げたが、将校風の軍人に連れていかれた」

「金●●」の証言だ。反日陣営が必死に隠す「キーセン出身」という履歴をあっさり明かす。そんな人物こそが“はじまりの従軍慰安婦”金学順(キム・ハクスン)である。

▼キーセンで学んだ金学順(聯合ニュース)

1991年8月11日付の朝日新聞が“スクープ”し、一連の捏造記事の出発点にもなった札付きの自称慰安婦。1924年10月20日という生年月日は一致するが、訴訟では23年生まれの設定だったり不備も多い。

出生地も平壌で符合しているが、この金学順と金福善以外に出身地が明記される残る1人「文●●」の正体は不明だ。訴訟で知られる文玉珠(ムン・オクチュ)は大邸出身の設定で、ソウル生まれではない。

▼政府調査の証言一覧その3(産経)

生年月日も出身地もなく、更に伏せ字では追跡しようにも手掛かりがない。エピソードから割り出す地道な作業が必要だが、実在を検証する前に、こんな曖昧証言が河野談話の骨格になっていたことに蒼褪める。

【河野談話と朝日捏造が直結】

「証言者の身元がかなりあやふやという印象を持ったわけですね。(身元は)証言内容を判断する上で非常に重要な要素だ」

石原元官房副長官も、証言者の大半が身元不明だったことに驚きを隠せない。談話作成の責任者が、政府調査の詳しい内容を知らなかったという事実も驚愕だ。

▼政府調査の証言一覧その1(産経)

そして、16人の自称慰安婦の中に、南鮮側の調査で排除された人物が含まれていたことも判った。挺対協(挺身隊問題対策協議会)が、河野談話発表の半年前に編集した「証言集」から漏れた連中である。

「すでに強制性を認め謝罪に徹する気になっていた河野氏にとって、聞き取り調査は国民向けの形式行事にすぎなかった」

秦郁彦氏は、この劣悪な聞き取り調査を日本国民向けの単なるアリバイ作りと断言する。河野洋平は初めから謝罪ありきで、証言の精度も信憑性すらも問題外だったのだ。

▼日本人以外には笑顔の河野洋平(時事)

「証言者の人選は韓国側が行った。私たちは韓国側を信頼し『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った。その根っこが揺らぐと何をか言わんやだ」

石原元官房副長官によると、日本側は「反日運動」に関わる証言者を排除するよう求めたという。だが、実際には反日運動でしかないの一環で出発した対日賠償請求訴訟の原告も混じっていた。

▼日本大使館前でありがちな光景

南鮮側は証言者のピックアップ段階で、基本的な要求を無視していたのだ。一方、元副長官の説明にも混乱を感じる。証言者が反日運動と深く関係していることは調査前から判り切っていた事実である。

嘘だらけの聞き取り調査はソウルで行なわれたが、場所は公的機関ではなかった。日本政府の担当官が招かれたのは、あの太平洋戦争犠牲者遺族会の事務所だった。

▼同遺族会のソウル事務局2005年(朝鮮日報)

太平洋戦争犠牲者遺族会は、前進が70年代に発足した老舗の反日団体。そして、朝日新聞捏造の主犯格・植村隆の義理の母親が共同代表を務めていたことは有名だ。

植村ママこと梁順任(ヤン・スニム)が2年前に詐欺で摘発されたことから、同遺族会は反日組織から詐欺集団に“昇格”。河野談話の元になった証言者は、犯罪組織の斡旋によるものだったのである。

▼詐欺集団と共謀した植村隆

信憑性以前の問題だ。犯罪組織が仕込んだトンデモ証言を“決め手”にした官房長官談話。証言者の中に金学順が含まれていたことで、初めて朝日新聞の捏造記事と河野談話がダイレクトリンクした。

今回の産経スクープに怯えているのは、河野洋平だけではない。嘘に嘘を重ねた朝日新聞も崖っぷちに立たされた。

http://dogma.at.webry.info/201310/article_4.html

◆韓国「ハンギョレ」紙の慰安婦自爆

産経新聞が2013年10月16日付朝刊で、特大の「スクープ」記事を発表した。「河野談話」(1993年)の根拠となった日本政府による元慰安婦女性への聞き取り調査が、ひどく「ずさん」なものだったと指摘した。

以前から聞き取りの「証拠能力」を疑問視する声は少なからずあった。そもそも調査を行う以前から、「証言の『信憑性』の問題が生じる」(朝日、93年3月24日朝刊)として、政府は実施そのものに難色を示していた。河野洋平氏自身、「証言には間違いがある」との指摘が当時からあったことを認めている。今回の報道は、こうした指摘を新出資料から「蒸し返した」形だ。 
韓国紙は「河野談話を無力化しようと攻勢」(朝鮮日報)、「日本右翼言論が大々的に報道」(京郷新聞)などとこぞって大きく取り上げている。 

このうち左派系紙「ハンギョレ」は、報道の内容を「詭弁」とした上で、報告書の「曖昧さ」については、「当時の朝鮮人女性は9割が文盲であり、こうした高齢女性に何十年も前の経験を聞くということの『限界』と見るべきだろう」と擁護した。 

本人たちの証言が当てにならないなら、いったい何を根拠にするのかね?

日本軍が書面で破格の報酬や仕事内容を明記して募集してたのを 女性は理解できないから、文字が読める仲間の朝鮮人がだまして 慰安婦にしたってことになるだろう。 

それなら文盲だから被害にあった事はつじつまが合う 
だけどそれならだました朝鮮人に損害賠償させるべきだし 
まさか内容を理解できないのに直接日本軍の応募に応じる訳もないだろう。

文盲女性を日本軍にとりもった朝鮮人女衒が、「相当剥いだ」ことを示唆するものだ。

「文盲」は表現を抑えたものであって、早い話が「学がまったくない」ため 「自分達がどういう経緯で売られてきたかなんて、背後関係はほとんど理解していない。 
周囲の言われるままのことをマルっと信じている。」ってことだろ。 

今まで唯一の論拠とされていた証言の信頼性が崩壊した。

◆参拝見送り「配慮と思わない」=「日中韓」年内開催は困難―韓国

時事通信 2013年10月17日(木)

【ソウル時事】韓国外務省報道官は17日の定例記者会見で、安倍晋三首相が秋季例大祭での靖国神社参拝を見送ったのは中韓両国への配慮との見方があることについて、「日本国内でそういう意見があるのかもしれないが、韓国など周辺国を配慮した結果という意見には同意できない。韓国の全国民が同じ意見だと思う」と述べた。

 一方、韓国外務省幹部は、韓国が主宰する今年の日中韓首脳会議について「年末まで1カ月半の段階で決まっていないのだから、誰が見ても容易ではない」と語り、年内開催は困難との認識を示した。同幹部は、年内に開催できない場合でも、来年は議長国が日本に移ると述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131017-00000077-jij-kr

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靖国参拝は行っても行かなくても文句を言うことは同じ。
同じなのに、参拝しないということは、日本の英霊に対しても国民に対しても失礼な話である。

『行っても行かなくても同じ』と南鮮が言うこと自体が今までの発言を全否定したことになる。要するに『嫌がらせ以外の何ものでもない』ということを白状した。

 


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