岡山県内の五輪塔の魅力

五輪塔の魅力に浸っています

柳畑古戦場五輪塔

2007年11月09日 | Weblog
柳畑古戦場五輪塔
天正九年八月(1581年)二回目の八浜合戦のとき、毛利軍と宇喜田軍の戦いの発端となった地。
この戦争によって宇喜田与太郎基家戦死、両軍共に多数の戦死者が出た。
その戦死者達の霊を慰めるために建立した供養塔である。
大崎観光協会

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満願寺跡宝篋印塔

2007年11月09日 | Weblog
満願寺跡宝篋印塔
・県指定重要文化財(建造物)〔昭和31年4月1日指定〕鎌倉時代末から南北朝時代(14世紀ごろ)の作と推定される宝篋印塔。花崗岩製で、高さは3.15mを測る。元来この地には満願寺という真言宗の寺があったが、高梁川の水害で寺は流失し、洪水後は再建されずに近くの森泉寺に移動した。この宝篋印塔も土中に埋没していたが、享保9年(1724)に発見され、満願寺跡に残されている。
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伝為朝五輪塔

2007年11月08日 | Weblog
伝為朝五輪塔
伝為朝の墓を含めて五輪塔9、最大のものが伝為朝の墓。高1.35m。石材は豊島石に似る。<立地>南西方向に下る丘陵斜面。
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玉野市の大塚家五輪塔

2007年11月08日 | Weblog
玉野市の大塚家五輪塔
 常山城落城のとき、惣門二の丸の侍大将 国富一学は此の地に逃れ、帰農土着して大塚性を名乗り、大崎の組頭を勤めた国富の流れを汲むという古い系図が残っている。
 この五輪塔は、この一族のものといわれている。
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