岡山県内の五輪塔の魅力

五輪塔の魅力に浸っています

落合地区の石塔

2009年03月03日 | Weblog
落合地区の石塔
★田原の長袖みさき(旧落合町・川東地区・田原)
川東地区・田原は旭川の東側に位置する。長袖みさきの由来は、昔備前児島五流の山伏の法印が伯耆大山へ参詣の帰り、旭川で遭難して死亡した。
村人はその死を供養するために宝篋印塔を造立したと伝えられるが年代など不明
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★田原の古墓(配石墓)(旧落合町・川東地区・田原)
田原の「長袖みさき」のまわりにある室町時代と思われる古墳群(配石墓)があり、また近くの墓地内に室町時代の五輪塔残欠もある。



★福田寺跡墓地(旧落合町・福田地区・天津)
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福田から高屋方面へ行く道の途中に三浦氏と関係があると伝えられる村岡家の墓地がある。 豊島石の五輪塔など約50基の墓塔が立っている。 豊島石の五輪塔で完全なものが2基欠けたものが2基がある。 その板碑型、笠塔婆、櫛型、ラントウ、無縫塔、自然石型など石塔がある。 板碑型は延宝三卯年、櫛型は延宝二・天和三・元禄十一・同十五・正徳元年、笠塔婆は宝永元年甲申・享保十年、無縫塔には宝永三戌天、自然石には享保十五年銘などがある。 住職墓には2m近い墓塔が2基ありその一基には「本姓三浦村岡但見苜□九十才」「寛政六年甲寅十一月廿二日」とある。 三浦家は十一代で滅亡したと伝えられているが村岡家はこの三浦氏とどのような関係があったのか?




★太平寺(落合町・鹿田地区)
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太平寺は現在無住である。 本堂左手の壇上に縦貫道工事でスノウチから出土した白色石灰岩五輪塔残欠が約50個寄せ集められている。宝篋印塔・五輪塔などの残欠である。石灰岩のほか花崗岩のものもみられる。 スノウチで発掘したとき古備前の壺が9個出たといわれ、その中には骨もあったといわれる。またスノウチの現地にはまだ残欠が多く置かれている。 この五輪塔群の左に江戸時代向津矢地区が大洪水にあい壊滅状態になった災害の復興に力をそそいだ石黒代官の墓が祀られている。石黒代官は宝暦六年(1756)に没している。


★石黒代官の墓


スノウチより出土した五輪塔残欠


★妙蓮寺跡墓地(落合町・大庭)
妙蓮寺に入る場所に天明元年(1781)建立の題目石があり、その台石の下に地蔵菩薩と大日如来の浮彫石仏があり室町時代と推定される。
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天明元年(1781)題目石                地蔵菩薩と大日如来石仏


★日蓮宗・妙蓮寺跡ラントウ群(落合町・大庭)
妙蓮寺には祖師堂一宇が残るのみであるが寺伝によると永正十三年(1516)の創建で法性院日華上人の開基であると伝えられる。また妙蓮寺の過去帳には
 窓見禅定門 寛永三年十一月廿五日 旦野伊左衛門
 清正院法悦入道 寛永九年八月二日 旦野助右衛門父
と記し梵鐘寄進の関係者であると述べている。
また町指定文化財となっている。 旦家のラントウ群が祀られており、その中に現在県内最古といわれる。「天正十三年七月廿六日」(1585)銘のものがある。







屋根はほとんどくずれてわずかに残っているだけで落合町史によると奥壁の五輪塔型の中に「妙□父去□霊」とあり前面の右柱に「元和九年」左に「十一月廿日」とあると書かれているが、現在は読み取ることは難しい。





このラントウは屋根も棟もくずれておらず、軒垂木があり前面左扉がある。右側面三茎蓮の文様を刻む。奥側に五輪塔があり中に「妙法」下方は不明。左右の柱には「寛永五戊辰年」「九月十五日」とある。


正面の柱右に「天正十三乙酉暦」左に「七月廿六日」正面に五輪塔を浮彫にして「妙法蓮華経」地輪に「浄願禅定門」とあり県下でラントウでは最古の年号が入っている。



このラントウは屋根もなく下の箱型も割れていて年代も不明である。もし屋根があれば140㎝ぐらいのものであったと予想できる。 前面の扉も失われている。 正面の中央に五輪の浮彫があり左右に板碑型を刻んでいる。
板碑型の中に「妙法蓮華経」とあり五輪にも各輪の中に妙法蓮華経と五字を刻み、下に「角実禅定門」とある正面の箱型の柱部分右柱の文字は風化が激しく読むことができないが、左柱の部分に「一月二十二日摺□□門成」とある。 また箱型正面の背面に枠で囲んだ中に六本の細長い五輪塔を刻み各五輪「妙法蓮華経」とありてまをかけて造られたラントウである。


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